TITLE : 続 スカートの風 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。 本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。 続 スカートの風  恨《ハン》を楽しむ人びと 目 次  プロローグ[いき違いの先へ]   「文化の差」以前に感じる嫌悪感   日本人が怒った顔を初めて見て……   韓国人にとっての「朝鮮」という言葉の響き   差別という名の悲しい誤解   韓国人も外国人である   ありがとう、すみません、ごめんね   日本の夫婦の間の不思議な遠慮   韓国人は礼儀を知らない?   ひとことに潤う日本の言葉   お願い語が韓国人をとまどわせる   上下関係のけじめをつけたがる韓国人   私たち特有の「思い違い・くい違い・いき違い」  第1章 すれ違う言葉と心      ——受け身の文化と能動の文化   受け入れ上手な日本と下手な韓国   日本の庭と韓国の庭   韓国人は花に話しかけない   韓国のファッションと日本のファッション   神社で食べたタコヤキの味   日本は悪魔の住む国?   天帝思想と多神教   韓国の儒教と日本の神道   「感謝、ありがとう、サンキュー」の使い分け   韓国人は「受け身形」に弱い   まったく逆になる関心の行き先   韓国人は弱点を隠す   現代韓国の義兄弟   三人で夫婦となる?   すべての秘密を明かしてこそ友だちである   なぜ日本人は自分の悩みを話そうとしないのか   あなたにとって友だちとは?   メンドリが鳴くと家が滅びる   韓国人の性格は性急か   「キムチのおつゆから先に飲んだ金大中」   学ぶより教えてあげるのが好きな韓国人   人を助けることが好きな韓国人  第2章 恨《ハン》を楽しむ人びと       ——韓国人の情緒と反日感情の実際   日本で体験した青春の挫折   韓国人は自分がいかに不幸かを話したがる   未来への希望としての恨   恨が対象を持ったとき   自分をみじめにしたい韓国人   なぜ韓国にクリスチャンが多いのか   現世利益を推奨する韓国キリスト教会   苦痛がないことは罪?   ある韓国人ホステスの祝福観   騒然とした教会の雰囲気   学生運動と花《フア》郎《ラン》精神   韓国の学生はなぜ焼身自殺までするのか?   日本のお通夜に参加して   ある日本人学生の死に思ったこと   韓国人の感情表現   韓国側に立つ日本人の発言への疑問   韓国人は日本人をうらんでいるか   日本人からは高くとって当然?   愛国的行為という名の日本人からの外貨獲得   豹変する韓国の女たちの日本人観   個人的な謝罪は欺瞞である   戦後韓国の反日政策   習慣としての反日的な感情表現   圧殺された親日感情   日本には文化がないという決まり文句   天皇のひとことで韓国人の「反日感情」は解消する   歴史は昨日からの連続である?   日韓歴史教科書の大きな違い   議論で韓国人と親友になる   ソフトな批判からの和合   気持ちのいい日韓関係のやって来る日  第3章 韓国の家族主義と男女観       ——父系絶対主義社会の実像   韓国の「家族主義」について   韓国の父親と日本の父親   韓国の女はなぜ熟年の男が好きか?   どんな男が恋人、夫にふさわしいか   韓国式浮気の防止法   外見の美のために   執念としての美容   美容のためには死の直前までいってもおしくない   韓国の美とは派手さのことである   四十歳を越えた女には価値がない?   日本で稼ぐ「美容整形外科医」たち   整形をやるのが常識の世界   徹底している韓国男性の女性へのアタック   韓国式デートの誘い方、受け方   韓日男女のいき違い   夫婦は一心同体である   世界一の孤児輸出国、韓国   異常な男女出産比率   家族は家族、社会は社会   父につくして   人生の目的を失った女たち 第4章 見えない悲劇・見える喜劇       ——ビジネス・金をめぐる韓日不協和音   日系企業撤退に思う   韓日大型合弁が流産した理由   韓日ビジネストラブルの背景   ビジネス関係は個人関係   負担をかけてこそのパートナー   社長あっての会社   わが社の社長さま   韓国の社長夫人   会長・社長の自大主義   韓国の社長の天国と地獄   会社を持続させる意識が稀薄な韓国人   肉体労働が嫌いな韓国人   技術者は卑しい?   日本の技術を学ぶ姿勢に弱い韓国人   ビジネスは一代で終わる   商売は詐欺?   プレゼントの習慣から賄賂へ   自分に価値のあるものが相手にも価値がある   高価な贈り物の意味   お返しは韓国人の心を傷つける   贈り物と手加減   お金を使いたがる韓国人   子どもにお金をあげる習慣   賄賂が子どもの成績をよくする   お金がなくては生活が不便となる文化   見えない悲劇と見える喜劇    あとがき  プロローグ[いき違いの先へ] 「文化の差」以前に感じる嫌悪感  郷に入らば郷に従え——その国に行けばその国のやり方に従えということを、私は、見よう見まねでやればいいのだろうと簡単に考えていた。ところが、もちろんそうではなかった。日本という郷に足を踏み入れて三日とたたないうちに、「とてもまねることなどできない」と悲鳴を上げることになってしまったのである。自分の短《たん》慮《りよ》を棚に上げて、私はこの格言をつくった古人を怨んだ。古人はなぜ格言の前に、「恥をしのんで」と加えておいてくれなかったのかと、そう怨んだのだった。  それは、初めて日本の食堂に入ったときのことだった。最初は気がつかなかったが、何かがおかしいと感じてよく見ると、日本人は、茶碗を手に持って、お箸で御飯を食べているのである。それは実に奇妙な光景だった。  日本人の食事の仕方は、韓国人にとっては、まことに行儀の悪い、嫌悪感すら感じるものだった。韓国人なら誰でもが、茶碗を下においたままスプーンで御飯を食べる。またおつゆもそうして飲む。それが正しい食べ方である。来日当初の私には、茶碗を手に持って食べたり、お椀を手で持って飲んだりは、「恥をしのんで」でなければ、到底できることではなかったのである。  それなのに、欧米人のようにナイフとフォークを使って食事をすることには抵抗感がない。また、インド人が手で御飯をすくいながら食べるのを見ても、外国人だし文化が違うからと、まねをしてみることもできる。それはエキゾチズムを楽しむ喜びともなる。  ところが、韓国人と日本人は、まったく同じ顔をしていながらも、まったく同じ主食の御飯を、一方は茶碗を飯台に置いてスプーンで食べ、もう一方は茶碗を手で持ってお箸で食べる。それぞれが、これが正しい食べ方だと感じている。日本人にとっては、韓国式の食べ方は最も行儀の悪い食べ方であり、韓国人にとっては、日本式の食べ方は同様に最も行儀の悪い食べ方となる。  一方で悪となることが、他方では善となるようなことは、他の国々の間にもあるかもしれない。でも、韓国人と日本人の間では、それを文化の差だと了解して認めあうより先に、まずお互いのふるまいに嫌悪感を感じ、反発しあってしまうことが、なぜか多いように思う。  それでも、目に見える違いならば、「恥をしのんで」相手に合わせることもできる。そのうちに慣れて来て、嫌悪感もなくなってゆく。しかし、目に見えない精神的な違いに感じる嫌悪感は、そう簡単に解消できるものではない。  そのために、日本人の男性とつきあう韓国人の女性で、涙とノイローゼの日々を送る者も多い。逆に、傷つけられて心を痛めている日本人の男性も多い。同じようなことから、ビジネスでも韓日の間に多くのトラブルが起きている。  それらの根にあるのは、とても小さな誤差の感覚である。でもその小さな誤差こそが、韓日の人びとの間に、さまざまな「思い違い・くい違い・いき違い」をもたらす、主人公なのではないだろうか。 日本人が怒った顔を初めて見て……  日本人は韓国人に対して強い差別意識を持っているという通説がある。またそれは、壬《ジン》辰《シン》倭《ウエ》乱《ラン》(豊臣秀吉の朝鮮侵略)から「日帝三十六年の植民地支配」に至る日本人の、韓半島の人びとに対する野蛮で侮《ぶ》蔑《べつ》的な悪行の歴史を、日本人が心から反省していないからだとも言われる。  これが韓国人の通念となっている。  人が通念を疑う余地を持たないとき、人はおうおうにして、理性的には理解しがたいと思えるような体験を、通念で包み込んでしまう。そこで、本来差別意識とは無縁な思い違いが差別意識と判断されてしまうことも起こってしまう。そのような事態に気づかない分だけ、私たちの間の差別意識はずい分と過大なものになってしまっている。そう思えてならない。  この点についての私の体験をお話ししてみたいと思う。  日本に来た始めのころ、私は東京の十条に住んでいた。近所に美容室があり、とても親切にしてくれるので、よく通った。特別髪をいじってもらう必要がないときでも、ちょくちょく顔を出したものだった。そうして数カ月たったころ、店の人たちがなにかよそよそしい顔つきで私に接していることに気がついた。理由がわからないので、私はできるだけ明るく挨《あい》拶《さつ》をしようとした。しかし、やがて店を通り過ぎるときに中の人に「こんにちは」と声をかけても、だれも挨拶を返してくれなくなってしまった。  そしてある日、パーマをかけようと美容室に出かけると、「今日は予約がいっぱいでできませんよ」と断られてしまった。そんなことは、これまでに一度もなかった。不《ふ》遜《そん》な態度に突き押されるようにして店を出た私は、ムッとする不快感で胸がいっぱいになってしまった。  やはり韓国人だということで差別しているのだろうか……。そんな気持ちで一人さびしく街を歩き回った。韓国人であれ日本人であれ、お客である以上、こちらが不快になるような態度をすることは許せない。私が韓国人だということがわかってから、そんな態度に出るようになったのかもしれない。ずっとそう思ってきた。それ以来、その美容室に足を向けることはしなくなった。その前を通り過ぎることすら嫌になってしまった。  また、近所に八百屋さんがあり、この店のご主人も親切に応対してくれるので、私は常連客になっていた。ある日、私はキムチをつくるために白菜を買いに行った。たくさんつくって、アパートの隣の部屋のおばさんや留学生の友だちにあげようと思ったのである。  店の軒先に白菜が山のように積んであった。私がたくさん買えば、店のおじさんも喜んでくれるにちがいない、そんな思いで、私は白菜をひとつひとつ触りながら、できるだけよいものを選ぼうと白菜の出来具合を確かめていた。  私は、他のお客さんの支払いを終えた店のご主人に、「おじさん、今日は白菜をたくさん買いますよ、よい白菜を選んでくださいよ」と笑顔で声をかけた。ご主人がいつものように笑顔で受け答えしてくれることを期待していたのだが、なぜか急に怒り出したのである。「あなたには白菜を売りませんよ」と言うのだ。私が「なぜ、そんなに怒るんですか」と聞き返すと、ご主人は「朝鮮人にはものを売りませんよ」とあからさまに嫌な顔をして横を向いてしまった。  私は日本人が怒った顔をそこで初めて見た。いきなり後頭部をガーンと殴られたような気分だった。異国の冷たく深い闇《やみ》の底をかいま見せられた思いだった。何が何だかわけがわからない。「笑う顔にはツバをはけない」という諺《ことわざ》が韓国にある。そうならば、にこやかに笑う私の顔にツバをはく日本人は人間とは言えない——心底からそう思った。 韓国人にとっての「朝鮮」という言葉の響き 「日本人は何かといえば韓国人を差別する」を、私は身をもって体験したのだと思った。そして、とくに朝鮮人という言葉に大きな怒りを感じた。また、下町の小さな八百屋すらが「朝鮮人は」と韓国人を差別するのだから、日本人はよほど韓国人が嫌いなのに違いないと思った。  しかも「朝鮮人」とは、私は初めて聞く言葉だった。韓国人にとって朝鮮という言葉には強い拒否感がある。二、三の固有名詞、たとえば「李氏朝鮮」とか『朝鮮日報』「朝鮮ホテル」などを除くと、朝鮮という言葉を使うことは、韓国では事実上禁止されている。  戦後、南は大韓民国とし、北は朝鮮という言葉をそのまま残したので、朝鮮という言葉を使うと北のスパイかもしれないと言われていた。また、小学校のときから、朝鮮という変な言葉を使う人がいれば申告しなさいと教えられてきてもいた。そのため、その朝鮮に「人」をつけた「朝鮮人」という奇妙な言葉に、私はものすごく自尊心を傷つけられてしまったのである。  とくに軍隊体験のある私は反共精神も強く、北朝鮮には大きな反発を感じていた。そこへ、「お前は朝鮮人だから……」という言葉を浴びせられ、なんとも言えない不快な、そして複雑な気持ちを抱えさせられることになってしまったのである。  友だちの斡《あつ》旋《せん》で住まうことになったこの十条での暮らしは、私にとっては初めての外国生活の場だったから、毎日が緊張感の連続のように感じられていた。それだけで倒れそうになっているところへ、さらに追い撃ちをかけるように重たくのしかかってくる、美容室や八百屋での体験。私には十条での生活がしだいに耐えられないほどに嫌なものとなっていった。  結局私は、それから幾日かたって十条を引っ越してしまった。以後、長い間、十条のことは考えたくもなかったし、いつしか忘れてしまっていた。また、いろいろな店に行っても、自ずと店の人にこちらから声をかけることをしなくなってもいった。 差別という名の悲しい誤解  それから数年たったころに、私はようやく十条での体験のほんとうの意味に気がついた。思い返してみれば、十条の美容室で私は、「きれいにして下さいね」という言葉を連発していた。また八百屋さんでは「いい野菜を下さいよ」という言葉を連発していた。韓国ではそれが親しさを表わす挨拶の表現なのだが、日本では「当然のことをなんでいちいち指図をするのか」というふうに受け取られ、専門性を信頼していないという嫌な印象を与えることになってしまう。  韓国では手先を使う技能者や商人は一段低い者と見なされているから、まずこちらから声をかけること自体が相手を尊重していることの現われとなる。韓国でお高い人は、決して技能者や商人にこちらから声をかけようとはしないものだ。そして、「きれいにして下さいね」と言えば、こちらから相手の仕事を積極的に応援する気持ちを伝えることになる。したがって、相手の存在を尊重し、相手の技術を信頼しているからこその言葉となるのである。  しかし、十条の美容師さんは、そういう私の言葉に深く傷つけられていたのである。「きれいにして下さいね」だって? なんて失礼な言い方なの、髪をいじるたびにああ厭《いや》味《み》を言われたんじゃ、もう頭にきちゃうわね——。そんなふうに裏で言っていて、ついに堪忍袋の緒が切れて、「もう来ないで……」となってしまったのだろう。  八百屋さんで「いい野菜を下さいね」という私に、店のご主人はどんなに嫌な気分を味わわされたことだろうか。うちは新鮮な野菜をとくに選んで置いているのに、なんていう言いぐさなんだ、失礼なやつだ——そう思われたに違いない。  こうした体験を、私は長い間、韓国・朝鮮人差別だと感じていた。それは大きな誤りであった。以来、私は差別ということを、すぐに社会的・政治的な文脈に結びつけて考えてしまうことの間違いを知った。  同時に、心がいき違うことがどれほど悲しいことなのかも知った。私の脳裏には、たくさんの同じような体験が次から次へと浮かび上がってきた。そして、何とも言いようのない辛《つら》い気持ちに塞《ふさ》いでゆく心をどうすることもできなかった。  ある日、友だちと二人で車に乗り、ガソリンスタンドで給油をしていた。私は窓を拭くスタンドマンに、「ここも拭いてね、こっちもよ、それからここもお願いね」と親しげに声をかけていた。一緒に車に乗っていた日本人の友だちが、「ちょっと、そういう言い方はやめてよ」と、実に嫌な顔を私にしてみせたときのこと……。またある日、部屋の家具の入れ替えをしていた。重い家具を持ち上げてソロソロと狭い部屋を移動する家具店の店員に、「あっ、そこ気をつけてね、そっちもよ、傷をつけないようにね」と、快活に声をかけている私に、手伝いに来てくれた日本人が「いちいちうるさいなあ、彼らはプロなんだから任せておけばいいんだよ」と、怒ったように言ったときのこと……。  彼らを怒らせたのは、私の「偉そうに人に指図をする態度」への感覚的な嫌悪感であった。いき違いは話せばわかると言われる。しかし、感覚的な嫌悪感が先立つとき、その質を疑問視し、冷静に見つめて客観化して見ようとすることは、誰にとっても至難のわざであるに違いない。 韓国人も外国人である  私は十条での体験のほんとうの意味を理解したときから、新たな問題意識を持たされることになった。それは、美容室や八百屋さんでの私が、もし欧米人や他のアジア人であったならどうだったろうか、ということである。おそらく美容師さんも八百屋のご主人も、私に対するような言い方はしなかったと思う。いくら気分が悪いにせよ、外国人だから仕方がないと、苦笑する程度のことですんだのではなかっただろうか。  美容師さんにしろ八百屋のご主人にしろ、一見しただけでは日本人と区別のつかないほど姿形が似ている私が、日本人がしてはいけないことをするのには、どうにも感覚的に我慢がならなかったのである。日本人にとって韓国人は、どこか「完全な外国人」として処すことを忘れさせてしまう相手なのだ。それは韓国人にとっての日本人でも同じことである。  韓日ビジネスに多い文化・習慣の違いから来るトラブルも、欧米人相手ではそれほど起きることがないのは、日本でも韓国でも同じことである。韓国人も相手が日本人となると、つい知らず知らずのうちに身内意識になり、外国人であることを忘れてしまうのである。  そんなことがあってから、私は日本人と韓国人の似ている面よりも、異なっている面を注視することの重要性を知らされた。  日本人との雑談のおりなど、韓国人と日本人は同根だし多くの面で似ているといったことが話の中心になってきたりすると、つい、「韓国人と日本人の考え方には、どこか根本的な違いがあるようですね」と言ってしまうことが多い。そうすると、おおむね次のような反応が返ってくる。 「なぜ国民性を強調するんですか、世界はだんだん狭くなっているでしょう? どの国でも個人の性格の違いはあるし、よい人もいるし悪い人もいる。そういう問題じゃないんですか」  そんなとき私は、たとえば次のような例をあげて反応をうかがってみる。 「友だちにおごってもらったりしたとき、誰でも『ありがとう』と言うでしょ? 日本ではそれが礼儀ですよね、でも韓国人ならばそこで『ありがとう』と言われればとても嫌な気持ちになるんですよ」  すると、ほとんどの人が「まさか、韓国人も人間でしょ? なぜ?」と考えこんでしまう。逆に韓国人に同じ話をすると、「まさか、日本人も同じ人間なのに……」と、信じがたいそぶりを見せる。  韓国人にとって友だちと言えば、まったく遠慮のいらない、またお互いに秘密を持つことのない開けっぴろげの間柄である。そういう間柄なのに「ありがとう」と言われることは、あまりにも水くさいことであるばかりでなく、友情を無視した冷たい人と感じさせられることになってしまうのである。 ありがとう、すみません、ごめんね  これは「すみません」とか「ごめんね」とかいう言葉でも同じである。日本人は夫婦の間でも、この「ありがとう」「すみません」「ごめんね」を連発する。  日本人と結婚したある韓国の女性が、鬱《うつ》病《びよう》のような状態に陥ってしまって、私のところにやって来た。話を聞いてみると、結婚して一年が過ぎたのだが、夫はあまりにも他人のようにしか接してくれないので、とても寂しいと言うのだ。ここが韓国ならば親兄弟に相談することもできるが、日本では相談する相手もなく、もう一日でも早く韓国へ帰りたいと泣き出すしまつ。  よく話を聞いてみると、ご主人は典型的な日本の男性である。会社から帰って来て上着を取ってあげると「ありがとう」、お茶を入れてあげると「ありがとう」、そして何か失敗するとすぐに「あ、ごめんね」と言う。それが彼女には我慢ならないのだ。彼女は次のようにその不満を私にぶちまけるのである。 「夫婦は一心同体でしょ? 妻が当然するべきことをしているのに、なにが『ありがとう』なんですか、いったい。私に愛情を感じていないとしか思えないわ。そんなこんなで、とても寂しい思いを毎日しているんです。それに、日本では夫婦は別々の布団で寝るのが当たり前なんですか? 私は夜しか一緒にいられないからこそ一緒に寝たいのに、夫は別の布団で寝ようとするんですよ。だから、嫌われているのかと思って『あなたは私が好きじゃないの』と聞いたんですが、『好きだよ』とニッコリしながら別の布団にもぐりこむんです。どうにも本当の心がわからないんですよ。韓国へ帰ってしまいたくてね……」  その当時、私はまだ日本に慣れていなかったので、この話を日本人の友だちにしたときに、「笑い話にならない笑い話だ」と言われたことがまったく理解できなかった。  私は彼女の話を聞いて、「なんてひどい男だ」としか思わず、彼女をなぐさめることも忘れて、一緒に日本の男の悪口を言っていた。  韓国では「女の幸せは男の胸の幅ぐらいだ」という言い方をよくする。それは、どんなに嫌なことがあっても、一晩男の胸に抱かれていれば溶けてしまうということを意味している。夫婦は身も心もひとつになることができる、だからこそ夫婦だという韓国人の考え方——その点に関しては、いまだに私も「そうだ」とうなずいている。お互いを尊重しあう気持ちは十分に理解できるものの、日本的な夫婦の接し方には、どうにも感覚的な抵抗感を覚えてしまう。  このように、夫婦の間では「ありがとう」も「ごめんね」もないことが互いの愛情の確信につながってもいる。心が通じているなら「ありがとう」も「ごめんね」も必要がないはずなのに、なぜ日本の男は妻に対してそれを連発するのか、またそれでは結婚する必要も意味もないではないか。こうして、彼女だけではなく、韓国の女の多くが、日本の男の愛をどこか信じられないものと感じてしまうことにもなっている。 日本の夫婦の間の不思議な遠慮  このような場面は、私自身の体験でもたくさんあった。日本人女性の友だちの家に遊びに行ったときのことである。彼女はご主人に私を紹介しながら、「ちょっと食事の仕《し》度《たく》をしてくるわ」と言って立ち上がろうとした。すると、ご主人は「せっかくだから、二人でゆっくり話をしたら? 僕がやるから」と台所へ立った。彼女はそのとき、「悪いわね、お願いします」と、そして「ごめんね」とさらに声をかけるのだ。  夫が台所に立つことなど韓国では考えられないことで驚いたのだが、それ以上に、夫に対して妻が「ごめんなさいね」とか「お願いします」とかいうのには、あっけにとられてしまった。そのような夫婦があることを私はそのとき初めて知ったのである。  日本人の夫婦とはいったいどんな気持ちでいるのかと訝《いぶか》しく思いながら、「いいご主人ね」と私が探りを入れるつもりで言うと、彼女はさらに私を驚かせるようなことを言う。 「あなたも知っている私のお店ね、あの小さなファッションのお店は夫からお金を借りて出したのよ。そうじゃないといいかげんになるでしょ。だけど、なかなかうまくいかなくて、夫にお金を返せないの、申し訳ないのよね」  私は夫婦で共稼ぎをしているアメリカ人の友だちから、自分の給料袋はそれぞれ自分で管理し、家計に必要な分をお互いの給料から供《きよう》 出《しゆつ》するということを聞いて、なるほど、西洋人とはそんなものかと思っていた。しかし、同じ東洋人であり、しかもすぐお隣の国の日本人から、夫にお金を借りるとか、しかも返せないで申し訳なく思うなどという話を聞かされようとは思ってもみなかったのである。  韓国でも夫に対して「お金を貸して下さい」ということはある。しかしその場合は、自分の実家で必要だとか、自分の友だちのためにどうしても必要だとかいう場合である。そういう個人的な理由だから、「貸して下さい」と表現するにすぎない。その場合でも、お金を返すとか申し訳ないと思うとかいうことは、韓国ではあり得ないことだ。夫婦仲が悪い場合にはそういうこともあるかもしれないが、通常ではまずないことである。 韓国人は礼儀を知らない?  逆に、この「ありがとう」「ごめんね」を日本人の側から見た場合には、韓国人はお礼を言わない、謝ることをしない、という言い方ともなってしまう。「親しき仲にも礼儀あり」をよしとするのが日本だが、韓国では「親しき仲には礼儀なし」をよしとするからである。私のところに相談に来た彼女の話を続けよう。 「夫が私にバッグを買ってきてくれたのよ。私はとっても嬉《うれ》しくて、『嬉しい、嬉しい』ってはしゃいでいたの。そうしたら彼は『ありがとうくらい言えよ』と怒った顔をして言うのよ。おかしいでしょ? 夫が買ってきたものにありがとうなんて、まったく他人行儀じゃない。夫婦なのにね」  また、私自身の体験だが、友だちと電話で話していて、なぜか相手の機《き》嫌《げん》が悪くなり、まだ話が終わってもいないのに、電話を切られてしまったことがある。私はなぜなのかわからなくて茫《ぼう》然《ぜん》としていた。  後になってその友だちに聞いてみると、「なぜ、あなたは、あのとき、頑《がん》として私に謝ろうとしなかったのよ」と言う。そう、私は本来はひとこと相手に断わってやるべきことを、私の一《いち》存《ぞん》でやってしまって、相手に迷惑をかけてしまったのだった。友だちとの電話で、私はいけないことをしてしまったことにすぐ気がついていた。しかし、私は相手が私に文句を言っている間、ただだまっているだけで、「ごめんね」を言わなかったのである。そのため、友だちの心を大きく傷つけてしまった。  私が「ごめんね」を言わなかったのは、相手が仲のよい友だちだからだということばかりではなかった。韓国人は一般的に、自分が悪いことをして怒られているときには、無言でじっと相手の言うことを聞いていることが、「すまない」という心を表わす姿勢としてよいものと感じている。お説教を聞きながら、「はい、すみません」などとは言わないものである。日本人にとっては、それが、「まるで反省の色がない」と感じられるのである。  このへんのいき違いからも、「いわれなき韓国人差別」への発展(?)があるのではないだろうか。 ひとことに潤う日本の言葉 「ありがとう」「ごめんね」の一言が、どれだけ人と人との関係に潤《うるお》いをもたらすものと日本人が感じているかが、韓国人には容易なことでは理解できない。いや、理解はできても、なかなか習慣として「こなせない」のである。  ある自治体の商工部に呼ばれて話をしたときのことである。私の話が終わると、一人の女性職員が「お話を聞いて、自分なりにものすごくわかったことがあります。それは、こんなわけなんです」といって、次のように彼女の体験談を話してくれた。 「韓国の企業の方を招いて韓国の物産展をやったときのことです。はっきり言って、私はこの体験ですっかり韓国人が嫌いになってしまいました。というのは、あれをこうしてくれ、これをここに置いてくれとか、やたらに注文が多かったのですが、それはまあいいのです。また、本来の仕事ではない私用でも、なんやかやと言いつけられることがとても多く、私は忙しく奔《ほん》走《そう》しました。そういったこと自体にはそれほど文句はありません。でも、人に用を頼むとき、まるで『すまない』という姿勢がないんですね。また用を足して差し上げても、『ありがとう』という感謝の一言もなければ、感謝を示す姿勢のかけらもないんですよ。イベントが終わっても、あれこれ舞台裏で動き回った私たちにねぎらいの言葉ひとつありませんでした。実際、なんて人たちだろうと思いました。失礼ですが、こんな人たちとはもう二度とつき合いたくないと思ってしまったんです」  私は話の中で、韓国人が上下関係をはっきりさせ、下の者には愛想を示さず、それが上の者としてよい態度であり、また下の者もそういう態度をとってくれてこそしっかり動けるということ、また「ありがとう」とか「すみません」とかいう言葉は、かなり形式ばった場面でしか使わないことを述べたのである。それを聞いて、彼女は自分の体験の質がよくわかったと言うのだ。  そういう彼女に私は質問してみた。 「韓国人のそういう事情がわかったところで、理解はできたとおっしゃいますね。それなら、その上で、そういう態度をとる韓国人に対して、なんらの嫌な感じを持つことなく接しられますか?」  彼女は少し考えてから、「できないでしょうね」と言っていた。  このいき違いはどうすればなくすことができるのだろうか。 お願い語が韓国人をとまどわせる  日本人の謙《けん》虚《きよ》さ、韓国人的に言えば遠慮深げな態度を、たいていの韓国の女たちは次のような印象で受けとめている。 「日本人はなぜ、びくびくしているような言い方をすることが多いの? また申し訳ないことがとっても多いのね。だからかしら、何か力が抜けていて無能力みたいに見えちゃうのね」  こんな話がはずんでゆくと、よく次のような通俗的な日本理解につながってゆく。 「こんなに弱々しく見える人ばっかりの国が、どうしてこれほど発展したのかしらね」 「運がよかったからよね。そうでしょ、朝鮮戦争があって、それがきっかけでお金持ちの国になったのよ。韓国がなかったら今の日本の発展もないんだから」  これはとくにホステスとかあるいは高等教育を受けていない者たちの間での話ではない。韓国では当然のごとく話されているもので、彼女たちは日本人の弱々しさを知って、やっぱり、と納得してしまう、というわけなのだ。  とにかく日本語には「お願い語」が多い。それが韓国人には、常にびくびくして他人の顔色をうかがう、弱々しい性格に見えるのだ。たとえば、他人の家に行って電話を使いたいとき、日本人は「電話を使わせていただいてよろしいですか」と言う。韓国人ならば、「電話を使いますよ」が普通だ。せいぜい「電話を使っていいですか」であり、受け身形を使い、相手に許しを乞うような言い方は決してしない。  韓国に本拠を持つキリスト教の教会が新宿にあって、私もそこに通っている。その教会には韓国人の信者も日本人の信者もいるのだが、一人の信者がみんなを代表しての代表祈《き》祷《とう》がある。そんなとき、日本人ならば「お祈りさせていただきます」と言うことが多い。それが韓国人の場合では「お祈りします」か「お祈りを差し上げます」と言う。私は最初、こうした日本人の言い方に強い違和感を感じた。 「お祈りさせていただきます」と言えば、会《かい》衆《しゆう》を意識しての言葉だが、「お祈りします」とか「お祈りを差し上げます」ならば、会衆は関係なく、自分が神さまに対して直接祈るという関係を示している。「お祈りさせていただきます」となると、自分は会衆の方々より下の力しかない、私のような能力のない者がお祈りすることをどうか許して下さいとなるわけだ。日本語の意味の理解だけ達《たつ》者《しや》となり、その奥の真意にまで理解が届いていなかった当時の私は、そんな力のない人に、お祈りを代表してやってもらいたくないと思ってしまったのである。  私に悩みがあって、牧師に相談しようと思ったときのことである。私は珍しさも手伝って日本人の牧師のところへ行った。そのとき、日本人の牧師は、「お祈りすることが一番です」と言いながら、「私にもお祈りさせて下さい」と言うのである。これには私も驚かされた。牧師が私より低い位置に立とうとしているからである。韓国人の牧師ならば、必ず「お祈りして差し上げます」と言うものである。  このとき、私は次のような感じ方をしていた。 「〜させて下さい」というのは頼みであるだろう。したがって、「お祈りさせて下さい」という頼みに対して、私の方でイエスかノーか答えることが必要となる。そこで、私はその牧師の申し出を受けたことを表わすために、「どうかお願いします」と答えなくてはならなくなる。私は自分の心が弱くなっているからこそ相談に行ったのであって、牧師の頼みを受けるために行ったのではない。なぜ私の気持ちを察して、それにすぐ対応してくれないのか。さらには、弱い私よりさらに弱い姿勢でお祈りなんかしてはもらいたくない——。一方、「お祈りして差し上げます」と言われれば、すぐに私の弱くなっている心を察してくれたという印象を持てるし、また力強く堂々として見えるので、信頼が持てる——。 上下関係のけじめをつけたがる韓国人  さきほどの、美容室や八百屋さんでの話のように、韓国人は食堂で食べ物を注文するときなどには、「おいしくして下さいね」とよく言う。日本人の友だちにどう思うか聞いてみると、「それは失礼だ」という。食堂でおいしくしてくれるのは当たり前のことで、そんな言い方をするのは食堂を疑っていることになってしまうというのだ。韓国ではそれが情のこもった挨《あい》拶《さつ》であり、食堂の側も自分を認めてくれているお客さんに感謝の気持ちを持つことになる。  韓国では、食堂で働いているような人なら無視して当然だし、また働く側も無視されて当然だという通念がある。つまり対等に関係することを要せず、上下の関係としてあることが自然なのだ。「おいしくして下さいね」というのは、そうした上下の関係でありながらも、「あなたのことを気にしていますよ」という情をこめての挨拶なのである。が、それ以上親しくすることは、かえってよくないことになる。  ある日本のビジネスマンが韓国に行って、取引先の韓国人の社長と一日をともにしたときのこと。そのビジネスマンは韓国人の社長から、「なぜあなたは下の者に対してそんなに丁《てい》寧《ねい》な態度をとるんですか、そんな必要はありませんよ」と言われたという。  レストランに行けば店員に対して、社長の会社に行けば社員に対して、日本人ビジネスマンはきわめて丁寧な言葉で礼儀正しい対応をしたのだった。それに対して韓国人の社長は、下の者に気をつかったりすると必ず甘えてきて、いい気になり、けじめがつかなくなる、下の者にはそんなに弱々しい態度は見せるものではなく、毅《き》然《ぜん》とした態度で接しなくてはならないということを、しきりに説明したのである。  上の者が下の者を対等に扱わないことも事実だが、下の者にも上の者と対等に扱われたくないという意識がある。対等な雰《ふん》囲《い》気《き》がつくられると、上下関係がなくなり、きちんと仕事をする気分にならなくなってしまうからだ。  たとえば、自家用車の運転手ならば、家には上げずに必ず門の前で待たせておくものである。ところが、韓国に駐在したことのある日本人ビジネスマンは、運転手を家に入れて食事まで一緒に食べさせた。以後、その運転手は言うことをきかなくなってしまったとこぼすのである。対等ならばこちらの気分で仕事をしても当然だとなるからなのだ。  これは何も韓国人に限ったことではなく、階級社会の残影を強く引きずった社会では、きわめて一般的なことである。南米などで日本人ビジネスマンが、しばしばこうした問題で手こずるということをよく聞く。ただ韓国の場合は、これほどに経済成長をなし遂げた社会であるにもかかわらず、というところに特有の問題を見なくてはならないと思う。 私たち特有の「思い違い・くい違い・いき違い」  私(韓国人)とあなた(日本人)は、「私とあなた」を主題にするや、多くの場合、互いに思い違いをもたらす、ある特有な発想の型に囚《とら》われてしまうようだ。もちろん、同国人どうしにも、また他の外国人との間にも、思い違いやくい違いが、またそこから生じるいき違いがある。でも、その質は「私たち」のものとはまるで異なっている。 「私たち」の思い違いは、他のどの民族よりも近いという印象が避けがたくつきまとうため、いつしか外国人だという意識が薄れていってしまうところからやってくるように思う。そこから、私にとって気持ちのいいことが、あなたにとっては気持ちの悪いことであったり、また、私にとって気持ちの悪いことが、あなたにとっては気持ちのいいことであったりするようなくい違いに、大きないら立ちを覚えたり、さまざまないき違いが生まれたりすることにもなると思える。  実際、「私たち」は、お互いにどこかで過大評価か過小評価をやってしまっている。醜《しゆう》化《か》しすぎる反面で美化しすぎたり、また憎みすぎる反面で愛しすぎたりすることが、どこかで「私たち」の関係を形づくってしまっている。私は、思い違いをなくすというよりは、どうしたらこの思い違いを、もっとゆるやかでやさしいものに変えることができるのだろうかと思う。前著『スカートの風』から引き継いで、本書ではこの問題をさらに突っこんで考えていきたい。  第1章 すれ違う言葉と心        ——受け身の文化と能動の文化 受け入れ上手な日本と下手な韓国  たくさんの日本人とつき合ってみて感じることは、とても「受け入れ上手」だということ。多くの人たちが、出す力に比べると、受ける力がいっそう強いように感じる。外から流れてくる物事を受け入れ、それを整理して習慣化することには、どんな国の人びとよりも長《た》けているように思う。簡単に結びつけることはできないだろうけれども、それはやはり、自然な立地をきっかけとして歴史的に形成されてきた民族的な性格に由来するものに違いない。  およそ受け入れ上手な人とは、物事を直接にそのまま受け入れるのではなく、間に何らかのクッションを入れて、その直接的な生《なま》々《なま》しさに少々の距離を取ってから受け入れているものだ。そうして考えてみると、日本人の多くが、この距離の取り方にとても巧みなように思える。  はっきり言って、韓国人は受け入れが下手である。受け入れようと動くことには積極的だし、多くの場合日本人よりも素早いが、こなし方が下手なのである。それは、外から流れてくるものに対する距離感が、きわめて直接的なものだからではないだろうか。  私はこの受け入れに関する距離感の違いは、どうも、自然に対する距離感の違いに関連するものではないかと思っている。この章では、そのへんを巡る日本人と韓国人を論じてみることで、韓日の悲しくも、また、ときに楽しくもある「すれ違い」について考えてみたい。 日本の庭と韓国の庭  たとえば庭。韓国の庭は自然の景観をそのままデンと置いたようなもの。中国の庭でもそうだが、手入れらしい手入れをすることがないし、人工的に山や池や川をつくることもあまりしない。見通しのよい空間が広がり、その周囲に木々が連立するといった風《ふ》情《ぜい》が一般的である。  私の姉の子どもたち(小6と小4の男の子)が夏休みを利用して日本に遊びに来たときのこと。ちょうど、東京の椿《ちん》山《ざん》荘《そう》で私たちの親《しん》戚《せき》(在日韓国人)の結婚式があり、子どもたちと同行した。私が「結婚式場にはね、とてもきれいな日本の庭があるのよ」と宣伝しておいたため、彼らは彼らなりに、どんなすてきな庭なんだろうと、さまざまにイメージを描いていたようだった。  そして椿山荘に入って庭を散《さん》策《さく》する中で示した子どもたちの驚きよう、はしゃぎようといったら、それは大変なものだった。 「あれ、お池があるよー」 「あ、滝だ、すごーい」 「どうして、こんなところに川があるの……」 「あそこ、お山みたいになってるよ」 「あれー、お寺(実は神社のお堂)もあるんだね」  子どもたちが描いていたイメージは、高い木々が立ち並び、広く開いた空間を抱える大型の庭園だった。そこで思う存分かけ回ることを楽しみにしていたという。ところが、それこそ箱庭のように、ひと目で見わたせる小さな空間に、山や川や滝が所狭しと形づくられた光景を見て、「これがお庭なの?」と一瞬いぶかしげな目で見やったものの、すぐに、まるでゲームを楽しむような感じで、あちこちへの探検が始まっていた。  日本の庭は全体に低くしつらえてあって、人間の目の位置で一挙にとらえられるように出来ている。韓国の庭はその点、木々の背も高く、ひとつひとつの造《ぞう》作《さく》が大きい。『縮み指向の日本人』(李《イ・》御《オ》寧《リヨン》著・講談社)に、日本人が韓国の一流の庭に案内されて、その庭のなかを歩きながら、案内の韓国人に「庭はどこですか?」と聞いたという逸《いつ》話《わ》が載っている。  日本の庭は、本来人間には不可能な、自然全体を眺めることの出来る目(神の目と言っていいかもしれない)を、日常的な目に移し代えようとしたもののように感じられる。  一方、韓国の庭は、眺めるというよりは内部を散策する庭である。その散策は、威風堂々とした自然システムの主人公である自分を確認する自然の王さまの巡回のようだ。  そんな比較ができるとするならば、庭は、両者の自然に対する距離感を上手に物語ってくれているように思う。  自然と人間は、韓国の庭では、同じひとつのシステムのなかで差別的であり、日本の庭では、自然からいったん離れた人間がもう一度自然に向き合うことで差別的である。その意味で、前者はより直接的であり、後者はより間接的である。  古くは韓国にも日本と同じような形式の庭があったとも言われる。しかし、現在はその面《おも》影《かげ》すら感じさせるものはない。いずれにせよ、韓国にその形式が根づくことはなかったのである。現在の日本式の庭は、それが中国や韓半島からの文化の流れにかかわるものであったとしても、明らかに日本でこそ花開くことのできた文化である。 韓国人は花に話しかけない  私が東北に旅行に行ったときのこと。山間の村に続く、曲がりくねった狭い一本道を一人歩いていると、道《みち》端《ばた》にしゃがみこんだ老婆が、子どもに話しかけるようにして、「きれいね、しっかりがんばってね」と、語りかける言葉が耳に入った。そのすぐかたわらを歩いていた私は思わず立ち止まり、誰か他にいるのかと老婆を見やった。そこには老婆以外に誰がいるでもなかった。老婆は、紫色の可《か》愛《わい》い一輪の花をそっとなでていたのである。  これは一人の老婆の見せてくれたひとつの姿に過ぎないが、私はそこに日本人の心に特有な一面を、しっかりと見ることが出来たように思う。  もちろん、無意識に通りすぎてしまう日本人も多い。が、その老婆のことを帰ってからいろいろな日本人に話してみて、誰もが何ら珍しいことではないという反応を見せたことからも、きわめて日本的な心《しん》象《しよう》 風景のひとこまであることはすぐにわかった。  この老婆の見せた姿に物珍しさを覚えたのは、欧米人ならぬ同じ東洋人である私である。韓国人ならば、「きれいねー」と感嘆して立ち止まることはあっても、花に話しかけたりするなどあり得ないことだ。  ここでは、老婆の自然に対する距離感は、いとおしい存在に対する距離感と同じなのだ。これをさらに広げて考えてみれば、そこにあるのは、極力対立を避けて、できるだけ相手との親和なつながりを見出そうとする、日本人に特有な、あの、他者へのアプローチのあり方と、同じものだとは言えないだろうか。 韓国のファッションと日本のファッション  日本のお年寄りの多くが、「日本は西洋化されてしまって、もはや日本はどこにもない」ということをよく言われる。しかし、私にはそうは見えない。東京といえば世界都市といわれ、どれほど西洋化された都市なのだろうと思っていたのだが、少し住んでみて、東京が京都とはまた違った形で日本の古典的な香りをいきづかせていることを、肌身で感じることが出来た。  ソウルのファッション界は、パリのファッションをそのまま受け入れて、一瞬パリとも錯覚するほどの激しい変化を見せている。そこに、かつての韓国の面影は微《み》塵《じん》も感じられない。韓国のファッションと韓国の伝統文化とは何らの関わりも持っていないのである。  それに比べて、東京のファッション界の変化はきわめて落ち着いたものだ。戦後日本のファッションは、わずかな変化を見せながら流れ、なおかつ淀むことがなかった。それは、底の方に横たわる古き日本という源泉を常に汲《く》み上げ続けて来たからだと思える。  うまくは言えないが、日本のファッションは、パリの影響を大きく被《こうむ》りながらも明らかに日本的なのである。そこにも、日本文化が単層ではなく、重層的な仕組みを持っていることが見てとれるのではないだろうか。  私が日本で生活して九年になるが、その間、日本のファッションは変化したように見えながら、大きな動きはないように見える。反面、いまのソウルは、私がソウルを離れた九年前とはおよそ異なっている。パリそのままの色や形を浮かべていると言ってよい。ヘアースタイルを見ても、ショートカット、ショートパーマなど、そのときどきのヨーロッパの流行に合わせながら、刻々と変化していっているのに対して、日本ではこの十年、ずっとロングヘアーのままなのだ。そのなかでストレートかパーマかの変化を見せているに過ぎない。  外部を無条件に受け入れてしだいに底を失ってゆく韓国と、外部を受け入れながらも常に底から浮遊してくるものと混合させてゆく日本——。韓日ファッションの移り行きを見るにつけ、そんな対比が出来るような気がして仕方がない。  それに、韓国人は物質面ではまるで節《せつ》操《そう》なく見えるほど、外から入ってくるものを受け入れているのに反して、精神的な面ではかたくなに外部を受け入れようとはしない。物質面での柔軟さと精神面での頑固さ、この背反は何なのだろうか?  日本では親子間での世代差が激しいと言われるが、現在の韓国では兄弟の間ですら世代差が激しくなっている。「鎖国」が解けた途端にすさまじい変《へん》貌《ぼう》ぶりを見せる韓国。それを、明治維新直後の日本に似ていると言う人もいる。そうであるならば、韓国でもやがてすさまじい国風文化復興の波がやって来るのだろうか。  そうはならないと思う。韓国には、流れて来る有形な文化を、流れのままに無条件で受け入れ、次から次へと流し去ってしまう、何か得体のしれない文化の仕組みがあるような気がしてならない。 神社で食べたタコヤキの味  韓国に比べると、日本の流れはゆったりとした流れだ。外からのものが流入する経路が海であり、また背後も海で出てゆく所がないということで、ある種の余裕をもって日本が外部からのものを受け入れられていることは間違いない。日本の神社を見て、そのことがよくわかるような気がした。  現代韓国では一般に無視され、文化的には排除の対象となってしまっている伝統的な民間信仰(シャーマニズム)が、日本では、神《しん》道《とう》という文化装置によって、その直接的な刺激が和らげられ、しっかりと日常生活のなかに取り込まれているのだ。  韓国で伝統的な民間信仰と言えば、田舎のおばさんたちが、山や海に行って、大きな木の下などで祭をするのであって、現代韓国人にはかなりの拒否感を感じさせるものとなっている。ところが日本の場合は、東京の真中に多くの神社があり、そこで毎月のように例祭が行なわれている。また、観光地の海や山にも堂々と神社が立ち並び、そこでのお祭は観光名物ともなっている。また、会社の事務室にも神社のミニチュアを置いているし、大きな会社では庭にも神社を建てているのが見られる。そこに拒否感を感じる日本人はほとんどいないだろう。  私が最初に日本に来たとき、神社に大きな拒否感を感じ、なにかお化けでも出てくるのではないかと、とても嫌だったことを覚えている。  いまの私は慣れてしまって、むしろ親近感を感じるようになっているが、韓国から来る人たちに神社を見物させてあげようとすると、たいていの人は拒否感を感じてしまう。  日本に来てまだあまり日がたっていなかったころ、私は、東京のある神社でお祭があるということで、街のあちこちに注《し》連《め》飾《かざ》りや旗が飾られているのを不思議に思い、同じ大学の日本の男性にいろいろと質問をしていた。すると、その男性は私に「神社の祭に行ってみませんか」と誘う。私は、神社を気味悪く思っていたので気がすすまなかったのだが、とても親切に誘ってくれたので、それを無視することもできずについて行ったことがある。  彼は出店でタコヤキを買い、私に食べるようにすすめてくれたが、私は神社の気味悪さのイメージと重なり、口に入れたタコヤキを飲み込むことができず、彼には見られないようにして、そっと口に紙をあてて吐き出してしまった。  タコヤキそのものは私の好物なのだ。学校の近所や観光地ではよく買って食べる。が、私がクリスチャンであるから余計にそうだったのかもしれないが、神社で売っていたために、そのタコヤキが何か悪魔がついた食べ物のように感じられたのである。 日本は悪魔の住む国?  次は、私が聞いた、ある、日本に滞在する韓国人宣教師のお説教の一節である。  日本にはどこに行っても悪魔の家(神社のこと)がたくさんあり、邪気に満ちている。そこには八《や》百《お》万《よろず》の悪魔がいる。日本はそういう国だから、はやくこの悪魔を追い出してキリスト教を入れなくては、日本は神の天罰を受けてしまう。日本人はそういう恐ろしい面を秘めた二重人格者であって、かつては武器をもって、いまは経済力をもって世界を支配しようとしている。日本人は悪魔を崇拝するから呪《のろ》われており、そのため忙しく働く一方、兎小屋に住むことになっている。国は金持ちだけれども個人は貧乏で、一生懸命に働くだけでその祝福はキリスト教の基盤をもったアメリカ人がみんな受けてしまう。そこで、日本人は、結果的に祝福を受けることを味わうことのできない民族なのだ——。  ご都合主義もいいところだが、それはともかく、韓国人にとって忙しいということはよくないことであり、忙しくしているのは恥ずかしいことなのだ。一方、日本人にとって忙しいことはよいことである。  あるとき、知り合いの日本人ビジネスマンから電話がかかってきて、手紙の一文を韓国語でどのように書けばよいかと聞いてきた。それは「おかげさまで忙しく勤務しております」というものだった。  これを聞いて、私は思わず笑ってしまった。「おかげさまで」ということと「忙しい」ということを結びつけると、韓国ではとんでもないことになってしまうからである。「おかげさまで忙しい」ということは、「あなたのせいで私は忙しい」ということであり、忙しいということは韓国では悪いこと。となれば、手紙をもらった韓国人が日本をよく知らない人であれば、きっと怒り出すに違いないのである。  日本人にとっては忙しいことは祝福を受けていること。そういう日本に慣れてしまった私は、韓国人に「最近どうしてますか?」などと聞かれて、うっかり「何かと忙しくて……」と答えてしまうことがある。そんなとき、韓国人は「そうですか、そのうちよくなるでしょう」と慰《なぐさ》めてくれるのである。  多忙を祝福と感ずると言えばキリスト教的な言い方になるが、多忙であることに喜びを感ずることができるのは、おそらく日本人だけではないかとも思う。最近の若い人たちは海外旅行やレジャーのために仕事をするとか言われ、多忙を好まないと言われるが、私の感じでは、単にある程度そうなっているに過ぎないように思える。  一流企業に勤める二十三歳になる日本のキャリアウーマンと話したときのこと。彼女はしばしば海外旅行にも出かけ、けっこう遊んでいる。その彼女は、「上司が部下をえこひいきするので、どうしても上司に愛想をよくしていないと仕事をくれない。でも私はおべっかを使うのが嫌で……」とこぼすのだった。  私にはそうした日本人の気持ちがよくわかっていたが、わざと韓国人的に対応してみた。「あら、仕事がないなんていいじゃない?」と。すると彼女は、「会社で暇なほど辛《つら》いことはないのよ」というのだった。  これを称して、韓国人は「日本人は悪魔に呪われている」と言うのである。 天帝思想と多神教  いろいろな神さまを祭っている神社は、まるで自然の風景のように日本人の生活に密着している。でも、多くの人が、そこにどんな神さまが祭られているのかにそれほどの関心を持っていない。また、神の存在を信じている人も少ない。つまり、日本人の神社への対し方はおよそ無意識的なものである。  神社に対する現代日本人の思いは、宗教というよりは、生活的な感性に対応している。一方、韓国の儒教は、宗教というよりは社会的な生活の規《き》範《はん》となっている。  合格祈願に神社に参拝したという大学受験生に聞いてみたことがある。 「神社にお祈りすれば受験に効果があるとほんとうに思っているの?」 「そういうわけでもないけど、みんな行くしね、自分もやっとかないとって思うから——なんかそういう気分になるんだよね」  こんな答え方は多くの外国人をとまどわせるに違いない。それは日本の神道なるものの理解し難さにもつながっている。  神道は、何でも受け入れて、それを浄化してゆく日本文化の精神的な器、あるいは装置と言えば近いように思える。シャーマニズムから道教、儒教、仏教までを吸収するのはいいとして、特殊な例だとは思うが、近年ではキリストを祭る神社まであるという。神社に十字架を祭っているのだ。また、新興宗教の多くに見られるように、唯一神であるキリスト教の神さえ神道のなかに入れて、他の神々と列席させてしまう。なぜそのような、一種デタラメとも思える変質が可能なのだろうか。  韓国では中国の儒教的な天帝思想を受けていたため、それが唯一神を奉ずるキリスト教との合体を容易にした。したがって、キリスト教とは言いながらも、きわめて儒教的な倫理の香りを漂わせているのが韓国キリスト教の特徴である。  たとえば、現代韓国キリスト教躍進の旗頭とも言える、ある韓国人宣教師は、日本のある地方テレビ局の番組でのお説教で、次のようなことを話している。 「神と人間の関係は主と僕《しもべ》の関係ですね。これは主人とそれに従い仕える者との関係ということです。同じように、社長と社員の関係も主と僕の関係であり、夫と妻の関係もまた主と僕の関係です。ですから、社員は社長に、妻は夫に、主に従う僕のように仕えることが神の教えなのです」  これを聞いたという日本人クリスチャンは唖《あ》然《ぜん》としていたが、儒教的な倫理を旨《むね》とする韓国人には、実に通りのよい説明なのである。  日本にも天帝思想が入ってはいるものの、庶民にはまったく浸透しなかったようだ。あくまで自然崇拝的な多神教が生き続け、唯一神信仰には世界で稀《まれ》に見る防波堤を形づくることになっている。神道の背景には、多神教という、たくさんの神々の集合力(自然力)への信頼がある。それは、多数が集まって力を合わせ、独特な集合の力を生み出している日本に最もふさわしいものと思える。日本人には、自分独自の意見を頑強に主張し、人の意見を聞かないで、非妥協を貫くことには何かが不安なのだ。  私は『古事記』のなかで、日本の国土を創った神が三人の子どもたちにそれぞれの責任を与えた話を読んで、かなりのショックを受けた。  その神、イザナギノミコトは、長女は太陽の神に、長男は月の神に、次男は海の神になって、それぞれ世の中を治めることを命じた。しかし、次男のスサノオは自分に与えられた責任を果たそうとせず勝手に行動するので、この世の中の天候が荒々しいものとなり、ついに太陽が隠れて暗《くら》闇《やみ》の世界になってしまった。そこで、この世の対策のために、天上の神々が一堂に会して協議するのである。なんと、神々の協議なのである。  協議を好み、団結を好む日本人の性格は昨日今日つくられたものではないことを知った。現代日本人の心の底には、依然として多神教的な自然観の意識が流れているに違いないのだ。 韓国の儒教と日本の神道  日本が多神教の伝統をひいているなら韓国もそうではないかと言われる。確かにそうだ。しかし、韓国には日本の神社や神道というクッション(媒介)がないため、日本のように、多神教の持つエネルギーを現代市民社会のより高度な発展へと向かう力に変えることがいまだできていない。  沖縄などに見られる巫《ふ》女《じよ》が行なう祭のように、シャーマン(韓国ではムーダン)が神を降ろして行なう祭を韓国ではグッという。古くは国のグッ、村のグッがあり、制度的な力もあった。現在でも法事のときなどに行なうこともあるが、戦後禁止されたこともあって、急速な近代社会の発達とともに力が衰え、市民社会からはかえって排除される対象となってしまっている。  そのように、韓国の多神教の伝統は、日本のようにクッションを通して市民社会の無意識層に浸透しているものではなく、市民社会とは別個に、田舎、あるいは前近代的な場においてだけ、各地に細々と生きているに過ぎない。この点、日本とは大きく事情が異なっている。  韓国のシャーマニズムは、最も一般に浸透している儒教にもキリスト教にも彩りを与えているが、日本では、シャーマニズムを神道という形に整え、それを器としてさまざまな宗教を受け入れてきている。その点、神道はまさしく「受け身の宗教」なのである。  韓国は儒教、キリスト教という外来の器に自前のシャーマニズムを流し込んでゆくが、日本は神道という自前の器に外来の宗教を受け入れ飲み込んでしまうのである。 「感謝、ありがとう、サンキュー」の使い分け  神道は受け身の宗教だといったが、それは、協議する日本の神々のように、他人の意見を聞き、意見の調整をしないと気が済まないという日本人の性格そのものでもある。そのことが、日本語にはとてもよく現われている。  日本語の文字には漢字、カタカナ、ひらがながあって、どんな外国語の受け入れにも対応できるようになっている。受け入れを身《しん》上《じよう》とする日本文化ならではのものと言えるだろう。  漢字で中国大陸から入った文化用語や形式的な言葉に対応させる。またカタカナで主に欧米からの外来語に対応させる。そして、ひらがなによって固有語をそのまま残すことができる。  たとえば、「感謝します」で形式的な姿勢を表わし、「ありがとう」を使って情のこもった日本的な雰囲気を表わし、「サンキュー」をつかって軽い挨《あい》拶《さつ》に代えている。このように、外来語を無理なく受け入れられる器があるということも、日本特有のものだと言うしかない。 韓国人は「受け身形」に弱い  私が日本に来て日本語学校に通っていたときのこと。日本語は韓国語と文法も語順もほとんど同じで、違和感がないために、韓国人にとっては早く習得することのできる言語である。そのため、他の外国人のような苦労がなく、はじめのうちはスイスイと進む。そこで、韓国人は「自分たちは外国人より頭がいいんだ」と思うことにもなる。私もそう思ったものである。  しかし、何カ月かたって大きな壁にぶつかった。教師のさまざまな質問に生徒たちが答えるのだが、十四人の外国人留学生のなかで、ただ一人の韓国人である私だけが、どうもうまく答えられていないのだ。それは、受け身形の使い方の授業だった。  それまで、成績のよかった私のテストの点数がグッと下降しはじめてもいた。教師からはもっと自宅で勉強してくるように言われるのだが、自分では十分にしてきているつもりなのだった。そして、だんだんと教室で教師の言うことを理解することが難しくなっていった。  そんな状態が続いて、しだいに学校に行くことが嫌になってしまった。私はしばらく学校を休み、受け身形が終わってまた学校に行きはじめた。難しいからと、私は受け身形をパスしてしまったのである。そのため、受け身形の日本語をものにするまでに、大変な苦労をすることになってしまったのだった。  たとえば、テレビを見れば「あなたにまでそう思われるとつらい」といって夫婦ゲンカをしている。また「そう言われると嬉しい」と友だちが喜んでいる。こういう言い方は韓国ではしない。日本語ではほとんどの動詞に受け身形をつくれるが、韓国語ではほとんどの動詞が文法的に受け身をつくることはしないのだ。そのため、韓国人には受け身形の習得がことのほか難関となっているのである。 まったく逆になる関心の行き先  窓の向こうの方からこちらの部屋の中を見ている人物がいるとする。そんな場合、日本人ならば受け身形で「誰かに見られている」と表現する。韓国人ならば能動形で「誰かが見ている」と表現する。これは私が何回か実験してみて確かめたことである。  この表現の違いは、単なる文法的な形の違いであって、意味としては同じものである。しかし、表現を支える両者の心理は正反対となっている。  私は小さな教室で韓国人に日本語を、日本人に韓国語を教えている。この教室は、大きな通りに面していて展望がきき、窓も広くとってあって明るく、私はとても気に入っている。ある日、韓国の女たちに日本語を教えているとき、一人の生徒が叫んだ。 「あら、向こう側から誰かがのぞいているわ」  瞬間、全員が窓の向こうのビルディングへ顔を向けた。一人の男が望遠鏡で向かい側のビルディングのベランダからこちらを見ているのだった。彼女たちは、「なんか変態みたいな人ね」と、口々に言う。若い美人ばかりが集まっている私の教室に、好奇心を持ってこちらを見ているのだろう。  そのとき私が気づいたことは、誰一人自分たちの方に関心を向けて装いを正すとかいったことはなく、こちらを見ている男について、あれこれと言うばかりだったことである。 「いやらしそうなおじさんね」 「日本人には変態が多いってね」 と、そのまま日本人の変態へと話題が流れていった。 「私の部屋は二階なんだけど、ベランダに干してある下着が毎日少しずつなくなっていくのよ、とても怖くて」 「変態みたいな電話が多いでしょう? いやになっちゃうわね」 「日本の雑誌って、どうしてあんなにヌードの写真ばっかり載せるの?」  こうして教室がうるさくなり、しばらくは授業が中断してしまう。  そして、私の教室を日本人の友だちが訪れたときのこと。彼女は、「部屋が明るくていいわねえ」と言ったあと、 「でものぞかれやすいわよ、気をつけないと変な男に狙《ねら》われるわよ、ついカーテン引くの忘れちゃうときもあるから」 と言うのである。あくまでも、のぞかれるのも狙われるのもこちらの責任だから、こちら側が気をつけないといけない、のぞかれないように必要なときはカーテンを引きなさい、という言い方なのである。  韓国の女たちの話では、のぞかれたり下着を盗られたりするから、こちらが何か気をつけなくてはならない、という話はいっさい出なかった。  韓国の女たちの場合は、のぞく方が悪い、のぞくのは止めなさいという主張。日本人の場合では、のぞかれる方が悪い、あるいはそんな状態ではのぞかれても仕方がない、気をつけなさい、という主張になる。 「誰かに見られている」では、こちら側の状況が重視され、こちら側の行動へと注意が向けられている。一方、「誰かが見ている」では、こちら側の行動より、誰がこちら側を見ているのかという相手側に関心が向けられている。  日本のテレビではアナウンサーが、「子どもが何者かに連れられていって山で殺された事件がありました」と述べている。韓国でならば、「何者かが子どもを連れていって山で殺した事件がありました」と言うだろう。子どもに関心がゆく日本人と犯人に関心がゆく韓国人の違いがここに見えている。  電車に乗ろうとホームの階段を駆け昇りながら、大学の先生が私を急《せ》かせて言う。 「早く走ろう、電車に逃げられるよ」  あなた、いくつなの? と聞く私に少女が恥ずかしそうに言う。 「えへへー、聞かれちゃった」  知人がそっと私に耳打ちする。 「あの人は奥さんに逃げられたのよ」  乗ろうとしたタクシーに、先に他の人が乗ってしまった。  そこで、「ああ、あの人が乗ってしまった」と言う韓国人。先に乗った人を非難することになる。「ああ、乗られちゃった」と言う日本人。先を越された自分への悔しさに重点が置かれている。  気がつかなかったこちらが悪いという日本人。あちらが悪いという韓国人……。 韓国人は弱点を隠す  韓国人どうしでは、「韓国人というのはすぐこれだからしようがない」とか、「どうも韓国人はこういうところがなってない」など、自ら韓国人の批判をすることはよくあることだ。それについては、日本人とそれほど変わりはない。  ただ、韓国人の場合は、その場に外国人が入ってくるや否や、自国の悪口についてはピタッと話をやめてしまう。それは、誰かが目配せしたりとか、申し合わせていたりとかいうのではなく、ごく自然に、実に見事にそうなってしまうのである。外国人が入った話の場では、「韓国人」がそのまま「自分」になってしまうのだ。  ある日、私の事務所で、日本に長く滞在している韓国の女たち——ホステス、奥さん、教会関係者などが集まっての雑談のなか、話題はいつしか現代韓国の男性批判に集中していった。 「韓国の男たちはなんであんなにワイルドなの」 「まるで未開人みたいな人ばかりじゃない」 「それに、お金のことしか頭にないのよね」  そこへ日本人の女性が入って来た。彼女は韓国語がわからないので、「ねえ、どんなこと話してたの?」と、身を乗り出して来る。私は日本語で話題を続けようと、「韓国の男の……」と言った途端に、韓国の女たちにすぐ言葉を切られてしまった。そして韓国語で、「そんな話は私たちの間で話すことで、日本人にしてはいけないでしょ」と非難するのである。  また、日本で働く韓国の女たちの事情について、私が日本のテレビでインタビューを受けたときのこと。赤坂の韓国料理の店で録画撮りが行なわれたのだが、店の女主人は私の発言が耳に入りはじめるや、カメラの後ろに陣取り、終始私の方を睨《にら》むようにしてみつめ続けていた。そして録画撮りが終わると、すぐに私のところへやって来て、韓国語でまくしたてるようにしてこう言うのである。 「私はあんたのお母さんのような年だから言うけどさ、あんたね、あんな内輪の恥ずかしい問題を日本人に話しちゃ失礼でしょ。言いたいことがあれば私に話しなさいな」  もちろん、失礼だと言う以上に、韓国人の弱点(と感じていること)を話されるのが嫌なのである。 現代韓国の義兄弟  では韓国人は誰にも弱点を見せないのかというと、そうではない。それは外に対してだけであって、家族や仲のよい友だちの間では、それこそ心の底まで披《ひ》瀝《れき》するのである。  最近は少なくなったが、二、三十年前までの韓国では、同級生、同窓生など同年代の間で、仲のよい友だちどうしが、擬似的な兄弟姉妹の関係を結ぶことが多かった。その関係はどうやら親《しん》戚《せき》との間のそれよりも深いものとしてあったようだ。私の父とか母の世代では当然のことだったという。  私が小さいとき、父と兄弟のようにしていた人たちは、いまに至るまで、ずっと仲よくしている。大部分は男は男どうし、女は女どうしが関係を結ぶのだが、なかには男と女が義兄弟となるケースもあったようだ。  こうした義兄弟の関係は韓国の史書にも見られるが、その関係の意識は「ひとつの身体になること」と言っても過言ではない。こうしたことは、現在の四十代以上の世代にはよく見られる。それより下の世代では、その青春時代にはすでに、社会が急変して人口の移動も激しくなり、目まぐるしく世の中が移り変わる時代に入っていたこともあって、義兄弟の縁を結ぶといった、牧歌的な風習は影をひそめてしまったように見える。  確かに韓国は、この十数年の間で、人びとの服装も町並みも、その外見はすさまじい勢いで変《へん》貌《ぼう》を遂げている。しかし、その精神面ではほとんど大きな変化を見ることができない。事実、義兄弟といったものも、その形を変えて、現在でもなお生き続けている。  現在でも、学校の友だちで気に入った者がいると、それが兄弟のようになって、無意識のうちにひとつの身体になってゆくのだ。とくに男たちでは、大部分がそういった友だちを持っていて、結婚をした以後も、なおかつその友だちに大きな親愛の情を寄せて頼ろうとしている。たとえ真夜中であっても、友だちが訪ねてくれば、夫は友だちを歓待し、妻も一緒に友だちを接待しなくてはならない。  また、妻を家において遠くの地に行かなくてはならない夫は、友だちに妻の面倒を頼むこともよくあることだ。これが最近では変な事件となってしまう場合も多いのだが、これは女どうしの友だちでも同じこと。妻に独身の友だちがいたりすると、その夫までが妻の友だちの身辺のことについていろいろと心配し、また世話をするのである。 三人で夫婦となる?  最近、この義兄弟の関係について、韓国人の私ですらびっくりするようなことを、日本に来た若い韓国人ビジネスマンから聞かされた。  仕事の話が一段落して雑談に入ったとき、私が彼に「結婚されているんですか?」と聞くと、彼は「これがワイフです」と言って、内ポケットから一枚の写真を出して見せた。「へえー」と言って手に取って見ると、なぜか二人の女性が写っている。しかも彼は、どちらかを指さすのではなく、「これが……」と言って写真そのものを示したのである。  それでも、私はどちらかだろうと思い、「どちらが奥さんですか?」と聞くと、やはり「これです」と写真を指さす。私は思わず「ええー?」と声をあげ、再び「どちらなんですか?」と聞くと、彼はちょっと肩をすくめて見せ、ゆっくりとした口調で説明してくれた。 「実は、この二人はとても仲のよい友だちでして、私はこっちと結婚したんです。でも、二人はずっと仲のよいままで、私たちの家に来て一緒に泊まったりすることもちょくちょくあるんです。もちろん、自分とも仲がよくて、旅行も三人で行きますし、旅館でも三人でひとつの部屋に寝るんです。妻の友だちも私を一人の男として好きだと言います。それで彼女は、『あなたが私の心にあるから』と、三十歳になった今も結婚しないと言い張っているんです」  私はそこまでの関係ってあるものなんだろうかと興味が膨らみ、「奥さんはヤキモチやかないんですか?」と聞いてみた。 「もちろんやきませんよ。彼女たちは、二人一緒で私のことを好きだと言うんですから」  まさしく、「二つの身体がひとつになっている」のである。ただ、三人で街を歩いているときなど、彼が他の女性に目をやったりすると、それは大変なことになると言う。二人の間では発生しないヤキモチが、他の女との間では、すさまじいものとなるらしい。  はじめのうちは、二人の女に愛されている、なんて幸せな男だろうと思っていたが、常に二人の女から厳しく監視される身とあっては、それほど幸せとは言えないかもしれないと思った。  もちろん、これは珍しいケースなのだが、こうした関係が存在すること自体には、韓国人ならば大きな疑問を持つことはない。その意味ではよく理解できることなのである。それよりも、これほどの友だちを持っているということは、何より大きな財産だと考えてしまう。  ここまで行かなくとも、次のようなケースは韓国では別段珍しいことではない。  私の友だちが、ご主人と子どもをおいたまま、日本へ観光旅行へ来たときのこと。私は彼女に、「家の方はご主人と子どもさんだけで大丈夫なの?」と心配して聞くと、彼女はこう言うのである。 「友だちに任せてきたわ。友だちが御飯もつくってくれるし、洗濯もしてくれるから安心よ。それくらいの友だちじゃなければ、友だちとは言えないでしょ?」 すべての秘密を明かしてこそ友だちである  こんな韓国から来た私は、日本での友だち関係なんて、まったく友だちとは言えないとずっと思っていた。ほんとうの友だちならば、ひとつの身体になるとともに、秘密を持ってはいけないのが韓国での友だちだ。韓国では、お互いに気に入って、友だちになりたいと思えば、まず自分の秘密から話すものだ。  秘密とはだいたい、自分にとっての重要な悩みなのだが、それをまず話して、そこで通じる相手か通じない相手かがわかるから、それで通じると感じられれば、晴れて仲のよい友だちとなることができるのだ。  そうすることによって、お互いの腹の底をわかることができるし、どうつき合えばよいのか、どんなときどうすれば相手が喜ぶのか、また悲しむのかもよくわかることができる。自分の悩みを話さない人とは友だちになれないし、またそういう人はどうしても仲間はずれになってしまう。自分だけの秘密をかたくなに守ろうとしている人は、決して誰も友だちになろうとはしない。たとえば、五人で友だちになるとすれば、五人が集まって、一人一人、自分の秘密、悩みをすべて語るのである。  あの人は私の秘密を聞いてくれた、また、あの人は私を信じて私の人格を認めてくれたからこそ、大切な自分の秘密を話してくれた——そう思えるところから信頼感が湧《わ》いてくるのである。そして、私の大切な秘密をしっかりと守ってくれることこそ、自分に対する義理だと思うのである。  こうして仲よくなった間では、よいことであれ悪いことであれ、常に一緒に行動する。それが友だちなのだ。  韓国の諺《ことわざ》に、「友だちに従い江南へ行く」というのがある。江南とは遠い土地の意味だが、この諺は、友だちならばどんな遠いところへも一緒に行くし、文字どおりどんなことでも一緒にやる、ということを意味している。前著『スカートの風』でもお話ししたように、韓国から遠くの地である日本へ行き、ホステスを仕事とする女たちのなかには、友だちについて一緒にやって来る者が多い。友だちと一緒なら何でもできる——この気持ちは、韓国人に強い行動力を与えるものとなっている。  韓国では親が子どもに向かって、「よい友だちに巡り合わなくてはならない」とよく言う。言葉自体は日本でもどこの国でも言うことに違いないが、韓国では友だちならば悪いことでも一緒にやってこそ友だちであり、それでこそ友だちとの義理を守ることになるのだから、この言葉は親にとっては、きわめて重いものとなっている。 なぜ日本人は自分の悩みを話そうとしないのか  こうした韓国の強い友だち関係の結び方は、私にとっては身に深く染み込んだものであって、なんとしても変えることのできないものとしてあった。そのため、どうしても日本人の友だち関係のあり方は理解することができなかった。いや、理解できなかったばかりではなく、私の心に大きな葛《かつ》藤《とう》をもたらし、私はどうすることもできない寂しさに襲われ、身も心もぐったりと萎《な》えきったような気分に陥ってしまったのだった。  まの悪いことに、日本の大学に入ってみると、同期生のなかで韓国人は私一人だったのである。友だちなしではいられないと、私は懸命に日本人の学生に積極的に接触した結果、やがて、数人のグループの一員となることができた。  何をするにも一緒で、トイレまで全員で行くような、楽しい仲間であった。私が外国人だということで、彼女たちはよく私を助けてくれもした。講義をよく聞き取れずにノートを取りそびれている私にノートを貸してくれたりしながら、積極的に私を助けてくれようとする彼女たちの真心は肌で感ずることが出来た。  しかし、それでも私はとても大きな寂しさを感じ続けていた。私はなんとしても心を開いて話し合いたかった。彼女たちは、お互いにいいことばかりを話そうとし、それぞれの秘密や悩みに関する話は避けようとしているのである。彼女たちはいつも快活で明るく、また笑える話ばかりしていて、個人的な悩みを話そうという雰《ふん》囲《い》気《き》を誰もがつくろうとしなかった。したがって、彼女たちの個人的な事情のようなものは、まるで聞くことができなかった。そうならば、彼女たちはどのようにして個人個人の悩みを解消しているのだろうか。そのことがどうしても理解できなかった。  ただ、私が韓国人そのままに、親しいどうしの間でよくやるように、知らずに彼女たちにスキンシップをしていて、気持ち悪がられたことがあったかもしれないとも思う。それには、こんなエピソードもあった。  ゼミの合宿のとき、みんなでお風呂に入った。なかの一人がとてもきれいな乳房をしていたので、私は思わず「きれいねえ、うらやましいわ」と、手を出して彼女の身体に触れようとした。すると、彼女はパッと身を引き、無言のまま、怒ったような顔をして私の側を離れて行った。  当時、私はこうした日本人の態度がまったく理解できなかった。欧米でならば同性愛的な感じになるのかもしれないが、韓国では同性の身体に触れることは、親しさのせいいっぱいの表現でこそあれ、決して嫌らしいことでも失礼なことでもないのである。  そんなこんなで友だち関係で壁にぶつかった私は、可能性をもとめて、それまで仕事だけのつき合いだった勤務先で出会う日本人ビジネスマンたちと、ビジネスを離れた個人的なつき合いを積極的にやっていこうと思った。  しかし、そこでも、人の悩みを聞こうとする雰囲気がまるで生まれない。思い切って、ある気のあった人といるときに、私は自分の悩みを話そうとした。ところが、その人は、「何だか知らないけれど、他人の悩みを聞いても解決するもんじゃないし、心が痛くなるだけだから止めようよ」と、話を切られてしまったのだった。  なぜなのか? なぜなのか? いくら考えても日本人というものがわからなかった。同じ人間なのに、なぜ悩みを分かち合おうとしないのか? 人間ならば当然することを日本人はやろうとしない、そうならば、日本人は人間じゃない——そう思った。 あなたにとって友だちとは?  友だちがいまどんなことで悩んでいるのかを知り、そして友だちと一緒にそれを悩み、痛みを分かち合うということは、文化の差別なくすべての人間のなすべきことだということは、私は心から信じられる。しかし、日本人はどうもそうではないらしい、そうならば彼らは人間ではないのか?  何度も何度も自分にそう問い返してみた。  人間ではない? やはりどうしてもそうは思えない。どこか私には見えない何かが隠れているのではないのだろうか? 私はそう思い直して、会う日本人ごとに、こんな質問をしてみることにした。 「心の悩みを友だちに話していますか? 個人的な悩みは誰によって解決していますか?」  多くの人は、心の苦しみは一人で解決し、他人に話す場合は、その間に距離を置くことになってしまう、と答えるのだった。私は呆《あつ》気《け》にとられてしまった。  私は昔ほどではないが、いまでも友だち関係については少々悩んでいる。もちろん、日本的な友だち関係の、淡くて長続きする、ほのぼのとした情感が行き交うよさも、いくらかは体験している。そして、相手によけいな負担をかけたくないからこそ、容易なことでは個人的な悩みを話そうとしないことも、理解できているように思う。  確かに、韓国人のように、すぐ相手に自分の悩みを話し、人に頼ることは甘え過ぎだと言えるかもしれない。でも、と思う。どうして人はそんなにも強くなれるものなのか、それがいまだによくわからない。  受けることに強く、出すことに弱い日本人という私の感じ方は、こんなところでも出てくる。  あなたにとって友だちとは? という私の問いに対して、最近、ある日本の男性がこんな話をしてくれた。 「人間、人生に一度くらいはにっちもさっちも行かないことがある。そんなときには『こいつがいる』と思える友だちが僕にはいるよ。いまだにそいつに自分の悩みを話したことはないけれど、また一生話すことはないかもしれないけれど、いざここ一番というときに、こいつだけは信じられるという感触を持てる相手、で、そいつには絶対に迷惑をかけないというこちらの思い、それが互いに通じ合えていると感じられていれば、僕はそれで満足だね」  この人の友だち観がどれほど日本人の間で共通性を持つものかはわからないが、この言い方には私も納得できるところがある。徹底した受け身の姿勢とも言える。しかも、これは最終的な何かを信じようとする、一種の信仰であることも事実だろう。 メンドリが鳴くと家が滅びる  直接的、間接的という言葉を使えば、韓国人の友だち関係はきわめて直接的なものであり、日本人のそれはずい分と間接的である。韓国人の直接性を好む性格は、色でいえば直接目に鮮やかな原色の派手な色が好きだとか、味で言えば舌に直接強い刺激を与えるものが好きだとかいうところにも、よく現われているように思う。  物事の理解についても、韓国人には、諺のように、体験的に直接理解できる言い方が好まれる。現代韓国でよく使われる諺を頭に浮かぶままアトランダムに上げてみると——。   「瓢《ひよう》箪《たん》をかぶる」(物を普通より高く買ってしまった) 「瓢箪をひっかく」(いやな音がでる。女が男にキーキー文句を言う) 「女の運命は瓢箪(釣《つる》瓶《べ》)の運命」(上下する釣瓶のように、男によって女の運勢は変わってくる) 「飛行機に乗せる」(おだてる、ごまをする) 「寝て餅を食べる」(仕事をしなくても必要なものが手に入る=朝飯前=簡単だ) 「ころがって入ってきた餅」(棚からボタ餅) 「虎穴に入っても精神さえ正しく持てば生き残れる」 「知っている道でも聞いて行け」    諺にはよく瓢箪が登場するのだが、古くは宗教的な意味もあったらしい。しかしいま残っているものは、かつて身近な生活用具としてあった瓢箪への親しみからのものが多い。  日本と同じように、韓国にも新旧とりまぜてさまざまな諺や言い回しがあるし、その多くが日本や中国のものとの共通性を持っている。また、諺のあり方にも大きな違いはないようだ。  ただ、韓国人が諺から感じるイメージには、どうも日本人のそれよりもかなり直接的なものがあるような気がする。たとえば、「〜の現象があると〜が起きる」といった、未来を予兆するような諺は韓国にも日本にもあるが、実際にそうした現象が起きると、日本人が「縁起でもない」と苦笑いする以上に、韓国人にはそのことが大きく気にかかるものである。  それが重要な事柄にかかわるものであればとくに、とてもそのままにしてはおけない気持ちになってしまう。それは、迷信を信じる信じないということよりも、物事をより直接的・感覚的にとらえてしまう、性《しよう》分《ぶん》のようなものからきているように思われる。  その典型的な例を、私が幼いころにした体験からお話ししてみよう。  韓国でいまでもささやかれる、「メンドリが鳴くと家が滅びる」という諺は、中国から入ったもので、日本にも入っていた。これは、「メンドリが時をむすぶ(鳴く)ことは尋常ではないことであり、オンドリをさしおいてメンドリが時をむすぶということは、自然のあり方に逆らうことで、天を支える中心が倒れ、世の中が崩壊するときである」という意味になる。  そこから、妻が夫をさしおいてしゃしゃり出ると、家を支える主人が倒れ、家庭が崩壊するとか、その家の女が男をさしおいて社会的な活動をしたりすれば家が崩壊する、といった意味として通用している。  私が小さいとき、家にニワトリを飼っていた。私たち家族は、毎日タマゴを生むメンドリに、いつも感謝していた。産んだばかりの暖かいタマゴをそのまま街に持っていってお菓子と交換したこともある。  ある日の明け方近く、私はすぐ側で寝ている母の、何かブツブツとつぶやく声に目が覚めた。 「どうしたの?」と私が聞くと、母は、「メンドリが鳴いたのよ。あれはオンドリとは違う声よ、大変だわ」と言う。確かに、私の耳にもメンドリ特有の声が聞こえてくる。  私は起き上がって外に出た母のあとをついて、まだ暗い庭をソロソロと鶏小屋へと歩いて行った。鶏小屋に入った母は、私の見ている前で、すぐさまそのメンドリをつかむや、おもいきり首をひねって殺してしまったのである。  私も例の諺をよく耳にしていたから、そのメンドリを殺さなくてはならないという母の気持ちはよくわかった。でも、あの暖かいタマゴの感触をいつも楽しんでいた私は、メンドリが可《か》哀《わい》相《そう》でならなかった。  翌日、そのメンドリは母に料理されて私たちの食卓を飾った。家族はみんな喜んで食べ始めたのだったが、とりわけトリ肉が好きだった私は、どうしても食べることができなかった。  そのとき私は子ども心にこんなふうに思った。  鳴けば死につながることも知らずにいた哀れなメンドリは、昨日まで、どこまでも生きようと懸命にエサを食《は》み、私たちのためにタマゴを生んでくれていた。家が滅びると言われるから、とても残酷なことだけど、殺してしまわなくてはならなかった。なんて悲しいことなんだろうか。  以来、ずっと長い間トリ肉を食べる気になれなかった。  翌日、近所のおばさんが、わざわざ「ゆうべメンドリが鳴いたよ」と知らせに来た。メンドリが鳴けば、いち早くその家に知らせてあげて、家の崩壊の原因を排除することが、村の人びとの当然なすべきことなのだった。  この諺の韓国での現代的な解釈では、男の蔭にいてこそ女はその美しさを発揮することができるものであり、女が男より目立つようになり、あちこちと走り回ってゆくと、男が力をだせなくなって家が滅びるのだという。女が社会に出ていろいろと活動することを、チマパラム(スカートの風)と名付けて韓国の男たちが嫌がるのも、ひとつにはそうした背景があるからである。  縁起をかつぐ場合でも、男権社会韓国では、悪いことにはしばしば「女」が引き合いに出される。たとえば次のように。 「その日の(タクシーに)最初に女を乗せると運が悪い」 「正月に最初に会った者が女だとその年の運が悪い」 「会社で最初の電話が女だとその日の運が悪い」  実際、私はいまでも、朝早く会社に電話することにはためらいを感じてしまう。韓国ではとても失礼なことになるから、つい躊《ちゆう》躇《ちよ》してしまうのである。 韓国人の性格は性急か  韓国人は内面の心意的な変化は容易に好まないが、時の流れに素早く乗って行くことで起きる変化はいとわない。それは、しばしば外国人に指摘されるように、韓国人の性格がきわめて性急だと言われるところにあるのかもしれない。  韓国には「シザギバニダ(始作は半分である)」つまり、「始めることは半分である」という言い方がある。どうしようかと考えるより、まず行動せよという格言である。何はともあれ行動してしまえば、少なくとも半分までは処理することができるということだが、よく言えば、思いついたときにやらなくては、できることもできなくなってしまう、という意味になる。 「急《せ》いては事をし損じる」「急がば回れ」「石橋を叩《たた》いて渡る」など、慎重にゆっくり事を運ぶことをよしとする日本人には、あまり響かない言葉かもしれないが、今日は今日、明日は明日だという韓国人の性格をよく表わす言葉である。  日本人が買物をしているとき、買おうか買うまいかと迷っている姿をよく見かける。店員もお客につきまとって買うことをすすめようとはしない。そればかりか、お客と一緒に何がよいかと迷っている。  韓国ではそうした光景はまず見られない。お客本人が、時間がもったいないからと、早く買物を決めようとすることもある。しかしそれ以上に、買うのに迷っていれば、店員があれがいいこれがいいとつきまとってはすすめるし、また、「なんで早く買わないのか」と、聞こえよがしにコソコソ悪口を言われるからである。さらに、店に入って見るだけ見て買わないで出ようものなら、背中に罵《ば》声《せい》を浴びせかけられることすらある。  とにかく韓国では、ゆっくり考えている人は好ましくない人である。これはビジネスでも同じことだ。「そうですねえ、少し考えさせて下さい」といった、日本人なら当たり前のような言い方をする人も、韓国ではビジネスマン失格である。「さあ、やってみましょう」とすぐ行動に移す人こそ、韓国のビジネスマンにはふさわしい。  朴大統領の時代に、プサンとソウルを結ぶ高速道路がつくられた。この高速道路は、長い間、韓国の大動脈として最も重要な位置を占めていたものだが、とにかくないよりはましだと、それこそ突貫工事で応急的につくられたものである。  最近は別に高速道路を敷《ふ》設《せつ》して、この道路を一般国道にする計画があるらしいが、この二十数年もの間、高速道路でありながら、一般道路と同じ高さで防壁のないところが多いため、車の目の前に犬が飛び出て来たりするような状態のままなのだ。  また、道路をまっすぐに敷くために山にトンネルを掘ったり、川に橋を掛けたりすることをいとわない日本人とは違って、できるだけ早くつくってしまおうということから、それら障害物を避けてくねくねと曲がる道路となってしまった。そのため、本来なら十分で行けるところをぐるっと大回りをして三十分もかかることになってしまう。  もちろん、交通事情の悪かった当時にあっては、ともかくも高速道路としての便利さには、それだけで感謝すべきものはあった。しかし、いったんつくられてしまった道路を全面改修するには、新しくつくる以上の費用がかかると言われる。長い目で見たとき、やはり性急であったのではないかと思わざるを得ない。 「キムチのおつゆから先に飲んだ金大中」  性急であったために失敗すると、結果論として、先取りしようとしてそれがうまくいかなかったと非難されることになる。韓国の政治政策でも、そうした失敗がかなり多いように思われる。韓国の政治家が性急なゆえに失敗したという、少々おもしろい話があるのでご紹介しておこう。  何年か前のことだが、大統領選挙の後、韓国の新聞の一面の見出しに次のような言葉が大きく印刷された。 「キムチのおつゆから先に飲んだキムヨンサムとキムデジュンが大失望」  この意味がおわかりになる日本人は、そうそういないのではないだろうか。もちろん、韓国人ならばすぐに「ハハン」とうなずくのである。  新聞にこの見出しが掲載されたとき、とても韓国語が上手で、韓国と日本の間をたびたび往復している日本のビジネスマンが、当の新聞を持って私の事務所に現われた。そして、 「この意味なに? キムチもわかるし、おつゆもわかるし、飲んだということもわかる。それでいいの? ほんとに二人がキムチのおつゆを飲んで失望したわけ?」 と聞く。  彼はさらに、 「記事を読んでみても、キムチなんかと全然関係ないよね。なのに、なんでそうなるわけ?」 と不思議そうな顔をするのだった。  私はこみ上げてくる笑いをおさえることができなくて、しばらくの間、新聞を手にけげんな顔をして立つ彼の顔を見ながら、一人で涙を流しながら笑い続けたものだった。  お答えしましょう。  キムチをつぼに漬けておいて、上の方からキムチを食べていくと、全部食べた後(約三カ月後)におつゆが残る。これはとても美《お》味《い》しいもので、韓国ではこのおつゆをスープにしたり鍋ものに使ったりする。したがって、最後に飲む、とっておきの御《ご》馳《ち》走《そう》となるのがキムチのおつゆなのである。  そこで、「キムチのおつゆから飲むな」という諺がある。日本語で言えば「取らぬ狸の皮算用」と同じ意味だ。  つまり、先のうま味ばかり計算して、大統領になったらこうしようということばかり考えていて、現実的にはうまくいかずに落選し、二人の大統領候補が失望したということなのである。まさしく、目の前の現実を注視することなく、先のうま味に目がくらんだ性急さゆえの失敗と言うべきだろう。 学ぶより教えてあげるのが好きな韓国人  諺や言い回しとは違うが、韓国人はスローガンも大好きである。ソウル・オリンピックのスローガンは「韓国を世界へ世界を韓国へ」だった。それに対して、東京オリンピックのスローガンは「世界に学ぼう」だった。  この二つのスローガンの差は実にうまく二つの国の国民性の違いを表わしていると思う。日本人なら、まず「日本を世界へ……」といった、外部への指向を露《あらわ》にした強い自己主張を持ったスローガンはつくらない。「世界に学ぼう」とは、まさに日本人が好む「謙虚さ」の精神パターンにスッポリとはまっている。また、「学ぼう」という姿勢も、きわめて日本的な対人関係の意識を物語っている。あくまで受け身なのだ。  おおかたの日本人は、相手から学ぶことに熱心な割には、相手に教えようとする意識が稀《き》薄《はく》なように思う。これも「受ける力が強く出す力が弱い」ことの現われかもしれないが、韓国人はしばしば、「日本人は技術のノウハウを教えてくれないケチな人たちだ」とも言う。  もっとも、「ケチ」とは韓国側の「言いがかり」と言うべきで、実際には日本は韓国に対して大きな技術供《きよう》与《よ》を行なっている。「韓国側の受け皿の方により問題がある」とは、多くの日本人ビジネスマンたちから聞かされる言葉だが、客観的に言えばその通りだと思う。が、具体的なそれぞれの場面では、教えることの好きな人たち(韓国人)に学ぶことが好きな人たち(日本人)が教えるという、ある種の感覚的な軋《きし》みのようなものがあることは事実のようだ。  大枠での技術供与に問題があるのではない。小さな、ちょっとした技術やノウハウについて、そこまでいちいち言わなくてもいいだろうという感じが日本人にあって、それが積もって全体の印象となり、韓国側の「ケチ」という非難になってしまっているのではないだろうか。どうも、そう思える話をよく聞くのである。  たとえば、ある大手企業の日本人技術者は、「望んでいない人に教えるのは失礼だ」と言う。なぜかと聞くと、「この程度のことは当然相手が知っていると思えれば、こちらからいちいち、ああです、こうですと言うのは相手の尊《そん》厳《げん》を傷つけることになるから」なのだそうだ。したがって自分は、「積極的に教えてくれと言われれば、喜んで教えます」といつも公言しているのだと話す。  こうした態度は日本人どうしならばよく理解できることに違いないが、韓国人にはちょっとわかり難い。  私が日本の大学で勉強していたときのこと。先生に質問されて私が困っているとき、友だちがまるで助けてくれない。韓国の友だちなら私の目つきを見て横からコソッと教えてくれるのである。こうした日本人の態度に困惑していたが、やがて私は日本人に教えてもらうコツをつかんだ。そんなときには、「ちょっと助けて」と言えば、必ずメモなどを渡して教えてくれるものだということを知ったのである。 人を助けることが好きな韓国人  一見、そんな気がなさそうに見えても、実は「教えてあげたい」という気持ちを、日本人はどの国の人よりも持っている。しかし、相手の立場を先に考えてしまうのだ。単に助けるのは相手に対して失礼になると考える。こちらの都合だけで助けることは、自分が上に立つことになり、相手を低く見たり、無視したりすることにもなるからなのである。  韓国人は混乱している人を見れば、まず助けてあげようという意志を見せ、実際可能ならば、積極的に相手を助ける。もっとも、ここでもしばしば性急であって、実際できないことでも、助けてあげたいという情が先に立ち、失敗することも多いのだが。  韓国人が困っている人を助けようとするのは、西洋的なヒューマニズムや福祉の精神からではない。日本人のように相手の立場を考えることなく、自分の判断ですぐ手を差し延べようとする。おせっかいだとか、親切の押し売りになるとかには頓《とん》着《ちやく》がない。では、なぜ助けようとするのかと言えば、自分が他者より力があること、自分が他者より上に立っているということを、そこで示すことができるからである。  このように言うと、多くの日本人が「それは言い過ぎじゃないですか」とか言って、なかなか信じようとはしない。しかし、韓国の社会関係とは、常に他者との力関係、上下関係の闘争なのである。そうした力関係の場のどこに自分が位置するかで、自分の社会的な評価が決まるのである。  韓国では助けた者は上に立ち、助けられた者は下に立つ。助けられた者は、助けた者を自分より上だと認めなくてはならない。これで上下関係がはっきりする。それが道徳的にいいことなのであり、日本のように悪いことでは決してない。仲のよい友だち以外の社会関係では、具体的な他者それぞれとの関係で、自分は誰より上なのか誰より下なのか、それが最も重要なことなのである。  韓国人は学ぶより教えることが数段好きな国民だ。もちろん、教えることで上に立てるからである。したがって、教師は大きな尊敬の対象となる。韓国で能力のある人とは、あくまで知識によって立派な社会的な地位を確保した人をいう。いくら知識が多くても、みすぼらしい生活をしていれば、人生の失敗者以外の何ものでもない。  実際、うんざりすることは、韓国からやって来て私を訪ねて来る韓国人のなかで、とくに男性がしきりに私に「教え」を説きたがることだ。  そこには、女は男に教えられる者、という通念の加担が見え見えなのだが、それはまだ我慢してもいい。しかし、私への対抗意識をあらわにして、「いいですか、教えて差し上げます。日本人というものはですね……いまの韓国はこんなによくなっていて……」と、延々と私に教えを説きはじめるのにはまいってしまう。それも、ほとんどが偏見に満ちた日本批判と、韓国の自画自賛なのである。エリートほどそうだと言っていいから、腹が立つより先に悲しくなってしまう。そうして、私からは何ら学ぼうとする姿勢を見せず、一方的に教えようとするからなおさら嫌になってしまう。  韓国人の男にとっては、私は女であることで「教え」を説くべき対象となるが、言葉を教える「先生」だということでは、一応尊敬の対象となる。しかし、私の教室が小さなみすぼらしい事務所だということを彼らが知ったとたんに、私は大きく価値を落としてしまうことになる。そこで、韓国から来た男たちの多くが、私に対して自然に、「教える」という位置からものを言うことになる。そこでは、自然に、私から学ぼうとする意識がなくなってしまっている。  韓国人が教えることが好きなのは、その能動的な性格をよく表わしており、日本人が学ぶことが好きなのはその受動的な性格をよく表わしている。そして、この能動性は直接的な関係を求める意識に支えられており、受動性は直接性を避けようとして間接的な関係を求める意識に支えられている。  現代韓国について話すたびに、「それは日本の三十年前と同じことだ」と言われる場合が多い。でも、果たして、そう簡単に、歴史段階的な社会の問題や、発展段階的な個人の問題へと解消することができるものだろうか。私はそこに大きな疑問を持っている。  疑問があるうちは、まだまだ、具体的な誤差に光をあてて行きたいと思っている。  第2章 恨《ハン》を楽しむ人びと       ——韓国人の情緒と反日感情の実際 日本で体験した青春の挫折  私が日本へ旅立ったのは二十代の半ば。思春期の感受性の強さはまだまだ健在で、世間知らずゆえの怖いもの知らずで社会を走り抜けていた。その勢いのままに、打てば響くだろう、また打たれれば響こうと、アンテナを高くしての渡日だった。  青春の挫《ざ》折《せつ》というけれども、私はそのやや遅い、しかし、とても大きな挫折を日本で体験することになった。それまでは、情緒的な感じ方や表わし方が、これほど自分と他人とで違うものだとは、思ってもみなかったのである。  しかもそれは、個人的なことであると同時に、韓国人と日本人の、きわめて激しい情緒的な衝突の体験でもあった。  結局、私の青春の挫折は日本人との感情的な交流でのつまずきにあったが、そのことによって私は、韓日の関係では、感情をめぐる問題、とくに習慣のなかで身についている情緒の問題が大きな位置を占めていると思うようになった。  この章の前半では、韓国人の情緒や感性のあり方をご紹介し、後半では、韓国人の反日感情のたて前的なものではない実際的な面を見ながら、決して居心地がよいとは言えない、現在の日本と韓国の関係について考えていきたい。 韓国人は自分がいかに不幸かを話したがる  韓国では「恨」をハンと読むが、これは「うらみ」の感情とは少々異なっている。最近では、日本人の情緒的な特性を「もののあわれ」に代表させ、それと「恨」を比較する試みなどもあるようだが、恨は韓国人特有の情緒を見るためには、ピッタリのものと言えるように思う。  恨は哲学的にまた美学的に語られることが多いけれども、私は生活の各場面でごく普通に見られる恨についてお話ししてみたい。  恨をひとことで言うのは難しいけれども、結論から言えば、韓国人にとっては生きていることそのものが恨なのである。自分のいまある生活を不幸と感じているとき、自分の運命が恨になることもある。自分の願いが達成できないとき、自分の無能力が恨になることもある。そこでは、恨の対象が具体的に何かということは、はっきりしていないのが特徴だ。  韓国人は、自分のおかれた環境がいかに不幸なものかということを、他者を相手に嘆くことがとても好きである。韓国の言い方では「恨《ハン》嘆《タン》」となる。「私はこんなふうに生きてきた。ああ、私の運命はなんて不幸なものなんだろう」という具合に。これは、日本人がよくやるような、相手に対して自分を卑下する言い方でもなく、また単に自分に悲観しているのでもない。  私の日本語教室に通う韓国の女たちは、何人か集まると、好んで身の上話に花を咲かせる。そんなとき、あたかも「みじめ競争」のようなことが起こるのである。  ある者が、「私はこんなに不幸な家庭に育った」と話す。すると、それを聞いている他の者が、「私なんかもっと不幸だった」と語りはじめる。また、もう一人が「そんなの不幸のうちに入らない」と話す……。そんな具合に、話はどんどんより不幸な話へと発展する。みんながみんな、自分こそ、誰よりも不幸でみじめな人生を背負っているのだということを、盛んに主張し合うのである。 未来への希望としての恨  恨が強く自分のなかにあることを、しばしば「恨が固まる」と表現する。  たとえば、韓国では再婚したくとも社会通念の上で難しいため、早く夫に死に別れた女などは、もはや結婚はできないという思いをずっと抱え込んで生きてゆくことになる。そんな場合にも、「恨が固まる」と言う。  また、自分がよい学校へ行けなかった場合、その行けなかったことの「恨が固まる」のである。この場合、その原因を、父母のせいにすることは儒教倫理の上で出来ない。だからそこでは、よい父母に出会えなかった自分自身の運命に対して恨を持つのである。  恨はどちらかというと未来への希望のために持ち出されるものであるため、「〜すれば恨がなくなるだろう」という未来形を使った言い方をよくする。ただ、目先の小さな問題については、まずこういう言い方はしない。「自分が強く願っていることを達成できるならば、死んだ後には恨がなくなる」という、将来の人生へ向けての願望の意味で使うのである。  たとえば、「息子が勉強をよくしてくれれば恨がなくなるだろう」「立派な家で生活してみれば恨がなくなるだろう」「食べたいものをいっぱい食べてみれば恨がなくなるだろう」「持ちたいものを持てば恨がなくなるだろう」など、具体的にそのときそのとき必要なものに対しての恨として使う。ここでは、自分の無能力に対する悲嘆が恨なのである。  現在に恨がないことを言う場合には、「あの人は恨がなく生きていた人だ」という言い方がよくされる。これは、普通の人より経済的に余裕があって、自分のやりたいことをやって死んでいった人のことである。同じように、「自分は人生でやりたいことをやったから恨がない」とも使う。  恨があること、恨を持っていることは、悪いことなのではない。あるからこそ未来への希望が持てる——そういうものとしてあるのが恨である。  日本人が未来への希望を語るとき、「こんな兆《きざ》しがある」とか、「こんな曙《しよ》光《こう》がある」とか、現在へと射してくる明るさをもって言うことが多い。また、自分のみじめさに対する「がんばり」を主張する。そこでは、じぶんの不幸とかみじめさの感嘆は、堕落、あるいは甘えのように感じられていると思う。 恨が対象を持ったとき  女が結婚して苦労すれば、それはいい夫に出会えなかった自分(の運命)に対する恨となり、経済力も権力もないのは、能力を持てない自分(の運命)への恨となる。  このように、恨はもともとは、何か具体的な対象があって感じるものではなく、生きることそのものに感じる、欠如の感覚だと言ってよいと思う。したがって、その原因を運命とみなして、ただただ自分自身を嘆くのである。そこでは恨は、自分自身に対する深いコンプレックスに変わってゆく。  このように、恨はその対象があいまいなのだが、それだけ、対象を求めて常に彷徨《さまよ》うものだとも言える。そして、具体的な対象との出会いを持つことがなければ、恨はそのまま自らの運命に対する嘆きとして、自分の内面に向けて表現されるのである。  一方、恨が具体的な対象を獲得することがある。  たとえば、個人生活が苦しいのは税金が高いためだと感じるとする。それは、政治家の無能力のためであるし、それが個人生活にまで及んでいると考えられれば、自分を不幸にした対象がはっきりする。そこでは、恨は「政治家」という具体的な対象を獲得することになる。自分の恨が何によって固まるかが見えていることが、自分の運命を嘆く恨とは異なっている。  もちろん、ほんとうに政治家が悪いのかどうかは別の話である。したがって、次のようなプロセスで、恨の対象が日本になってもくる。  自分が貧乏なのは韓国の経済発展がうまくいかないせいだ。それは、朝鮮戦争が起きて多くの被害を受けたからで、そのため今日でも国防に多くの費用が費やされているからだ。その根本の原因は南北分断をもたらした日本にある——。  このように、それが正しいか正しくないかは別にして、今日の不幸の原因をあてはめられるはっきりした対象がある場合には、その対象に対して攻撃できるので、ストレスを解消することができ、それが自分自身のコンプレックスへと変化してゆくことはない。そこでは、攻撃を続けている限り、恨が外に向けて表現されるからである。 自分をみじめにしたい韓国人  韓国人の恨を嘆く情緒は、音楽や文学にも特徴的だが、一般の人びとの間では、もっぱら歌謡曲に目立っている。日本の演歌が韓国人に人気があり、また韓国の歌謡曲が日本の演歌の影響を大きく受けているのも、演歌のリズムが恨をのせるのにはピッタリだからである。  韓国の民謡や雑歌のリズムにタリョン(打令)というのがある。一定の節回しを少しずつ変化させながら、何度も繰り返して歌うものだ。そのなかに身《シン》世《セ》タリョンというのがある。これは、自分の身の上や不幸な運命の歌物語のようなもので、半分節をつけて歌い半分物語るようにして演ずるのである。まさしく恨の表現だと言えるだろう。  自分が現在置かれている運命だとか自分の過去の不幸を物語にして、「ああ〜、私の人生は〜」と節をつけては、友だちの前で、また一人で、恨のタリョンを楽しむのである。  ある程度気持ちが通じると思える相手とは、お互いの不幸を話し合い、そこから仲良くなってゆくのが韓国人である。そのため、日本の男性が、韓国の女の不幸話に感じて取り込まれていくことが珍しくない。  韓国人ホステスは相手の男をある程度気に入れば、自分が陥っている現在の不幸をしきりに話そうとする。日本の男は、日本の女からそんな話を聞くことがほとんどないようだ。そこで男たちは、「この女は自分にだけほんとうのことを素直に語ってくれた」と感動し、その心持ちにほだされてゆくのである。 「こんな仕事は自分は嫌なのだけれども、家のために仕方なくしているのよ」  家計を支えるために、弟を大学にやるために、離婚してしまい子どもを育てるために……。こうして彼女たちは、いかに自分が不幸であるか、誰か助けてくれる人がいるならば、すぐにでも仕事をやめたいということを、涙を流して話すのである。これが、感情的に日本の男の気持ちをつかまえる、大きな武器となっている。  こんな話をある韓国クラブのママから聞いた。  場違いだとは思いながらも、話のタネにと韓国クラブに顔を出してみた安サラリーマンが、一人のホステスの不幸話にいっぺんで感動し、次から次へと預金を下ろしては彼女にみつぎ、ついに自分の結婚資金から住宅資金まで、全財産を使ってしまったという。  また若い男性からこんな手紙をいただいたこともある。  韓国旅行で入った酒場で、一人のホステスから、それは不幸な身の上話を聞かされた。いつか必ずまた来るからと別れたが、彼女は日本ではまずいないような純真な心を持っている。そんな彼女にまた会いたくなって、再び韓国へ行った。でも、その店に彼女はいなかった。どんな所を探せば会える可能性があるか教えて欲しい。自分はなんとかして彼女を助けてあげたいと思っている。そういう内容だった。  しかし、彼女たちは決して、男を口《く》説《ど》くための手段だからということだけで話そうとするわけではない。そのときそのとき、自分の心をあげたいと思う相手に対して、そうした話をするのである。  外部から常に侵略を受けてきた民族だからそうなのか、韓国では、社会が安定することはかえって不安な情緒を醸《じよう》成《せい》させることになってしまう。何かが、自分自身をみじめな状態に置きたがっているのだ。 なぜ韓国にクリスチャンが多いのか  韓国のクリスチャンは人口の四分の一、一千万人を越えているが、カソリックにもプロテスタントにも属さない、いわゆる異端キリスト教派も多く、それらを含むと人口の四〇パーセントに達するという見方もある。仏教すらそんなに韓国人の気持ちをつかむことができなかったのに、なぜキリスト教がそれほど韓国に普及したのか? そういう疑問を持たれる方が多いと思う。  韓国にキリスト教が普及したのは、みじめな状態を喜び、恨《ハン》を楽しむ韓国人の感性にうまく適合したからである。現在の教会は、みじめな自分を嘆くには格好の場となっている。どうやって適合したのかをお話ししてみよう。  唯一神を奉じるキリスト教は、ほんらいは儒教的な社会にとっては敵であるはずだ。三十数年前の韓国のキリスト教はまさしく、韓国儒教社会の敵として登場し、敬《けい》虔《けん》で荘《そう》厳《ごん》かつスマートな、アメリカ的な教会の雰《ふん》囲《い》気《き》のなかで行なわれていた。しかし、一部の知識層に普及し、最下層の人びとの心の慰めとなることはあっても、大衆的なものとなることはなかった。  韓国人に合ったキリスト教をつくろうという動きが出てきたのは、朝鮮戦争が終わった後、深い虚脱感が韓国全土に広がっていたときのことだった。あるプロテスタントの一派が、それまでのアメリカ的な教会のやり方のすべてに手を加え、韓国人に受け入れやすい雰囲気を積極的につくりはじめたのである。それが成功したため他の派もこぞって改革を進め、以後、韓国のキリスト教は大きく変《へん》貌《ぼう》していったのである。  なかでも、最も効果が大きかったのは賛美歌の改革である。  それまでの音程の高いソプラノの賛美歌を、韓国人に親しみやすいタリョンの曲調にアレンジし、低い声で歌えるように改革していった。これによって、西洋音楽になじみのない田舎のおばあさんでも、すぐに賛美歌を歌うことができるようになった。しかも、賛美歌を歌うことでそのまま恨を楽しむことができるばかりでなく、恨を解消することすらできるようになったのである。この賛美歌改革の効果には、驚くべきものがあった。  それまでは、教会のオルガンの調べにひきずられながら、なんとかついてゆくのがやっとだった賛美歌。それが、恨を楽しむタリョンそのままに、台所でも仕事場でも口ずさむことができるものとなった。そのため、街のあちこちに起こる賛美歌の声にひかれ、教会を訪れる人が急激に増えることになっていったのである。 現世利益を推奨する韓国キリスト教会  また、その教えは一八〇度とも言える改革が行なわれた。個人の現実的な欲望(利己心)は抑圧しなくてはならないというキリスト教の教えは、いまや多くの韓国の教会では過去のものにすぎなくなっている。教会の教えは、「個人の現実的な欲望を神が受け止めて下さる」と書きかえられていったのである。この教えによって、キリスト教会は、当時の韓国人の間に蔓《まん》延《えん》していた虚無感を埋めてくれる、格好の場として人々の集まるところとなっていった。  それまでの、飢えているときにこそ「神さまに感謝します」というお祈りが大切だという考えを、二次的、三次的なものへと後退させた。そして、飢えていることは神さまの祝福ではないから、まず、「空腹が満たされますようお願いします」というお祈りが第一だとなっていった。もちろん、病気も神さまの願いではないからと、「病気をなおして下さい」と祈るのだ。  貧困とは悪魔に呪《のろ》われていることであり、病気をもたらすのも悪魔だと説明される。その日の礼拝が終わると、牧師から直接悪魔祓《ばら》いを受けようとする人びとの行列ができる。  話はそれるけれども、教会の信徒たち数人が私の事務所を訪れたときのこと。一人の地域長クラスの上級信徒が、私が部屋に飾っている般《はん》若《にや》心《しん》経《ぎよう》をしたためた書を見て、「これには悪魔がとりついている」と言い出した。そして、「みんなでお祈りしましょう」と促《うなが》す上級信徒に従って、数人が一斉に「この悪魔出て行け」と口々に叫びはじめた。それも、あらゆる汚い言葉を使い大声で罵《ののし》るのである。  真昼間のことで、隣の貿易会社でも仕事をしている。私が困ったなと思っていると、案《あん》の定《じよう》、「静かにしてくれ」と文句が来た。私が「小さな声でやって下さい」と頼むと、その上級信徒は、「小さな声では悪魔は出て行かない。あなたも悪魔にとりつかれているから、もっと真剣に祈りなさい」と強い語調で指示し、さらにみんなで大声を張り上げるのだった。  さて、韓国のキリスト教会では、お祈りの内容はきわめて現実的、具体的なものでなくてはならないと教えられる。たとえば、ある牧師はこんなふうに指導している。 「あなたが十五平方メートルの家に住んでいれば、『明日は三十平方メートルの家を下さい』とお祈りしなさい。そして、それが達成されたなら、感謝してその上に希望を持ち、さらに『明日は五十平方メートルの家を下さい』と祈りなさい。また、それがかなったら、さらに次の目標をたてて祈りなさい」  本来のキリスト教の教えのように、「現在に感謝しなさい」とも言うのだが、「その後で必ず条件を述べなさい」と指示するのである。 「具体的に祈りなさい」とは、目に見える幸せの証拠物を求めなさい、ということである。精神的にいくらその人が幸せを感じると言っても、現在、目の前にそのことを示す物質がなければ幸せにはなれないという、韓国的な価値観に教義を一致させているのだ。  このように、韓国のキリスト教会の主流(福音派)は、教会を人びとの限りのない欲望の上昇を楽しむ機関としている。また、こうした考え方が、韓国では他の教派にも、またカソリックにまで影響を与えている。 苦痛がないことは罪?  私の所属する教会も福音派のひとつだが、その説教は、いつも「今日は常に苦しい」という話から始まる。そして「明日を期待しなさい」と続く。そこで矛盾が起こる。つまり、昨日は苦しかったが今日は解放されて楽しいと感じている人にとっては、お祈りに足が向かなくなってゆくのである。極端に言えば、キリスト教が不必要なものとなってしまうのである。  私がそうした矛盾を感じていなかったころのこと。自分がいま苦痛だと感じているときには、教会はまたとない心の安らぎを得ることのできる場となったが、心に少しでも余《よ》裕《ゆう》のあるときは、なにか悪いことをしているような気持ちになり、罪意識を感じてしまうのである。そこで、変な話なのだが、少しでも苦痛を探さなくてはと思ったり、「自分はみじめだ、自分はみじめだ」と、自分自身に言い聞かせたりすることもあった。この点でも、韓国のキリスト教は、恨《ハン》を楽しむ人びとには、とてもうまく調和している。  いまでは私は、牧師の教えはキリストの教えというよりは牧師の解釈で、自分の信仰は自分の信仰と考えている。当たり前のことだけれども、韓国では、牧師はキリストの地上の代弁者、さらには、神さまと直接話すことのできる特別な聖人と考えている信者も多い。 ある韓国人ホステスの祝福観  日本の新興宗教では、信者が集会などで、「こんな奇跡をいただいた」と報告すると聞いたが、多くの韓国のキリスト教会でも同じことをやっている。  教会で行なう信徒の交わりの集《つど》いで、牧師が、祝福を受けたことを話しなさい、奇跡の証《あか》しをしなさいと言い、信徒たち一人一人が報告をするのだ。会社の経営状態がよくなったとか、病気がなおったとか、結婚相手が見つかったとかいう信徒たちの報告に、熱心に耳が傾けられる。  奇跡があるということは、それだけ神の祝福を受けた人、神により近い人だと見なされる。そこで信徒の集いは、「自分はこんな奇跡を受けた」という報告競争ともなるのである。  ここで、私と同じ教会に通う、一人の韓国人ホステスが語ってくれた奇跡話とその祝福感についてお話ししてみたい。  彼女は日本でのホステス生活に疲れ果てていた。韓国クラブが乱立して過当競争となり、上得意のお客さんを確保することが難しい時代に入ったのだ。そのため、複数のお客さんを相手に目まぐるしく立ち働かなくてはならなくなっていたのである。  彼女は常に、 「はやくよいパトロンが現われて、はやくホステスをやめられますように」 と祈っていた。もちろん、文字通りそう口に出して祈るのだ。  韓国ではホステスはよくない仕事であり、複数の男性と接することは大きな悪である。だから、彼女たちは常に、自分は神さまに対して罪を犯していると感じている。パトロンの出現は、豊かな生活の獲得(人生の成功)であると同時に、罪人である自分からの脱出なのである。  彼女は毎日熱心に神さまに祈ったのだが、パトロンとなってくれる男がなかなか現われない。そこで彼女は、次のように神さまに誓いをたてて、断《だん》食《じき》祈《き》祷《とう》に入っていった。 「願いをかなえて下されば、私は神さまのために一生懸命に教会の仕事に精を出します」  断食祈祷が終わって間もなく、彼女は「奇跡よ! 祝福よ!」と、大声をあげながら、語学教室をかねている私の事務所へやって来た。その、満面に笑みを湛《たた》えてはしゃぐ彼女に、私が「どんな祝福なの?」と聞くと、彼女は得意そうに話しはじめた。 「一年前に私のことを好きだと言ってくれていた人がいたんです。でも、ずっと連絡がなくて、すっかりあきらめていました。ところが、断食祈祷が終わるとね、すぐ、その連絡のなかった彼が私のお店に現われたんです。これはまさしく奇跡だわ。私は祝福をいただいたのよ」  そう、お祈りの効果がすぐに出たということは、普通の人より神に愛《め》でられている証拠だとは、しばしば牧師の言うことである。  男はすぐに彼女に店を辞《や》めるように言い、彼女が店からしていた借金(取り損ねたお客のつけ)をすべて返してやった。不動産会社を経営しているその男は、最近仕事がうまくいくようになったので再び彼女の前に現われたのだった。  彼女は、さっそく神さまに感謝の祈りを捧《ささ》げ、すぐに店を辞めた。そして、教会へはかなり高額の献金を行なった。もちろん、奇跡のお礼である。  彼女は、神さまにたてた誓いのとおり、毎日、毎日、教会の仕事にいそしんだ。日曜学校の先生をしたり、聖歌隊の仕事をしたり、いろいろな行事の運営の仕事をしたりで、教会へ出ない日が一日もないような生活が始まった。  彼女はそれまでは、私の語学教室に熱心に通って来ていたのだが、まるで顔を出さないようになり、教会以外の人間関係もなくなってしまっていた。「もっとみんなとつき合ったら?」と言う私に、彼女はこの生活のなかで、自分は大きな喜びを感じると言うのだった。  そして二カ月ほどたって、その男が再び行《ゆく》方《え》不明になってしまった。彼女は傷ついたが、仕方なくホステス生活へもどっていった。  ある日教会で、寂しそうな顔をしてお祈りをする彼女を見つけ、私は「どうしたの?」と声をかけた。彼女は男が去って行ってしまったことを話しながら、その原因は自分の油断にあったのだと言う。 「道でばったり前の店のお客さんと出会って、食事を誘われたの。彼がいるから断わろうと思ったんですけど、断わり切れなくて……。ああ、他の男とつき合ってしまうなんて、うっかりしてたんだわ。私が罪を犯したから神さまが怒って彼を去らせたのね」  彼女にとっては、かつての客との食事が浮気と同等の意味を持っていて、それを神さまに対する罪と考えるのである。実際には、その男の会社が再び傾き、大きな借金を抱えてしまい、夜逃げを決め込んだのだったが。  彼女は自分の信仰が足りなかったと神さまに詫《わ》び、またまた「よいパトロンを……」とお祈りするようになり、再び断食祈祷へ入っていった。まるで、神がかったムーダン(韓国の巫《ふ》女《じよ》)にも似た彼女の面持ちが哀れで、私はつい、聞くまでもないことを彼女に聞いていた。 「どうしてそんなにパトロンを願うの? お店で働くだけでも十分やっていけるんだからいいじゃない」 「だって、お店にいれば、どうしてもたくさんの男の人とつき合わなくてはならないでしょ? それは重い罪だもの」  なに言ってるの、パトロンには奥さんがいるんだから、その方がよけい罪じゃない——そう言おうとしたのだが、これも言うまでもないことと口には出さなかった。 騒然とした教会の雰囲気  韓国の多くの教会の会堂の中は、とても静かで敬《けい》虔《けん》であるとは言えない。みんながみんな、両手を高く天に向けて差し出し、身体をゆすりながら、まるで子どもがだだをこねるように、「ああ〜、神さま〜」と、大きな声を出してお祈りをする。そのため、会堂全体が騒然とした雰囲気に包まれている。  牧師には、「声が小さい人は祝福も小さくなる、激しく祈ることによって精《せい》霊《れい》に満たされる、静かにやると精霊に満たされない」と言われるものだから、いきおい、声の大きさを競うことにもなる。だから、教会に頻《ひん》繁《ぱん》に通うと誰も声がハスキーになってしまう。  あるテレビ局の取材マンが、教会に一歩足を踏み入れるや、 「これが教会? 韓国人って情緒過多なんじゃないですか」 と、すっかりあきれ返ったような顔をして、同行した私に肩をすくめて見せたことがある。  確かに韓国人の情緒は、日本人のそれと比べればかなり激しいと言えるだろう。その点について、ある知り合いの日本人ジャーナリストは、「韓国は青少年文化だ」が持論だと言う。なるほど、とも思う。 学生運動と花《フア》郎《ラン》精神  韓国の学生運動の激しさも、韓国的な情緒のあり方と無関係ではない。かつての日本の学生運動も激しかったという。それと同じことと見る人が多いけれども、最近もあったように、反政府デモで焼身自殺する者が少なくないといったことになると、単なる過激では説明のつかないものを含んでいると考えなくてはならない。  韓国には新羅《しらぎ》の時代、花《フア》郎《ラン》精神というものがあった。新羅では、上級貴族の子弟で十五、六歳の男子を指導者として花郎と称し、その下に数百人から千人ほどの青少年たちが結集して花《フア》郎《ラン》徒《ドウ》と呼ばれる集団をつくっていた。彼らは義を学び、学問・芸術・武芸を磨いて自らの肉体と精神を鍛え、戦時には戦士集団として活躍した。  花郎は、戦場では常に先頭に立って闘い、決して後退することがなかった。戦争を恐れることなく、義のためにはすすんで自らの命を差し出すことをよしとし、友のために命を捧げることも清く美しい行為とされ、花郎精神の一つであった。日本の武士道とよく似たものと言えるかもしれない。  花郎精神は新羅固有のものだったが、後に儒教、仏教、道教と結びついて、独自の発展を続けてきた。現在の韓国の軍人教育でもこの花郎精神が強調されている。名門校ほど激しいと言える韓国の学生運動の意識の底には、間違いなくこの花郎精神の伝統が流れていると思う。  日本で大学生と言えばほとんど子ども扱いだが、文人主義の国、韓国では、最近は少々評価を落としてはいるものの、社会の期待を一身に背負った、誇るべきエリート集団として尊重されて来た。したがって、彼らのなかに花郎精神が宿るのは自然なことだとも言えた。 韓国の学生はなぜ焼身自殺までするのか?  韓国の学生運動が焼身自殺者を出すと言っても、それはインドの宗教者たちの、抗議の焼身自殺とはまるで異なるものだ。はっきり言えば、デモをしていながらしだいに気持ちがエスカレートしていって、気持ちを抑制することができなくなり、ついに自殺にまで至るのだ。  私はそれほどでもなかったが、何回かデモに参加したことがあるので、そうなってゆく心のプロセスがよくわかる。韓国の学生運動家たちは、イデオロギー以前に、なんとしても道理をとおすのだという、まぎれもない純粋な気持ちに満ちている。  この純真さが花郎精神に魅了されてゆく。いさぎよく死にゆく自分の姿が、デモの最中に頭をよぎる。仲間が一緒に死のうと言えば、ほとんど躊《ちゆう》躇《ちよ》がないような気分……。韓国の学生運動に参加したことのある者ならば、誰でも一度はそんな雰囲気を味わっているものである。  この学生大衆の気分の最先端で死が選ばれている。しかし、それが焼身自殺という形をとるところには、死ぬことにおいて目立ちたいという気持ちがある。自分の心情をわかって欲しいと言うよりは、自分の存在をアピールしたいのだ。  かつての私自身のことを言えば、死ぬならば軍隊で死にたいと思っていた。そうすれば、私の死は人々に立派だと思われるだろう。その死は、普通の死ではなく国のための死であり、非日常的な死である。だからこそ、人々の記憶のなかに私が焼き付けられる——。自殺する学生運動家たちのなかにも、こうした「名誉の死」への希求があったに違いない。  花郎精神では、そのような死の希求は卑《いや》しいものであり、死はあくまで自己を無にした犠牲的な精神に基づくものとしていた。それはかつての日本の武士や軍人の「滅私奉公」に似ている。  しかし、かつての私が思った死も、デモからの連続で自殺する学生たちの死も、正義のための犠牲的な死だと主張するものの、ほんとうのところは、それが自分のための死となるような、自己主張のための死だった。  学生運動家のなかでは、「学生会長のために自分は死んでゆく」とか「民主化のためにお前は死ねるか」といった言葉が当然のように出される。韓国の大学の学生会長室は会社の社長室のように立派な部屋で、調度品や持ち物も多く、会長の身の回りの世話をする専門の部下がいる。そこでは学生会長は、かつて、若者たちのリーダーとして奉《ほう》戴《たい》された、青年貴族としての花郎であるかのようだ。 日本のお通夜に参加して  死に関連してお話ししてみたいのだが、先日、私が少し関係しているグループの日本人男性が若くして亡くなった。享《きよう》年《ねん》三十四歳、急死だった。彼は韓国についての研究に夢を持っていて、仕事以外の時間のほとんどを勉強にあて、精力的に取り組んでいるようだった。最も心を傷《いた》めたのはご両親だっただろうが、グループの仲間たちのショックは大きく深かった。  私は葬式の日に空けられない仕事がぶつかっていたため、日本の慣例に従ってお通夜に出席することにした。  私は日本の葬儀に出るのは初めてだったが、映画やテレビ、また人の話で、なんとなく知ってはいた。そんな知識の限りでは、日本の葬儀の雰囲気が韓国とはあまりにも異なっているため、ほんとうにそうなのだろうかと、とても不安だった。  いずれにしても、息子を突然亡くした親の心は想像を絶する悲しみに満たされているはずである。そのことがヒシヒシと感じられ、弔《ちよう》問《もん》へと向かう足はことのほか重かった。  お通夜の席での数時間。それは、どこか遠い場違いな所へ迷い込んでしまったような、あるいは神経の根本と先が入れ代わってしまったような、不思議な体験だった。  やはり、テレビなどで見た日本の葬儀の光景はウソでも誇張でもなかった。  ご両親は顔にほほ笑みを浮かべながら、客たちにいろいろと語りかけている。客の方はきまって口数が少なく、その顔はこの上もなく悲しげである。お母さまが私に、にこやかに「息子はよくあなたのことを話していましたのよ、それは親しげにね」とやさしく声をかけて下さる。涙が出るのは私の方だった。  韓国では、両親はその悲しみを表に表わすことによって、同じように悲しんでくれる周りの人たちと一体化する。そこで、悲しんでいるのは自分だけではないと、心が慰められる。しかも、悲しみは激情である。その、勢いよく溢《あふ》れ出し湧《わ》き起こってくる悲しみは、たとえ我慢しようとしても我慢できはしない。そして、張り裂けんばかりの慟《どう》哭《こく》と涙を抑えることなど、誰にもできはしない。韓国ではそうなのだ。  ご両親は、生前のわが息子との楽しかった思い出をポツポツと客たちに語りながら、日本的に表現すれば、終始そのたたずまいを乱すことがなかった。そして、最後のお別れにと、棺桶に空けられた小さな窓を開いて、あの永遠の眠りについた安らかな顔を客たちに見せるとき、ご両親のほほにわずかにつたった涙が印象的だった。 ある日本人学生の死に思ったこと  悲しいのは韓国の父母であれ日本の父母であれ同じはずなのに、なぜ日本人はそれを我慢することができるのだろうか? いや、なぜ我慢するのだろうか? 私はそれを単に説明的に知っているに過ぎず、感覚的に「わかった」ということができない。  韓国では人が死んだとき、声をあげて泣くし、また泣かなければならない。それは礼儀でもある。家族だけで居るときには、泣くこともなく静かにしていたとしても、客が来たならば、わざわざ声を出して泣く。それは儀式でもある。  韓国の葬儀では、慟哭を専門にする人を雇うことも稀《まれ》ではない。慟哭の専門家たちは、葬列に加わりながら、大声を張り上げて泣くのだ。  一緒に悲しみを分かち合い、少しでも悲しみを解消しようとする韓国人に対して、悲しい心の解消はできるだけ自分の内部で処理し、周りの人びとには迷惑をかけまいとする日本人。そこには、自分だけの特別な感情をあらわにすることで、他の人びとから孤立することを避けようとする、申し訳なさそうで、小さな姿を感ずることができる。日本人は明らかに、すでに亡くなった家族との関係よりも、いまに生きている人びととの関係の方を重要視している。  こんなこともあった。  何年か前の夏、学生仲間数人が連れ立っての九州旅行の途中で、一人が海に溺《おぼ》れて亡くなった事件があった。私たちは旅行を中断し、急《きゆう》遽《きよ》かけつけたご両親を迎えた。  ご両親は私たちの待機する所へやって来るや、「息子の死のために旅行を中断させることになって、ほんとうに申し訳ありません」と、何度も何度も頭を下げるのである。若かった私は、悲しみをすぐに見せようとしない親をまぢかに見て、死んでいった友がいかにも哀れで、心の底に強い反発を感じていた。  いまでも思う、そんなときに、お詫《わ》びを言う余裕はどこからくるのだろうかと。 韓国人の感情表現  韓国の女性とつき合いのある日本の男性によると、韓国の女性は、身体のあちこちが痛いということをしきりに主張すると言う。そう言われてみれば私もそうなのだ。気候の違いからくるものもあるが、日本人なら通常は口に出さない程度の痛みまで、すぐに口に出すということであるのかもしれない。  これは感覚の問題だが、韓国人は心の痛みも身体の痛みも同様にすぐに表に表わす。それほど痛くなくとも、自分自身をみじめな患者につくってしまいたい気持ちが強いのだ。ここにも恨《ハン》を楽しむ顔がのぞいているが、人に可《か》哀《わい》相《そう》に思われたいという気持ちと、痛いと言えば横になることも許されるからという、甘えた気持ちがあるのも確かに思える。  女が男の前で痛いと表現すれば、それは自分の弱さの訴えでもあり、弱さはまた女の魅力でもある。韓国の男たちは、痛いのを我慢するような女には魅力がない、痛いという方が可《か》愛《わい》いと感じているのである。  ほんとうは心のなかで悲しいのに、身体の表では悲しくないように見せる日本人。こうしたことも、韓国人が「日本人は二重人格者だ」とみなす場合の「証拠」となっている。  日本人が感情を抑制して間接的に表現するのは、他者との融合が希求されているから。韓国人が感情を抑制することなく直接表現するのも、同様に他者との融合が希求されているから。そこには融合したい場面の違いがある。  だとすれば、日本人では日常性に生きる他者との、韓国人では非日常に生きる他者との融合の場面が、それぞれ欲望の対象となっているのだろうか。 韓国側に立つ日本人の発言への疑問  さて、韓国人の情緒や感情についていろいろとお話ししてきたが、このへんで、韓国人の反日感情について少々考えてみたい。この章の最初に述べた、具体的な対象を獲得した恨のなかで、最大の恨はなんと言っても日本に対する恨だと思う。まずそのへんから——。  韓日関係が問題となるとき、どちらかと言えば韓国側に立とうとする日本の識者たちは、よく次のような主《しゆ》旨《し》の発言をしている。 「韓国人は戦前に日本がやったことをいまだに許してはいない。そうした日本人に対するうらみがひとつの国民感情のようになってもいる。確かに、日本は韓国人に対してひどいことをやったのだから、うらまれても非難されても当然のことである。私たち日本人はそうした韓国人の気持ちを素直に受けとめ、深く反省し心から謝罪する必要がある」  韓国人は、何かと言えば「日帝三十六年の支配」を持ち出しては日本人を攻撃する。多くの韓国人に接すれば、いきおい、そうした態度を頻《ひん》繁《ぱん》に見せつけられることになるから、そのような感想が出てくること自体はわからないではない。また、日本に来て間もなかった時分の私は、そうした日本人の発言を聞けば、とても気分よくうなずいたものだった。しかし、よくよく考えてみれば、これはきわめておかしな発言なのである。  私がこうした発言に感じるおかしさは二つある。第一に、これが現在の発言であるところでは、そこに、自立した近代国家の国民の間での対等な関係を前提にした態度が欠けていると思わざるを得ないこと。第二には、こうした発言が、どれほど韓国人の反日感情の質を知った上でのことなのかに、大いに疑問を抱く、ということである。  前者については、戦後間もないころならいざ知らず、戦後四十数年の間、韓日条約調印後二十数年になる現在に至るまで、延々とこうした発言が行なわれてきたことを考えなくてはならないと思う。この点については、日本でいろいろと論議されることも多いので、後に少し触れるとして、私が多くを語ることもないと思う。  そこで、ここでは後者の、多くの日本人があまり気がついていないだろうと思える、「韓国人の反日感情の質」について述べてみたい。 韓国人は日本人をうらんでいるか  個々人というよりは、韓国人一般の反日感情の質は、過去に日本の侵略を受けていかに苦しい目にあわされたかという、先祖あるいは民族の苦痛に対するものとしてある。これを「うらみ」だと理解する日本人が多いのだが、うらみというよりは、憎しみだと言った方が近い。したがって、相手に復讐して積年の怨恨を晴らそうという性質のものではまったくない。  また当然のことだが、韓国人特有の、自分をみじめな位置に置いて、そうした状況にある自分を「恨《ハン》嘆《タン》」するものでも、タリョンのような性質のものでもない。不幸な自分の運命を嘆くときの、あてどころのない恨ではない。  韓国人の反日感情は、もともとの彷徨《さまよ》える自らの運命に対する恨が、自らの国家の運命と重なることによって、日本という具体的な対象を獲得した——そこに出発するものだと思う。  この感情の内容を素描してみれば、日本人は韓国人を、野蛮なやり方で痛めつけた憎むべき悪人だ、だから彼らは道徳的に私たちの下に立つべき者たちだ。そのことを彼らが忘れないように、常にはっきりさせておかなくてはならない。彼らがそれを受け入れなければ、容《よう》赦《しや》なく攻撃するべきである、といったものになるだろう。  韓国人であればだいたい、初めて会った日本人には、まず日帝時代のことを頭に浮かべ、機会をつかんで、ひとことでも国のために何かを言っておきたい気持ちを強く持っている。たとえば、韓国駐在のある日本人ビジネスマンの奥さんが、帰国してから私にこんな話をして憤《ふん》慨《がい》したことがある。  あちらで韓国製の自動車を買ったのだがすぐに故障してしまった。彼女はとてもうまく韓国語が話せるので、自ら故障の状態を販売店に説明してなおすように言ったのだが、いつまでたってもなおそうとしない。そこで、ソウルの「消費者センター」へ相談に行った。そのとき、窓口の者にこう言われたという。 「あなたは日本人か、ならば、あなたにそんなことを言う資格はない。日帝三十六年の支配で、日本人は韓国人に対して悪いことをたくさんやって来たではないか、まずそのことを謝罪すべきであるのに、韓国人を非難するような言い方は許すことができない」  いまにして思えば、私もこういう決まり文句をずいぶんと口にしたものだった。  韓国人にとっての日本人は、常に自分たちに許しを乞うべき者であり、常に自分たちに対して下の方に位置することを忘れてはならない存在なのだ。そこで、「下にいるべき者が下にいること」を教えてやらなくてはという欲求が働き、機会をとらえては「日帝三十六年云々」が出てくることになるのだ。 日本人からは高くとって当然?  多くの日本人が、韓国は反日感情が強いとはいえ、そこは礼を重んじるお国柄、お客さんに対してはまさかそうした感情をぶつけることはないだろうと考えている。  最近、まさしくそのように考えて韓国旅行をしたという、ある日本人の読者から、こんな手紙をいただいた。  ソウルの町を見物しながら歩いていると、「靴を磨きませんか」と日本語で親しげに声をかけられたので、みやげ話にとやってもらうことにした。ところが、靴磨きが終わると、最初に言った値段よりも数倍も高い値段を要求してくる。彼は、「そんなおかしな話はない」と言いながら、あくまで最初に相手が言った値段で支払おうとして口論となった。  すると、いつとはなしに仲間の者たちが周りに集まってきて、いかにも暴力をふるうような態度を見せる。驚いていると、一人の靴磨きが割って入って、口々に叫ぶ仲間を押し止めながらも、彼に対してこう言うのである。 「いいじゃないか、あなたたちは過去に悪いことをしたのだから、そのぐらいは当然だろう」  彼は、「観光に行ったのになんであんな失礼な態度をとるんでしょうか、韓国は『東方礼儀之国』ではなかったんですか」と、その憤《ふん》懣《まん》を書き送って来たのだった。  観光で韓国に行ったにもかかわらず、あちこちで過去のことについて感情的に出てくる韓国人に接することになり、とても嫌な気持ちになるという話は、日本人から耳にタコができるほど聞かされてきた。観光客に対して、そんな迎え方はないだろうと、多くの日本人が傷つけられた体験を語るのだが、韓国人に言わせれば、観光客であれなんであれ、日本人は日本人なのだ。  すまない気持ちを持って、先祖たちがいかに悪いことをしたのか、日本人ならばそれを確かめるために韓国旅行をしなくてはならないと考える。だから、嬉しい気持ちで旅行してもらっては困るのであって、すまない気持ちで過去の罪を償うために旅行をすべきなのだと考える。  したがって、韓国旅行でスリにあったとしても、日本人なら文句を言うべき筋合いのものではなく、当然、我慢しなくてはならない、またそうしたことを積極的にされて当たり前なのだと考える。  みやげ物屋では、日本人に対しては、通常の何倍もの高い値段をつけるのが普通である。しかし、お金があるからということだけで日本人客を狙《ねら》う他の外国人とは違う。過去のことからすれば、日本人からは高くとって当たり前という論理ならぬ感情なのである。日本人は自分は一個人に過ぎないと言うのだが、個人にも責任があるとするのが韓国人だ。先祖は先祖、国は国、そして私は私という考え方は韓国人には通用しない。  あらゆる場面でこうしたことが現われる。ビジネス関係で、自分の方の責任で相手に損をかけても、日本側が一定の損をしても当然だと、損害の責任を回避する韓国人ビジネスマンが多いという話もよく耳にすることだ。 愛国的行為という名の日本人からの外貨獲得  日本にいる韓国人ホステスでもそれは同じことだ。  あるとき、私の教室で雑談のおり、一人のベテランの韓国人ホステスが後輩のホステスたちに、どうしたら売り上げをのばせるかについて、いろいろと教えはじめた。そのなかの方法のひとつにこんなものがあった。  お客にボトルを早く消化させるために、ホステスもしきりにお酒を飲もうとする。飲めない人でも飲まなくてはならないからかなり大変なのだが、そこで、こんな方法があるからやってみなさいと教えるのだ。  まず、自分のそばにウーロン茶をついだコップを置いておく。別のコップでウィスキーを飲むのだが、そのとき、飲んだふりをしながら、その実、ウィスキーを口に含んでおいて、その後にウーロン茶を飲むふりをしてそのコップのなかに吐き出してしまうのである。こうして一本のウィスキーがあっという間になくなる。  韓国クラブと言えば高級クラブのひとつであるが、日本人ホステスがサービスする高級クラブでは、こんなことはあり得ないことだろう。韓国でも場《ば》末《すえ》の酒場はともかく、一般ではまずないことだと言ってよい。なぜそんな汚いことまでして儲《もう》けるかと言えば、相手が日本人だからである。したがって、そこには「相手をだまして儲けている」という罪の意識はない。  この場合、先輩ホステスは、日本人は過去にわれわれの国に多くの被害を与えた人たちなのだから、それくらいのことは当然だと教えているのだ。  韓国では、日本人に対して高いものを売りつけたりすることは、悪いことではなく、かえって愛国的な行為と誇られてすらいる。とくに、日本で働く韓国人ホステスたちは、自分たちは愛国者だと、よく口に出して言う。私たちは、罪人である日本人からお金をとって、韓国の外貨獲得の助けになっていると自慢し、だから自分たちこそ愛国者だと言うのだ。  もちろん、他の韓国人たちは、彼女たちを国の恥と言うことはあっても、愛国者だとは間違っても言いはしない。これは、彼女たちの自己正当化の言葉であり、また自分の慰めとなる言葉なのかもしれない。 豹変する韓国の女たちの日本人観  そんなホステスたちではあるが、やがてお客が自分のお客(愛人)になったときには、彼女たちのやり方は一八〇度変わってゆく。店にいらぬお金を使わせないようにと、しきりに節約させようとする。他のホステスたちがなんとか売り上げを上げようとそのお客に働きかければ、それを積極的に防ごうともする。そうして、それまでとは立場を逆転させるのである。  もっとも、愛人との間でいさかいなどが起これば、日本人はいかに野蛮人か、過去どんなに韓国に対して罪を犯したか、あなたもその一員だ、だからあなたが悪い、という言い方で攻撃をすることも多いのだが——。  それにしても、この彼女たちの豹《ひよう》変《へん》ぶりは、個人的な信頼関係ができれば、もはや、あの「憎むべき日本人」など、どこにいったのかと思うようにかき消えてしまう、ということを物語っている。男女の間では、「日帝三十六年の支配」への謝罪などなしに、愛情の交流によって「両者の和解」が可能となるのがすてきだと思う。  このことからもわかるように、民族の怨みなどというおおげさなものが、一般の韓国人のなかに深く根ざしているというのは、日本人の考え過ぎである。韓国人は元来は、民族を優先して個人を次におこうとするような人たちではない。もし、ひとこと「ごめんなさい、許して下さい」と頭を下げ、相手に負けたという姿勢を示したならば、そのひとことで憎しみがスッと溶けてしまうのが韓国人なのだ。  そして、それまでの激しい感情がまるでウソのように姿を消し、「あなたはいい人だ、われわれの側の人だ」と言いながら、韓国人以上に仲よくしようとする。そして実際、相手によくつくすようになるのだ。これについては男も女も変わるものではない。 個人的な謝罪は欺瞞である  こういう韓国人の日本人に対する感情の質がわかったところで、やはりそういう韓国人はおかしいのである。当然のことながら、個人のレベルで国を背負い、個人的に頭を下げなくてはならない理屈など、どこにもないからだ。  それにしても、日本に来て知ったことだが、私の体験から、また新聞や雑誌を読んでみて、個人的な反省を述べる日本人が多いのには驚く。韓国にいるときには、日本人はまったく反省していないとよく言っていたものだが、まるでそんなことはなかった。  話を聞いてみても、個人的に韓国人に謝罪したことがあると言う日本人もたくさんいる。また、便宜的にそうせざるを得ないと、不承ながらも、「ごめんなさい」と頭を下げている日本人もずい分といる。  でも、個人的に頭を下げるのはよくないと思う。なぜなら、いわれなき個人の謝罪は、正面から相手に向き合うことを避け、ともかく怒っている相手をなだめてご機嫌をとろうとすること以外ではないからである。心ある韓国人が、そうした日本人をこそ、韓国人を貶《おとし》める失礼なやつだと思うのは当然のことである。  日本の本を読んでみると、国の意志をあたかも個人の意志でもあるかのように錯覚した戦前の自分を、たくさんの日本人が戦後に反省していることがよくわかる。また、自分はそうではなかったと、戦前に国に協力した人を非難する人たちも、これまたたくさんいる。そして、不思議なことには、どちらにも同じように、個人的に韓国人に謝罪する人が少なくないことだ。  そのへんを考えると、深いところで、ともかく人と対立することが嫌いで、なんとしても対立を避けるため相手に合わせようとする、日本人に染みついた関係の無意識が作用しているように感じられてならない。 戦後韓国の反日政策  このように、韓国人が日本人に対して、過去だけを見ての強い被害者意識をあらわにするのは、なんといっても戦後から一貫して行なわれて来た反日政策のたまものである。  もちろん、戦争が終わった韓国で、それまで抑圧されていた反日の意識が熱く燃え盛ったのは当然と言えば当然である。ただ、政府はこれを奨《しよう》励《れい》するだけではなく、韓国人は反日でなければならないといった、上からの強固な政策をとり、そのまま変えることなく一貫させて来たのである。  戦後の韓国にとって、日本は悪以外の何者であってもならなかった。そこに少しでも善を主張しようとすれば、誰もが非国民の烙《らく》印《いん》を押された。反共と並ぶ反日の旗印は、国民国家としてのまとまりには、この上もなく効果を生み出すものであった。  日本の新聞も雑誌も国内持ち込みが禁止され、ほとんど日本についての情報を知らされないまま、したがって、客観化する手段をまったく与えられない状態のなかで、一方的な教育、宣伝によって、徹底した反日政策が何十年もの間続いたのである。そのことをどう評価するかなしに、現在の韓国人の反日感情を額面どおりに受け取ることはできない。  最近はだいぶゆるんできたとは言っても、加藤登紀子さんが韓国で日本語で歌を歌ったために、政府筋から大きな抗議を受けるという事件があったことを、ご存知の方も多いだろう。 習慣としての反日的な感情表現  いまでも韓国人は、日本人のことをイルボンノム(日本人野郎)と表現することが多い。韓国人どうしの会話では、ごく自然に使っている。  日本はイルボンで、人はサラムだが、人を卑しんで言う場合にはサラムではなくノムを使う。ノムと言えば日本語で「あのばか奴」「あのばか野郎」などの「奴」「野郎」に相当する言葉だ。もっと侮《ぶ》蔑《べつ》的には、ウェノム(倭野郎)と使う。倭は韓国では日本人の背の低さをばかにした言い方となっている。さらにと言えば、チョッパリ(豚足)となる。これは日本人が足袋をはいたところが豚の足のようだからである。  日本のテレビが北朝鮮の子どもたちに「日本のことをどう思うか」とインタビューしているのを見たときのこと。質問を受けた小学校の女の子は「日本人は戦前、私たちを苦しめ……」と決まり文句を可愛らしい声でしゃべっていたが、そこで女の子は、イルボンノム、イルボンノムと「日本人野郎」を連発していた。  字幕では「野郎」は出なかったが、これをある日本人に話したら、「いくらなんでも、北朝鮮はこれから日本とつき合いたいと言ってるわけでしょ、しかも日本人からインタビューを受けてるのに、それを子どもがしゃあしゃあと『日本人野郎』とはねえ」とあきれていた。もちろん、韓国人なら間違っても、日本人に面と向って「野郎」とはまさか言わない。ただ、政策とは恐ろしいもので、内側では「野郎」をつけることが自然な言い方になっているのだ。  だからと言って、韓国人の多くが日本人を軽蔑しているのではない。個人的には尊敬もし、好きだと言う人はかなり多い。ただ、反日的であること、反日的な言い方をすること、反日的に感情表現をすることが、ひとつの習慣になってしまっているのである。 圧殺された親日感情  私がまだ幼かったころ、戦前に日本に行ったことがあるという母は、私によく日本の話をしてくれた。それは、日本の温泉に行ったときの楽しい思い出や、きれいな景色に心を浮き立たせたり、珍しい食べ物に好奇心をかきたてたりといったことであり、日本人についての話はあまりなかったのだが、憎むべき人たちの住む国を思わせるような話はまったくなかった。私は母の話にすっかり魅了され、大きくなったら日本に行きたいと願い、日本といういまだ見ぬ国に大きく憧《あこが》れていた。  しかし、小学校に上がって、日本がいかに韓国に対して悪いことをしたかを、徹底して教えられ、反日ポスターを描かせられたりしているうちに、私はそのように日本を感じていたことが恥ずかしくなり、すぐにみんなと同じ一人前の反日生徒へと変わっていったのだった。  母からは日本語の単語をいくつか教えてもらったりもしたが、日本の軍隊にいたこともあるという父の口からは、日本語はもちろんのこと、日本についての話を聞いたことはまったくなかった。私が聞くとムスッとした顔を見せるので、ああ、父は日本が嫌いなんだなと思っていた。  ところが、私が何年か前に帰郷したおり、知り合いの日本人を伴っていたところ、父はいきなり、その日本人に日本語で親しげに話しかけるのである。初めて聞く父の日本語だった。そのときの父のなつかしげな表情は、いまでも忘れることができない。このとき私は、父がほんとうは日本人に憎しみなど何ら持っていなかったのだと信じられた。  植民地時代の方が、ずっと日本人に対する見方が公平だったように思う。日帝時代の韓半島の小説、たとえば、「韓国近代文学の父」と現在の韓国でも評価の高い、李《イ・》光《クアン》洙《ズ》の作品からも、そうした雰《ふん》囲《い》気《き》が如《によ》実《じつ》に伝わってくる。とくに一九三〇年代前半までの韓国を描いたものに多い。  それらの小説では、日本が韓半島を植民地化しているということとは別に、日本が先進国であり、またすぐれた文化・芸術を持つ国であり、多くの学ぶべきものを持った国であることが、いきいきと描かれている。  それは、日本によって初めて近代に触れた、多くの韓半島知識人たちの当時の心持ちを代表するものであったに違いないと思える。 日本には文化がないという決まり文句  現在では、「日本人から学ぶものは経済や技術以外には何もない」ということを口にする韓国人が多い。経済や技術の面では日本にコンプレックスを感じながらも、文化的な面では日本人には何ら教えてもらうことはないと、自信まんまんなのである。そこでは常に自分たちが文化的に上だと思っている。たとえば、高等学校の国史の教科書にこんな主旨の記述がある。 「豊臣秀吉の侵略軍を韓国が打ち破ったのは、人的にも資材(兵器など)の上からも、韓国人がいかに日本人より頭脳的にすぐれていたかを物語っている。また、侵略によって韓国からたくさんの文物や人材を略奪していったことによって、東南アジアの後進国であった日本は、大きな発展をとげることができたのである」  とにかく、教科書のあちこちで、野蛮人日本対文化人韓国という比較が語られている。  そこで、日本に文化と言えるものはない、すべて中国と韓国から入ったものを単に整理したのに過ぎない、文化を渡して上げた韓国に感謝すべきではないか——すぐにそういう言葉が口をついて出てくる。つい最近も、そのままの決まり文句を言う韓国の大学教授と日本の作家とのぶつかり合いが、日本の雑誌で大きく取り上げられていた。  日本が経済発展をとげたのは朝鮮戦争のおかげであり、陶磁器の発展も豊臣秀吉の「朝鮮侵略」で多くの陶工を略奪していった結果であり、日本は韓国のよい文化をすべて取り上げていったとは、自らの歴史を省《かえり》みようとはしない韓国人の、決まり文句のひとつである。これが、戦後の反日教育の結果、パターン化されていった言い方であることははっきりしている。  現在の多くの韓国人には、経済発展が遅れた自らの側の原因、陶磁器の伝統を引き継いで発展させることができなかった自らの側の原因を探ろうといった姿勢は、まったくと言ってよいほど見ることができない。そこでは、現代韓国人にとっての日本は、憎むべき相手というよりは、自分の責任を棚上げにしておいて、責任を他に転《てん》嫁《か》するさいの格好の対象となってしまっている。 天皇のひとことで韓国人の「反日感情」は解消する  いまだに、多くの日本人が反省します、反省しますと言い続け、多くの韓国人が反省しろ、反省しろと言い続ける。日本人に言わせれば、いつまで反省し続ければいいのか、いつまでたってもきりがないではないかということになる。確かに、このままであれば、ずっとこうした関係でずるずると行くしかないだろう。  ではどうしたらいいのか? それをあえて日本側からの方法ということで言ってみたい。  韓国人が心から日本に求める謝罪は、日本国が自らの尊厳を賭けての、深い情感をこめた謝罪なのである。具体的には天皇が直接謝罪の言葉を示すことである。韓国人にとって日本人の心情を代表するものは、首相ではなく、あくまで天皇なのである。それが、現在の韓国人の日本に対する最終的な要求なのだ。日本がそれをしないため、韓国人は、常に日本人から謝罪の言葉を聞かなくては気がすまないといったことになっている。  韓国の全《チヨン》 斗《・ドウ》 煥《フアン》大統領が昭和天皇と会見したとき、韓国人はテレビにクギづけになって、天皇のたったひとことの発言を聞こうと耳をすましていた。そして、大きく失望したのである。そのとき天皇は、過去の韓日関係について「遺《い》憾《かん》だ」という発言をしたのだが、「遺憾」という言葉は、なんら韓国人の気持ちを納得させる力とはならなかった。「遺憾」という言葉は韓国人には、かえって徹底的な反省を回避するごまかしの言葉と聞こえたのである。平成の新天皇が盧《ノ・》泰《テ》愚《ウ》大統領に述べた「反省しています」という言葉でも、まだ多くの韓国人は納得しなかった。  ようするに韓国人が聞きたいのは、「ほんとうに悪かった、どうか許して欲しい」という天皇の、「感情のこもった」言葉なのである。感情を表に表わさない日本的な表現は、韓国人には「心がない」と感じられてしまうのである。韓国の大統領に対して、そのひとことがあれば、反日政策で植えつけられた日本人への謝罪要求の声は、その一瞬から消え去ってゆくだろう。  私はこの話を何人かの日本人にしてみたが、誰もが「信じられない」と言う。日本人は、そうした言葉を天皇が述べれば、韓国人はこれまで以上に強く、さまざまな形で償いを要求して来るに違いないと感じているようだ。しかし、それは逆なのである。  天皇が情感に満ちた口調で「悪かった」とひとこと言えば、韓国人の集団的な恨《ハン》の固まりは一気に溶《よう》解《かい》してしまう。以後、韓国は日本に対して強い要求をすることが出来なくなってゆく。日本を攻撃する理由がなくなり、もはや日本に対して上の立場に出られないことを知るからである。何らかの要求があったとしても、以前に比べてより低いものとなることも私には確信できる。 歴史は昨日からの連続である?  先に、現代韓国人の反日感情は、反日政策のたまものと言ったが、それが国民の隅々にまで浸透したところには、もちろん、韓国人側にそうした政策を受け入れる素《そ》地《じ》があったからである。  韓国人が日本人に過去のことを言うと、若い人などではとくに、「過去は過去、いまはいま」と、論点そのものを問題としないことが多い。そこには、何が正しいかという以前に、日本人と韓国人の歴史に対する考え方の違いがあるように思う。韓国人にとっての歴史は昨日からの連続であり、日本人にとっての歴史はいまつくられているといったもの。両国民の間の歴史観には、どうもその中間が稀《き》薄《はく》なように感じられる。  韓国では「先祖の代を息子に結ぶ」と言う。日本ではそれを「譲る」と表現する。韓国的な表現では、過去が先祖の血によって、今日までストレートに結びつけられているのに対して、日本的な表現では過去と今日は断続するつながりとなっている。  それに関連して、以下に、私の知る韓国人の女子留学生と日本人女子学生のケンカ話をご紹介しておきたい。なお、こうした類《たぐい》のケンカは、小さいものから大きなものまで、日常茶飯事のごとく、私の耳に入ってきている。そういうものの、ひとつの典型とお考えいただきたい。  彼女たちは一緒のアパートの一階と二階に住んでいる、とても仲のよい友だちである。自然にお互いの国についての話をよくすることになるのだが、そうなると決まって話題は歴史問題へと移ってゆく。そして、「日本人が悪い、あなたも同じ日本人だから責任がある」ということが、しきりに韓国人の留学生から主張される。日本人の学生はそれにずっと我慢してきたのだが、あまりにたびたびのことなので、ある日ついに怒りが爆発して大ゲンカとなってしまった。  日本人の学生は、「それは先祖たちが悪いことであって、私に何の責任があるのか」と言う。それに対して韓国人留学生は、「先祖たちの過《あやま》ちの責任は子孫には関係がないと言うのは許せない」とますます怒りをつのらせてしまった。  この攻撃を受けた日本人の学生は、「話のわかる唯一の韓国人」だということで私の所にやって来た。そして、「先祖たちが韓国人にどのようなことをしたのかすらよく知らない私に、なんの責任があるのか」と憤《ふん》懣《まん》をぶちまけるのである。 日韓歴史教科書の大きな違い  私は若い人からこうした言い方をよく聞かされるのだが、実はこの「よく知らない」ことが、ケンカをより大きなものにしている。  教科書の比較で言えば、韓国の教科書が日本との歴史について多くのページをさいているのに対して、日本の教科書が韓国との歴史に対してさくページ数はごくわずかなものである。それは、韓国の歴史が日本との関係なしでは語れない部分が多いからであり、日本の歴史を学ぶ場合には、韓国との関係をそれほど多く学ぶ必要がないからでもある。  韓国の国史、とくに近世史・近代史の教科書の内容は、その多くが日本との関係で埋められている。豊臣秀吉の「朝鮮侵略」から日帝三十六年間の植民地統治に至るまで、日本がいかに韓国に対して悪いことをしたかということが、克《こく》明《めい》に記されている。また、三国時代には、韓国がいかに日本に対してさまざまなことを教えて上げたかということが、詳しく展開されている。  まるで「よき日本」に触れられることがないため、学校教育から受ける日本のイメージはとても悪いものとなっているのだが、一方では、日本史のアウトラインがけっこうつかめるようになってもいる。それに対して、日本の学校教育からは、韓国の歴史のアウトラインをつかむことはまず出来ない。そこで、先に述べたようなケンカがエスカレートすることにもなってしまうのだ。  日本には多くの韓国史・韓国文化の研究者がいるが、韓国にまともな日本史・日本文化の研究者はごくわずかしかいない。しかし、韓国人は学校で、日本については浅いながら広く教えられるので、日本のことをよく知っていると錯覚している。日本では、韓国研究者の層はあついものの、学校で教える韓国に関する知識はきわめて狭く浅い。そのため、一般の日本人の韓国に対する知識はとても低いものとなっている。  こうした所から、一般的には、韓国人が日本の歴史を知っているようには、日本人は韓国の歴史を知らないということが起きてくる。そこで、「日本が悪い」と言って、具体的な指摘を行なう韓国人に対して、歴史的な事実をよく知らないため、具体的に応ずることが多くの日本人にはうまくはできていない。  当然に知っていなくてはならないことを知らない日本人は、やはり過去の反省などしていないに違いないと感じてしまうのである。これはかなり決定的なことである。 議論で韓国人と親友になる  私の知り合いの日本人のなかに、わずかだけれども、「日帝三十六年の支配」について、頑《がん》として個人的な謝罪をしようとはせず、しかも多くの韓国人たちと親密な関係を保っている人たちがいる。彼らは「日帝三十六年の支配」を持ち出されても、そんなことを言うなら話はしないと突っぱねるのではなく、逃げるのでもなく、ともかく話してゆくなかで、とくに親しい関係を生み出しているのである。  彼らは日本についてはもちろんのこと、通常の韓国人以上に韓国の歴史上の知識に通じている。そこで彼らは、韓国人が「日本が悪い」と言って攻撃をして来ても、具体的に関連する韓国と日本の歴史について指摘しながら、問題を見事に客観化してしまうのである。  私は彼らのなかの一人のビジネスマンと親しかったこともあって、その彼と仲のよい韓国人に「あなたはあの日本の友人にどんな印象を持っていますか?」と聞いてみたことがある。その韓国人は「わが友」と自慢する彼について、こんなふうに話してくれた。 「あの人は韓国のことをとてもよく知ってくれている人で、われわれの側の人ですよ。私はあの人に畏《い》敬《けい》の念を覚えてもいます」  そして、その日本人いわく。 「僕が韓国で仕事をすることになったとき、毎日がケンカでしたね。もっとも議論をしたわけだけど、それはまるでケンカですよ。会ってみて、相手がおかしなことを言い出したら、よし、議論しようとやっちゃう。相手はまず乗って来ます。そうして議論するんですが、僕の体験ではみんながみんな、実は日韓を巡る歴史については、それほどよく知ってはいないんですね。議論しているうちに、すぐそういうことがわかってきます。ですから、突っ込んでいくと、どうしても相手は詰まってしまう。それから、しだいに信用されてゆくんです。つまり、われわれの国のことをこれほどよく知っている人だから、というわけです」  彼の話は私にはとてもよく理解できる。文人(知識人)を尊ぶ伝統、相手が自分より上だと感じたときに(この場合は知識)下につくことをよしとする倫理、身内のことを気にしてくれることに喜びを感じる心情、不《ふ》退《たい》転《てん》の力強い態度に信頼感を持つ性格、ケンカするほど心をぶつけ合ったという生々しい手応えに感じ入る情緒……。つまり、彼はとても韓国人的に韓国人に接したことによって、韓国人に受け入れられたのである。 ソフトな批判からの和合  彼が歴史や文化の知識に深い造《ぞう》詣《けい》を持っているには違いないが、実際には、日本語の韓国史の概説書を一冊読んでおけば、たいていの韓国人と話すには十分だと言う。残念ながら、その通りだと言うしかない。なにしろ、韓国の大学を卒業したとは言っても、私自身、日本人の書いた韓国史や韓国の文化についての本から、まったく知らなかった歴史的事実をたくさん学んでいるのだから。  ただ、日本人にはこのような積極的な出方の出来る人は少ないように思う。日本的な受け身の姿勢は韓国人にはなかなか理解され難いのである。それでも、彼らのなかにはもう一人、日本的な会話の仕方でやんわりと受け答えをしながら、いつとはなしに親しい関係をつくってゆくことのうまい人がいる。これは、積極的な議論とは異なり、少々の知識を仕入れておきさえすれば、誰にでもできる方法なのでご紹介しておこう。  ともかく韓国人には、日本人から「悪かった」のひとことが聞ければ信用しようと考えている人が多いため、日本人との話になれば、すぐにそちらの方に話を持ってゆき、相手の考え方を探ろうとする。彼は、まずそれに乗るのである。 「たとえば相手が、『日本人は戦前のことについての反省が薄いですね、あなたはどうですか』とか言ってくれば、『その通りですね、こんなひどいことをしてますから……、しかしもっとひどいことには……、さらにこんな面もあるし……、それからこんな日本人もいて……』など、こちらの方から、僕なりの日本批判をやるんです。で、『そうでしょ? そう思いませんか』『いや、まったく』とかやりとりをしているうちに、話がわかる人だと、緊張がとれてスッとうちとけてゆくんです。そこらへんから、『日本人もそうだけれど、韓国人にもこんな面がありますね……こういうのは反省すべきじゃないでしょうか?』と正当な主張をすれば、まず韓国人は『はい、その通りです』と言ってきますね。それは正直な人たちですから」  つまり、謝罪するのではなく、自分もかつての日帝に、また現代の日本にも批判を持っていることをまずはっきりさせるのである。それから、柔らかく相手を切ってバランスをとってゆく。この対応の仕方は、まさに日本的なものだが、韓国の問題を語るには、韓国人に大きな説得力を持つ、絶妙なものと感じられた。  この人は、単に日本についてだけではなく、自分たちすら気がついていなかった韓国人の悪い面をよく指摘してくれる——そんな相手の姿勢がわかると、韓国人は強い身内意識を相手に感じてゆく。そういう相手から出される柔らかな、しかも正当で具体的な批判であれば、通常は外国人からの批判には猛烈に反発する韓国人も、素直にうなずくことができるのである。  そして、外国人なのによくそこまで自分たちのことを知っていてくれると驚きかつ感心し、畏敬すべき日本人としてその人を遇するようになってゆくのである。  韓国人の日本人批判に対して、多くの日本人は逃げてしまう。そうでなければ、突っぱねるのである。そうしてしまうシチュエーションはよくわかるし、「それは言いがかりだ」「そんな態度は失礼だ」「個人は個人、国は国だ」などの感じ方もわかる。  でも、民族の皮を被《かぶ》ってはいても、結局は人である。懐《ふところ》に入って行きさえすれば、民族の皮や歴史の皮を脱いだ個人が現われてくる。そして、民族の皮や歴史の皮は、誰もが無意識に被っているものだ。それは、私自身が、日本での生活のなかで、日本人を相手に獲得した体験である。 気持ちのいい日韓関係のやって来る日  国家的には天皇の謝罪を、個人的には正面からの議論を、また日本的なバランスをとった指摘を——これが、いまの韓日の間の、決して気持ちのよくない関係を、日本人の側から根本的に好転させようとする際に、当面、最も適切な方法ではないかと私が考えていることである。と同時に、逃げと突っぱねで対応することの多い日本人には、すぐには採用しかねる対応であるかもしれないとも思う。  しかし、そうだとすれば、いまの私には、韓日関係の気持ちの悪さは、時が解決するにまかせる以外に仕方のない問題だと言うしかない。そして、それが真理であることは間違いない。  確かに、韓国の新しい世代は育っている。私はそれを、今年(一九九一年)、夏休みを利用して日本にいる私のもとに遊びにやって来た、第1章でもふれた二人の小学生の甥《おい》たちから、直接肌で感じとることができた。  私は日本にやって来て九年になるが、その間、次々と韓国からやって来るたくさんの同国人と話をしてきた。しかし、はっきり言って、韓国の将来に希望を持つことが出来たのは、この二人の甥たちに対してだけだった。  この可《か》愛《わい》らしい甥たちの心は、ほんとうに開放的なものだった。日本や日本人への偏見などみじんもなく、学校の先生も、日本人とは仲よくしなさいと常に言っているという。彼らにとっての日本は、明らかに、かけねなく興味しんしんの、お隣の経済・技術大国日本であり、顔はそっくりだけれども風習がずいぶん違う、外国以外の何ものでもなかったのである。  時は必ず解決へと向かう。そのことが、私にやっと信じられるようになったのは、甥たちに出会った、つい最近のことである。  でも、と私は考えている。日本的な言い方をアレンジして、「代の風を子孫に送る」ことはできないものかと。私たちの代で心地よい韓日関係へと窓を開いて、その空気を甥たちの代へ送りとどけたい。それは願いであるに過ぎないかもしれない。それでも私は、そうした気持ちを持ち続けていきたいと思っている。  第3章 韓国の家族主義と男女観       ——父系絶対主義社会の実像 韓国の「家族主義」について  韓国が家族主義の国だと言うと、日本もそうだと言う人が多い。そして、「いまの韓国の封建的な家族関係は、かつての日本と同じではないか」とも言われる。確かに半分は当たっている。しかし、残りの当たっていない半分に目を向ける日本人はとても少ないように思う。  そのため、いつも私はその残りの半分について強調することになってしまう。  韓国人が友だちをつくるとき、お互いの秘密を話し合い、きわめて緊密な関係を結ぼうとすると先にお話しした。しかしこれはよく誤解されるのだが、家族に模《も》して家族同様の親しい関係をつくろうとするものではまったくない。家族制度があまりにも強力なものであるため、なんとか家族から離陸した関係をつくろうと、そうするのである。それだけ特別な契《ちぎ》りを交わさなくては、他人どうしが互いに信用し合うことができないのである。  たとえば、次のような実話が抗日運動時代の韓半島にある。  抗日戦線を戦うある一部隊が、日本軍の背後に迫りあと一歩でその軍団を全滅させられるという状態に至った。そのとき、隊長のもとへ父親が亡くなったという知らせが届いた。そのため、隊長は即座に部隊をひきあげ、自分は国に帰って三年の間喪に服した。  この隊長は韓国では孝をつくした立派な人だと尊敬されている。これが日本であれば、私事のため敵前逃亡をはかった非国民と非難されたに違いない。もちろん戦前の日本に限らず、現在でも、家族よりも会社(家族以外の社会関係)を優先する日本人は厳然として生きている。  日本のプロ野球で、大切な試合の最中に親が亡くなり、その報告を受けながらもバッターボックスに立った選手に、よく悲しみをこらえてガンバッタと、多くのファンから称賛の声が送られたということを本で読んだこともある。韓国でならば、「なんという親不孝者か」と非難されることは火を見るよりも明らかである。  いや、私はそうではないという日本人もいる。でも話を聞いてみると、例外なく、制度としての家族をではなく、家庭という名のプライバシーを大切にしているということなのである。  私が言うまでもないことだが、韓日の伝統的な家族制度は次の点で大きく違っている。  韓国の家族制度は、血の純粋性を守ること、しかも父系の血統を持続させることが最大の目的である。一方、日本の家族制度は非血縁の参入を容認する擬似血縁の家族制度であり、血統ではなくイエの持続が最大の目的である。  したがって、日本人が「家族同様のおつき合いを」と言えば、それは「ひとつのイエのもとにいる同じメンバーのように」という意味である。  私は日本人からはじめてこの言葉をかけられたとき、何を言いたいのか意味がよくわからなくて聞き返したものだ。そして、それが言葉どおり「同じ家族のメンバーのように」の意味だと言われて、ゾッとしたことを覚えている。血のつながりを他人との間に連想して、生理的な気持ちの悪さを感じたのである。  日本の家族制度は韓国と比較すればとても緩《ゆる》やかで弱いものである。だから、友だちとの関係に強力な契りを必要とはしないのだ。そこに、韓国のように激情の通じ合いを求めることのない、淡くほのぼのとした友情が可能となっている。 韓国の父親と日本の父親  韓国の家族主義は父権主義でもある。ここでも、それは日本でも同じことだ、かつての日本にも、男がいばり女が虐《しいた》げられるという、いまの韓国と同じような状態があったと言われることが多い。確かに、表面ではそう言えるかもしれない。しかし、どうやらその下の方では、およそ韓国とは異なる日本が広大な裾《すそ》野《の》を形成して、しっかりと腰をすえている。  それは言うまでもなく母性を尊重する母権主義的な価値観と文化である。  日本人と家族の話をすると、なぜか父親の影が薄いものに感じられるのが実に奇妙だった。そして、少し親しくなった日本人の家庭におじゃましてみると、多くの奥さんがご主人に対しても母親的なのだ。また、ご主人も奥さんに対してまるで子どものような接し方をして喜んでいる。これは韓国人にとっては驚くべきことである。  また、日本の男たちは次のようなことを口癖のように言う。 「父親なんて働きアリみたいなもんでね、子どもはみんな母親の味方だし、僕なんかおカミさんがデンと取り仕切る家に生活費を運んで、それでなんとか面倒を見てもらってるわけさ、哀れなもんですよ」  もちろん、これはジョークだろう。自分を揶《や》揄《ゆ》してみせることによって、いかに自分の家族では父親の力が小さく、母親の力が大きいのかを強調してみせている。韓国ではこんなジョークは成り立ちようがないから、額面どおりに受け取られて軽《けい》蔑《べつ》されることにもなりかねない。  このような、母親の方に権威のある家族のあり方が、見かけだけではなく、実際に内容のともなったものかどうかは個々に違うかもしれない。ただ、このジョークでは、「そのような家族がよい」という無意識の価値観が語られていると思うのだ。「そのような家族はよくない」と思っているのならば、ジョークになるわけはなく、悔《くや》しさや怒りとして表現されるはずである。  なぜ日本ではお母さんの力が目立つのか?  日本の民俗学の本をいくつか読んでみてやっと納得できたのだが、なるほど日本は母の国なのだ。それに対して韓国は文句なく父の国である。それもおそらく、世界でも最も強固な父権主義社会である。韓国人が英語で書いた文献を読むと、自分の生まれた国をマザーランドと表記する世界の常識に反して、ほとんどの者がファーザーランドと表記しているのである。  韓国ではいまでも、父親の前で子どもが煙草を吸ったりお酒を飲むことを許さない家は珍しくない。厳しい家では眼鏡をかけて父親の前に出ることも許されない。そのような行為は父親の権威を汚すものだからである。韓国では眼鏡はおしゃれ用具の感じが強い。  韓国の普通の家庭ならばどこでも、父親が帰宅すれば、それまで緩んでいた家の空気は一瞬張りつめたものとなり、やがて中心を取り戻した独《こ》楽《ま》のような安定感が家族を満たすのである。 韓国の女はなぜ熟年の男が好きか?  中心にあらゆる父の要素を合わせ持った「理想の父」を置き、そこへの到達のために人びとが激しく競い合う——。これが韓国社会の基本的な図式であり、またこの求心性が韓国社会のエネルギーなのだ。男は自分の姿として、女は自分の夫として、それぞれが中心に描かれた「理想の父」への憧《あこが》れを胸に人生を歩む。  韓国の男女は、いまだこの強い磁場の上で愛を語っている。  もともとは男権社会であり、いまや劣勢はなはだしい欧米の男性が、そのへんをどう思うのか聞きたいと思っていた。日本に滞在の長いというアメリカ人ジャーナリストと知り合ったおりに、なんとなくそんな話題になった。私が聞く前に、彼の方からこんなことを聞いて来た。 「あなたは、韓国では年寄りの男が好きな女が多いと言うけれど、それはウソで、ほんとはお金のために嫌々つき合っているんじゃないんですか? だって、セックスだって満足できないでしょうし……」  なるほど、リッチな生活がしたいために我慢してお年寄りとつき合う若い女——なんのことはない、アメリカ人がそうだから韓国人のホンネもそうだろうと言っているに過ぎない。  しかし、ことはそれほど単純ではない。  韓国の女たちが求めるのは、世間をよく知り社会的な力もあり、自分の心理と生活に安定を与えてくれる、まさしく父親のように、頼りまた甘えることのできる男なのであり、お金はその属性にすぎない。したがって、そのような男は現実的には年齢がだいぶ上になる、ということである。また、韓国ではお年寄りを尊敬するから、その点でも特別な抵抗感はない。  セックスについて言えば、一般的には、お年寄りとのつき合いでは、直接的な性関係が少なくてすむことが、韓国の女たちにはとても気楽なのである。韓国の女の性意識は、日本人やアメリカ人が想像する以上に、「女がセックスを好むことは汚いことだ」という、男社会の道徳観念に強く規制されている。女どうしで性について開けっぴろげに話すことは多いが、私が個人的に知る限りでは、ホステスにしろ、家庭の奥さんにしろ、若い学生にしろ、セックスに快楽を感じるという女はきわめて少ない。 どんな男が恋人、夫にふさわしいか  最近、休みを利用して日本に来た、数人の韓国の女子大生と話す機会があった。私は「みんなどんな男の人とつき合いたいと思ってるの?」と聞いてみた。一人の快活そうな学生がすぐに口を開いた。 「女子大生の間ではね、社会的に地位のある男を誰が先に愛人にするかというのが流《は》行《や》っていますよ」  彼女たちはお互いに顔を見合わせながら、「そうなのよね」とうなずき合っている。 「なぜって、若い男たちって、なんか青くさくて、年をとっている人の方が女の扱いがうまいじゃないですか? こちらが何か間違いをしても愛《あい》嬌《きよう》で見てくれるけど、若い男はマジメになるから疲れますよ。デートでも、電車かバスに乗ってみすぼらしい食堂で食事するのが精いっぱいでしょ? でもある程度の地位のある人だったら、自家用車で高級レストランに乗りつけて食事もできるじゃないですか。若い男は経済的な余裕があったにしてもデートの相手としては嫌ですね」  彼女を援護するように別の一人が言う。 「中年の人と一回つき合ったら、もう若い男となんかはつき合う気にならなくなりますよ」  うなずきながらも、一人の学生がそれにちょっと反発してみせる。 「私は年寄りの男は嫌だな。でも、結婚相手ならば十歳くらい差がある男がいいわ」  そこから結婚相手にはどんな男がいいかという話に移っていった。  一人が言う。 「結婚するなら、結婚した経験がある人がいいと思うな。それに、たくさんの女を知っている男がいいわ。なぜって、もう浮気に疲れて飽《あ》きてしまってるでしょ、だから自分が最後の女になれるわ」  この意見にはみんな賛成で、口々に「私も、私も」と言うのには驚いた。なぜかと聞くと、こんな答えがかえって来た。 「韓国では『女は我慢して生きるもの』とか言われるでしょ。でも、我慢して生きてきた母のような生活はしたくないですね。浮気を我慢するくらいなら、浮気の相手になる方が全然いいですよ、だっていつも愛をもらえるじゃないですか」  子どもっぽいと思われるかもしれないが、彼女たちの男性観は韓国の一般の女のそれと、それほど変わるものではない。彼女たちも、もっと年上の女たちと同じように、若さよりも安心して頼れることの方に重点を置いているのだ。そして同じように、彼女たちからも、男に依存することなく生きようとする意志を感ずることはできない。  韓国の男女の愛は、通常、男に依存する女という構図でつくられてゆく。そのような構図が崩れると、恋人関係にもひびが入ることが多く、ほとんどの夫婦関係が崩れてゆく。実際、私の知る韓国の女医は、サラリーマンの夫と共稼ぎをしているが、あるとき自分の給料が夫より高くなってしまった。彼女はそのことを悩み、結局、病院に頼んで自分の給料を夫より安くなるように下げてもらっている。  経済力でも知識でも、すべてについて男が上で女が下。この関係が逆にならないようにということでも、夫は十歳ほど上がよいとする考え方が出てくるのだ。そのため、極端な年齢の差もそんなに男女の愛の壁にはならない。二十代の女が六十代、七十代の男に愛を感じることも、韓国ではとくに変わったことでも珍しいことでもない。 韓国式浮気の防止法  母親が娘の結婚相手に十歳ほど年上の男をすすめるという話はよく聞くことである。ひとつには、同世代で意見の衝突が起こりやすくなっているということもある。しかしそれよりも、女の身体が老《ふ》けて魅力がなくなることから、男の浮気がはじまるケースが多いからである。  そうした浮気のケースは何も韓国に限ったことではない。日本でもあることに違いないが、日本では男の浮気の理由は身体よりも精神的な面の方がずっと大きい。韓国では、いくら精神的には問題がなくとも、女の身体が老けて魅力がなくなると、それを女の責任にして、当然のように浮気が正当化されるのである。  韓国の男たちの世界では、浮気をしない男は妻に振り回される弱々しい奴だと貶《おとし》められる。浮気もできない男なんて、と失格者扱いされるのだ。それほど、男の資格として浮気が重要視されてもいる。  そんなお国柄でもあるため、韓国の女性雑誌には、「男の浮気を防ぐ法」などの記事が目につく。そこでも、視点は主に「外見」の物質的な面におかれている。たとえば、「家に帰った夫に化粧していない自分を見せるな」とか「つねに家をきれいにしておけ」など。  精神的な面の指摘と言えば、多くが通俗的な儒教倫理の焼き直しといったもの。 「瓢《ひよう》箪《たん》を引っ掻くな(キーキー声をあげて男に文句を言うな)」「妻が夫より知識を持っていたとしても、夫よりわかったようにしてはいけない(これが最近はとくに強調される)」「女の有識は男の出世を妨げる」「男より一段下にいることで家庭はうまくゆく」など。  次は、日本で言えば「井戸端会議」、韓国女たちが集まって男の悪口を言い合っていたとき、その年四十歳になった韓国の主婦が語った話である。  彼女の夫はこのところ、夜になるとすぐに一人で寝てしまう。浮気の危機がやってきたことを覚《さと》った彼女は、寝室の照明やカーテンを一新してムードをつくっておき、赤いネグリジェを着て寝室に入った。しかし、夫は彼女にくるりと背中を向けて眠り込んでしまった。  それでも彼女はあきらめることなく、次の晩は緑色のネグリジェを着て寝室に入った。が、夫は相変わらず一人寝を決め込んでしまう。  業《ごう》をにやした彼女は、三日目の晩に、ついに素肌で寝室に入った。だが、やはり夫はそのまま一人で寝てしまうのだ。  二、三日して、どうにも我慢がならず、彼女は夫にくってかかった。 「あなたは、どうしてそんなに私に無関心なんですか? いったい、夜、私がどんなものを着ていたのか、覚えている?」  夫が答えた。 「もちろん覚えてるよ。最初は赤で、翌日は緑、その次は色はよく覚えていないけど、もっとアイロンかけた方がいいんじゃないの?」  みんなで笑ってしまったが、当人にとっては、実際、笑うに笑えない現実である。寝室で女がリードすれば、それは「はしたない女」となるので、中年の妻たちは夫を受け入れるための器づくりにそれぞれ懸命に励むことになる。そこで、「井戸端会議」のテーマも、いきおい浮気対策に集中することが多い。そんなとき、彼女たちからしばしば出される言葉は、「結局、経済的な能力さえあれば一人で暮らす方がいいわね」である。  精神的なことが理由ならばなんとかしようもあるが、肉体の衰えを理由に浮気されるのだからたまったものではない。そのため、自然分《ぶん》娩《べん》ができるのにわざわざ帝王切開をしたという女も珍しくなく、また、あの奥さんはイップニ手術(可《か》愛《わい》い女の子手術=膣《ちつ》口《こう》を縫《ぬ》って小さくする手術)をやったそうだという話が、主婦たちの間で真剣にささやかれることにもなっている。  韓国の男たちは通常、女が子どもを生み、四十歳を過ぎると、もはや女としての価値はないものとみなす。女の方でもそのくらいの年齢になると、自ら女であることをあきらめ、後は、家庭を守る妻としての、子どもを育てる母としての価値に生きるのである。 外見の美のために  ともかく韓国では、女の価値と言えば外見。女と言えば身体。そこで、四十代、五十代の女たちは、身体の美容にはそれこそ血《ち》道《みち》をあげると言えるほどの熱心さを見せる。  最近では、韓国でもずいぶんエアロビクスが流行しているが、なんと言ってもマッサージの人気が高い。もちろん、日本のように健康が目的ではなく、あくまで肉体の美容(性的な魅力)のために、である。  ソウルのサウナは、まるで中年の女たちの集会場のようだ。おばさんたちが身体中にオリーブ油を塗ってはマッサージを受けている。サウナで情報を交換しあい、男が酒場をハシゴするように、あちこちと「美容にいい」と言われるマッサージ施設を求めて歩き回るのである。  韓国人は銭湯が好きだが、いまの銭湯の施設はとてもよくできていて、どこでもサウナを設けている。この近代的な銭湯が、少し暇のできた主婦たちには、格好の遊び場所となっている。夫と子どもを送り出してから、誘い合って銭湯へとくり出し、サウナに入り、マッサージを受け、おしゃべりに、花札にと熱中する。  ある程度経済的な余裕が出てきて、それまで家に閉じこもることの多かった主婦たちが外へ出られるようになったのである。しかし、彼女たちの余《よ》暇《か》活動の中心はいまなお美容である。日本の主婦たちのように、小さな勉強会をやってみたり、料理やお花の講習会に出てみたり、カルチャーセンターの受講をしたり、また消費者活動や福祉活動に足を向けるような動きはきわめて少ない。  また、時間の余裕をパートなどの仕事に向ける主婦たちも日本には多い。韓国では共稼ぎをすることはみじめなことであり、「服が破れるほど貧乏でなければ共稼ぎはするな」と言われるほどである。余裕があって美容に生きることができる女は、とても幸せな女だと言われる。 執念としての美容  女の最も大きな価値を美とする韓国では、美容産業には不景気がないと言われる。美容産業は韓国では、確実に高い収益を上げられる産業のひとつとなっている。「社会的な不安があればあるほど化粧品の商売はいいんです、ストレスの解消になるからです」とは、私の知る韓国化粧品大手会社の社長の弁である。  美容のための薬もよく売れる。女たちに人気の高い薬は痩《や》せ薬、そして肌のためによいとされるビタミンC剤。また、食べながら痩せられる美容食品の人気はことのほか高いが、どれもがとてもまずい。知り合いの日本人に試食してもらったところ、「えー、これを何カ月もの間食べなくちゃいけないの? いくら美容のためでも、これじゃあね……」と言う。はじめから、美容への執《しゆう》念《ねん》のあり方が違うのだ。  実は、美容のために懸命になる韓国女の執念は、私のなかにも生きている。習い性とは恐ろしいもので、少し肌に艶《つや》がなかったりするだけでも、そのことが気になって仕方がなくなるのである。日本の人では珍しくないが、多少の肌あれも気にせず、素顔で男の前に出ることは、私には到底できない。  男に媚《こ》びを売る気持ちがあるのかないのか? それよりも、正直に言って、小さいころから身体のなかに染みついている習慣、たとえば食事の前に手を洗わないと気持ちが悪いのと同じような、そんな感じで、いまだに私も美容の呪《じゆ》縛《ばく》から逃れられない。  私の身長は一六〇センチほどだが、韓国にいた二十歳くらいのころは体重が五四キロあり、太っていると悩んでいた。食べ物に気をつけてもどうしても調整できない。そのとき、食べながら痩せられるという薬を知り、さっそく毎日飲むようになった。  しかし、この薬を常用し、痩せ細って死んでしまった人もいたため、母からは、痩せ薬だけは飲むなと忠告されていた。それでこっそりと飲んでいた。薬を飲んでいると食欲がなくなり、最初のうちは身体が軽くなったような気持ちがして気分がいい。しかし、飲み続けている割には効果があまりなく、貧血症状が激しく出るようになってしまった。以後数年の間、ずいぶんと苦しむことになった。  その後、私は一大決心をして食事療法へと切りかえ、それは涙ぐましい苦労のすえ、やっと四五キロまでに体重をおとすことができたのである。いまから考えてみても、あれほど集中して努力を傾けたことは、何か他にあっただろうかとすら思う。きっと他の女も同じ努力をしているに違いないのだが、これが仕事となると、誰もそこまではいかないのが不思議である。  韓国の女はスタイルがよく、一様に太った人が見られないのは、その背景にこうした、すさまじい努力があるからに他ならない。  訪問と言えばケーキを手にやって来るのが日本の習慣なので、私はいつも混乱した気持ちになる。韓国人の女生徒たちに出しても誰も食べようとしない。そのため、日本人用にとっておくことになるが、なかなか消化しきれないのである。 美容のためには死の直前までいってもおしくない  私はこの数年、春から夏にかけて疲れが溜まるようになってきて、高《こう》麗《らい》人参を煎《せん》じて飲むことが多かった。効果は大きく、疲れがスッととれてゆくからである。血圧の高い人にはあまりおすすめできないが、私のように血圧の低い者にはとてもよい。  ただ、高麗人参の弱点は、人によっては顔にニキビができることである。私もそうなってしまう者の一人である。そのため、この一年ほどは飲まないようにしていた。しかし、今年になって疲れがひどいので、久しぶりに人参を煎じようかと思った。でも、ニキビのことが気になる。  そこで、こんな場合他の女たちならどうするのだろうかと、韓国人の生徒たちに聞いてみた。すると、全員が「飲むべきじゃない」と言う。理由はこうである。 「明日死ぬかもしれないというわけでもなければ、それは飲まないほうがいいですよ。だって先生も女でしょ」  なるほど。さすが美容に生きる韓国の女たちである。私もやはり別の方法をとることにしていた。 韓国の美とは派手さのことである  女は美が一番。そしてその美の内容はというと派手さである。  韓国人は原色の派手な色が好きだ。五つの原色の入ったチマチョゴリがあるが、現代の服装のモチーフにもよく使われている。ソウルの町は常に華やかで生命感に溢《あふ》れているように見える。私が韓国にいたころ、ソウル市内を走るバスはパッと目に鮮やかな紫色で塗られていた。それを韓国へ行って見た日本人は気持ちが悪くなったといったが、当時の私には洗練された美に見えていた。  それから何年か後に東京で、これまで日本では見たことのない、明るい紫色の観光バスを見た。私は何かとても嫌な感じがしたのだが、思い起こすとソウルのバスの色にそっくりだった。いつの間にか、感覚が東京的になってしまっていたことに気づかされた。  歌舞伎町や赤坂では、夕方になると日本をはじめ、アジア各国のホステスたちが店へと急ぐ姿が見られるが、韓国人は一目でそれとわかる。顔つきだけでは日本人とは区別がつかないが、ポイントは服の色と化粧だ。日本のホステスならばまず着ることがない、ファッションショーの舞台から直行して来たような、強く濃い化粧をほどこし、見る目に派手な色の服に身を包んでいる。  彼女たちは、それが女らしいセックスアピールだと感じている。日本に来て二、三年の間は、私は韓国人のホステスはさすがに日本人ホステスより洗練されていると鼻が高かった。あるとき、そんな話を服《ふく》飾《しよく》デザインの仕事をする日本人にしてみた。「洗練されているって? とんでもない、あれはひどいよ、まったく見ちゃいられない」と言われて驚いたが、そのときには韓国人に対する偏《へん》見《けん》ではないかと、内心プリプリしていた。  しかし、それから日本の男に会うたびに感想を聞いてみたが、だいたいが、同じく「なっていない」の答えがかえってくる。どこをダメと言っているのかわからない私は、日本のおしゃれ雑誌と韓国のおしゃれ雑誌を用意して、日本の女たちに見せて感想を聞いてみた。答えのほとんどは、「韓国人の方がセンスがない」というものだった。それでもセンスの所在がよくわからない。そこで、次には韓国の女たちに聞いてみる。答えはおよそ次のようだった。 「日本のテレビのタレントたちはセンスがあるけれど、ホステスたちにしても一般の女性にしても、なんかセンスがないわね。おしゃれを知らないわね。日本の服は洗練されていないから買えないわ」  これでやっとわかった。テレビや舞台に出るときの化粧、服装、つまり色の沈みを起こさない明るい色、どこにいても人目をひく原色系の色、輪《りん》郭《かく》がくっきりと浮き出るように彫りを深く見せる化粧……。これらが韓国の女たちが最も気を配っているものだった。そのへんを磨いてこそ洗練されるし、そのへんのポイントをどうつかまえるかが、センスのよし悪しの別れ道となっているのだ。  かつて、ホステスに負けないくらい真っ赤なルージュをつけていた私は、日本人の好みを知って、ある日ルージュの色をそのころ日本で流《は》行《や》っていたピンク系の色に変えて、勤めていた会社に出てみた。  やはり、である。「最近、どこか違うなあ、何か洗練されてきたね」と言われることが多くなる。ついでに、服の色も淡い色や地味な色に変えてみた。すると、確実にこれまでと日本の男たちの態度が違ってきたようだった。そうなるとこちらも楽しくなるので、以来、できるだけ日本的なおしゃれに気を使うことにしているが、もともとおしゃれのセンスがないせいか、なかなか身につくことは難しいようだ。  韓国の女は黒と赤を調和させた色あいが最もセクシャルだと感じる。日本の男に聞いてみると、「そんなのはまるでセクシャルじゃない、ピンク系統の淡い色がセクシャルだ」と言う。韓国ではピンクは子どもか処女のイメージである。 四十歳を越えた女には価値がない?  女の外見美、性的な魅力が男の玩《がん》具《ぐ》化している韓国では、四十歳以上の女に対して美という言葉は使うことがない。日本人のように「あの美しい中年のご婦人」という言い方はまずない。たとえそう言ったとしても、それは男の願う美とは無縁な、内容のない美とみなされている。  若くて美人。その一点に男たちの欲望が集中されている。韓国では美人が就職に有利なことは言うまでもないことであり、会社では若い美人を職場の花として置きたがる。日本の職場で働いてみて、「会社におばさんが働いている」とびっくりしたが、単なる雑用ではなく、秘書や経理の部署にも中年・老年の婦人が多く働いているのには信じられない思いがした。  日本では考えられないことだろうが、韓国では、本人にいくら実力があっても、不美人や年寄りがあちこちにいると会社のイメージが悪くなるということで、嫌でもやめなければならなくなってしまうのだ。  男が気持ちよく働くためにこそ若くて美人の女が職場に必要となる。日本のレストランで、老年の婦人が料理を運んで来ることは珍しくないが、韓国では小さな個人食堂でしか見られない光景である。年寄りの女は汚いとされ、彼女たちは自覚して表に出ないことをよしとしている。韓国で彼女たちには、目に見えない裏の仕事しか与えられることがない。  日本ではそんなことがないので、私の教室にも四十歳を越えるホステスが来ていたことがある。しかし、他のホステスたちは誰もまさかホステスだとは思わず、クラブの厨《ちゆう》房《ぼう》で働いているものと信じていた。  日本では老婦人がママをやっているスナックに男たちは足しげく通う。よくも、そんなに貧相な店に、一流企業のビジネスマンまでが行くものだと思った。不思議どころではなく、理解を絶することだった。 「なぜ、ああいう店にみなさんよく行くんですか?」と知り合いの日本人に聞くと、「男を引きつける魅力がママにあるから」と言う。「え、そんな年で?」と聞きかえすと「いや、もちろん人の心をだよ」との答え。  私はこの答えに深く考えさせられることになった。それまで、中年以上の女が「男を引きつける」ことができるものだとは思ってもみなかった。キラキラと水面に輝きを見せる、女の魅力という名の海の底には、心の美という見えない「場所」があったのである。  こうした日本を知ってから、私はようやく、四十歳を越えても、日本でなら生きてゆけるという思いを持つことができ、心に大きなゆとりが出てきた。それまでは、いつも心にゆとりがなく、歳をあせって、早く、早くと生きて来たように思う。  韓国では、四十歳になってもなお人に雇われることはみっともないこと。また、四十歳ともなれば、女としての価値はなくなる。そこで、まだ商品価値のある三十代で、なんとか人を雇える仕事の基盤をつくらなくてはと、日々あせっていた。  日本に来てから、ずいぶん長い間、私はそのように毎日をセッカチに暮らしてきた。 日本で稼ぐ「美容整形外科医」たち  日本にいる韓国人ホステスの八〇パーセントが美容整形をしていると言われる。日本で成功した彼女たちを追うようにして、彼女たちを相手に商売をしようと日本にやって来る韓国人が年々増え続けている。そうした一群のなかに、韓国の整形外科病院に勤めていた看護婦たちがいる。  彼女たちはもちろん医者ではない。当然、日本の医師の資格を持つことなどのない、一介の看護婦に過ぎない。しかし、彼女たちは見よう見まねで知った技術を手に、ホテルなどに陣取ってモグリの整形外科手術に腕をふるうのだ。  たくさんの韓国人ホステスが彼女たちから整形手術を受けている。話を聞き、私は野次馬根性から現場に行ってみたことがある。  手術を受ける者はホテルのベッドに寝かせられる。偽医者は皺《しわ》をとるコラーゲンを入れたり、メスで二重瞼《まぶた》をつくったり、鼻にシリコンを入れるなどの手術を手早くこなしてゆく。何人もの女たちが、手術をまぢかに見ながら、自分の順番を待っている。一日に四、五人ほどの患者を消化するとのことだった。  手術料は日本の整形外科よりも高い。しかし、韓国の女たちは、同国人の気安さがあり、言葉が通じることが魅力で、多くは友だちにすすめられて出かける。なんでも友だちと一緒にやるのが仲間では重要な問題だから、自分は日本の病院に行くといえば仲間外れになってしまう。  もちろん、日本の美容整形の技術が世界的に高いことは韓国人も知っている。また、手術を行なう者が、本職の医者ではなく看護婦あがりの者だということも知っている。さらに、そのため事故が多いことも、よく知られている。それでも、同国人だという安心感が何よりも優先してしまう。韓国人はとくにそうである。  日本にやって来るそれら「美容整形外科医」たちは、十五日間の観光ビザで、一日平均五人、一人当たりの料金が平均三十万円〜四十万円で十日ほど働き、だいたい二千万ほどを稼いでゆく。 整形をやるのが常識の世界  日本でも美容整形は大いに流行っているが、例外はあるものの、日本人の場合は多くが気分転換であり、ファッション的な感覚であることは、日本の女性雑誌などからも知ることが出来る。日本人ではほとんどの人が、整形は自分の問題のごく一部分を占めるにすぎないが、韓国の女にとってはほとんどすべてとなる。  私の日本語レッスンの二時間のうち一時間は、具体的な生活知識の習得や意見交換を目的に世間話をするようにしているが、韓国の女たちが集まると、話題の大部分が美容、とくに美容整形の話となってしまう。別に整形する必要があるとも思えない人でも、どこか整形したいという。まるで趣味のように、「ちょっと、ここがへっこんでいるからそこに注射しようか」とか言っていたかと思うと、次の週にはもうそこにコラーゲンが入っている。  小皺を防ぐために脂肪を入れると、八割方副作用を起こすが、それを覚悟でやる人が絶えない。ほほにコラーゲンを入れても多くが副作用を起こす。入れた部分が下がってくるのだ。それでも成功の可能性を求めてやる人がやはりあとを絶たない。最も多いのが、瞼に入れ墨をいれるもの、眉に入れ墨をいれるもの。ものすごく痛いらしいが、美容のためにはどんな我慢もできるのだ。韓国の女たちとつき合っていると、美容整形をやらない方がおかしな環境となってしまうので、ふと「やってみようか」という気分になっている自分を感じて、われながら驚いてしまうことがよくある。  韓国の美容整形の実態について、日本人の女性記者が、韓国の梨《イ》花《フア》女子大学の学生たち数人にインタビューした雑誌の記事を読んだ。大部分が美容整形には大きな興味を持っており、自分はここを整形したと自慢げに言う者もいるし、いつか自分もぜひやりたいと言う意見も多くあった。梨花女子大学と言えば、日本ならばお茶の水女子大学に相当するだろうか。才女の集《つど》う韓国ナンバーワンの女子大学である。文を重要視してきた儒教的精神はいまなお韓国に強いが、それは男に限られたことで、女はやはり外見的な美を磨くことが第一なのである。  私の娘時代には、美容整形をやることはとても恥ずかしいこととされていた。しかしいまでは、娘にすすめる母親がおり、妻にすすめる夫がいる。  女の美形を価値とする男の都合が消費社会に適合してエスカレートする一方、「親にいただいた身体を傷つけることは最大の不孝である」という儒教倫理は不思議とどこかへとかき消えてしまい、心の底で美容整形を願っていた女たちの欲望が一気に解放されたのである。 徹底している韓国男性の女性へのアタック  韓国の男女の愛の形についてある日本人と話していたら、その人に「韓国人の男女関係は猫みたいだ」と言われた。よくわからないので聞きかえすと、メス猫はオス猫にアタックをかけられても、牙をむいて怒ってみせ、徹底して拒否しようとするらしい。しかし、オス猫は何度拒否されても、執《しつ》拗《よう》にアタックをかけてゆく。そうしてメス猫は、長い間じらせたあげくに、やっと許すのだという。   なるほど、確かに似ているのである。  高校のとき美人の友だちがいた。彼女は高校を卒業してすぐに、小さな雑貨店を営む小太りで容《よう》貌《ぼう》の悪い男に、しつこくいいよられることになってしまった。  彼女はその男の誘いを断わり続けていたのだが、外出すれば、どこまでもついて来ては話しかけて来る。なんとか逃げて、やっとまいたと思うと、帰りがけには駅やバス停に待ち伏せしていて、彼女を見つけるや走り寄って来る。  とにかく、そのしつこさは大変なもので、彼女が「変態!」と罵《ば》声《せい》を浴びせようが、「警察を呼ぶわよ」と言おうが、まるで気にもとめずに、「あなたには僕が必要なんだ」と、一方的に迫り続けて来るのだ。  近所の知り合いでもあったため、警察に訴えることもできない。どうしても逃げることができないが、このままでは気がおかしくなってしまうと、彼女は遠くの親《しん》戚《せき》の家に身を隠してしまった。そうすれば、もはや追いかけては来ないだろうと、したこともない田舎暮らしを決心したのだった。  それから間もなく、彼女のもとへ母親から、「弟が事故にあって命が危ない、早く帰れ」との電話が入った。彼女は驚き、ほとんど着の身着のままで親戚の家を出るや、無我夢中で家へと帰路を急いだ。  しかし、病院のベッドに寝ていたのは弟ではなくその男だった。男は、彼女の家にやって来て、彼女の親の目の前で毒薬を飲み自殺を図ったのである。母親は、「弟が、と言えば帰って来ると思って……」と弁解しながら、「お前も大変な見こまれ方をしたもんだねえ、男があそこまでするんだから、困ったねえ」と溜《ため》息《いき》をついている。  男は、飲んだ薬の量が少なかったため命をとりとめた。  この事件によって、彼女の心は大きく動かされたのである。そこまで自分を愛してくれていたのか——。彼女は男の思いに感嘆し、その情の熱さにほだされているうちに、彼を愛するようになり、ついに結婚を承諾した。  それから数年たって、私は二人目の子どもを生んだ彼女に会いに行った。彼女は私の顔を見るや、夫は浮気ばかりしていると嘆きはじめた。家にもまともに帰らないし、いつも冷たい態度なのだという。子どもを二人生んではいたが、離婚する覚悟を決めて、いったんは逃げたのだが、親子三人が長く身を置けるところはなく、仕方なく夫のもとに戻ったのだと話す。  それから二、三年後に会ってみると、彼女は、いまでは夫のもとから逃げようとした自分を後悔していると言う。「男が浮気をするのはしょうがないわね。許さないという私が間違っていたんだわ」と、あきらめの境地に居座ることにしたようだった。  自殺未遂までして獲得した妻なのに、なぜその男は、そんなにも心変わりをしてしまったのかと思われるかもしれない。しかし、この程度のしつこさは、韓国の男にはなんら珍しいものではない。自殺未遂とは言っても、「思い詰めての——」というよりは、迫力を見せようとするあまりの発作的な行動と言った方がよい。  そういうわけだから、韓国では、男が異常なほど執拗に口《く》説《ど》いて来るからと言って、その男の愛が格別に深いものと見ることは出来ないのである。 韓国式デートの誘い方、受け方  日本人ならば、女性に「お茶を飲みませんか」と声をかけ、「なによ、このバカヤロー」と言われたら、もちろん二度と声をかけることはしないだろう。しかし、韓国では当たり前のこと、これがまず最初の接触なのである。  男に誘われたら、女は断わるもの、これが韓国での原則である。しかも、なんて嫌らしい奴だといわんばかりの態度を見せなくてはならない。そのため、汚い言葉を男に浴びせるのである。男にいいよられても、徹底して無視すること。男が乞食のように懇《こん》願《がん》して来ても無視しろと、女たちは韓国文化のムードのなかで教えられてきている。  女からなんと罵《ののし》られようと、韓国の男は平然と、しつこく、何回も誘う。なんとしても、あきらめずに誘い続ける。そうすれば、たとえ最初は気に入らない男だと思っていても、必ずついて来るのが韓国の女であることを、彼らはよく知っているのである。  平身低頭して下の方から女を見上げ、執拗に口説いてくる男に、女は、そこまでしてくれる男ならと心を許す。しかし、男が女の処女を奪うと、男女のそれまでの姿勢の向きは完全に逆転する。男は処女を奪ったことによって、もはや女が自分以外の男を男とすることができなくなるのを知る。女は処女を奪われることによって、その男に従属して生きる他に考えようがなくなってゆく。  大部分の韓国の女が、自分から先に男を愛することができない。女から男へ積極的に自分の心を表わすことは、とてもはしたないことだという価値観に強く縛《しば》られているため、愛されることによってしか愛することを知らないのである。  いや、さらに言えば、愛されてこそ相手への愛が生まれるのである。積極的に男に迫られることによって、落とされた、あるいは結婚させられた、そのような受け身的な位置。そこからやっと、愛する気持ちが起こるようになる。  韓国では、「女から好きになった場合には、その愛は九九パーセント成功しないが、男から好きになった場合は九〇パーセント成功する」とよく言われる。日本では、どうやら反対のような気がしないでもない。 韓日男女のいき違い  あるとき私は、会合で何回か顔を合わせたことのある日本のビジネスマンから「お茶を……」と誘われた。私は初めての人だからと、「ちょっと忙しいので」と日本的なやんわりとした断わり方をした。しかし、その男性が二度と誘ってくれないので、なぜなのかと悲観していた。  道を歩いていても、日本の男は、二言三言話しかけ、ちょっと断わるとまずあきらめてしまう。なぜ? とがっかりする。私も年で魅力がなくなってしまったのかと思うのだ。また、韓国で女が一人でコーヒーショップに行けば、まず男が声をかけてくる。日本ではほとんどそうしたことがない。私はつくづく「なんてもてない女なのか」と、すっかり気を落としていた。  しかし韓国に帰ってみると、私でもけっこう声をかけられる。安心してまだもてるつもりになった私は、なぜ日本の男たちは気軽に声をかけることをせず、またちょっと断わると二度と誘わなくなるのだろうかを、ゆっくりと考えてみたのである。  日本の男は常に女の側からの反応を見ようとしているのだ。最初、それが弱々しく感じられ、また人の顔色をうかがうようで嫌だったのだが、やがて、こちらの気分を知って、そこに合わせようとしていることに気がついた。以後、こちらの気分を尊重してつき合ってもらえることが、どれほど女の心に余裕を与えてくれるものかを知ることになり、すっかり日本の男性ファンになってしまった。  韓国人の男は、こちらの気分がほんとうに嫌でも、かまわずに口説いてくる。また、デートでなくとも、こちらの気分はそっちのけ、よく言えばリードしてくれるのだが、自分勝手に自分がいいと思うところに強引に引っ張ってゆく。こちらが相手の気分に無理に合わせなくてはならないので、とても疲れるのである。  日本でも韓国でも、プロポーズは男の方からするのが一般的である。しかし、日本の女は相手のプロポーズを誘うようなことを積極的にする。一方、韓国の女はそうではなく、男が積極的に近づいてくるような形をつくる。  つまり、いくら気に入っていてもプロポーズに対してはまず断わるのである。突っぱねれば、男はよけいに近づいて来るからだ。まるで、伸びきったゴムが勢いよく戻って来るように、男がさらに近づいてくることを、女はよく知っている。突っぱねが強いほど、男が自分に懸命になることも。  これはデートの誘いと同じことである。  また、韓国の男は、女の方からのアプローチを受け入れることは、とてもみっともないことだと感じる。女に対して受け身になることは、男ではないのだ。その逆が女だから、韓国の女は、「私はあの人が好き」とは口に出さない。必ず「あの人が私を好いた」と言う。  そんな具合だから、実際、韓国の女は日本の男との恋愛にはよく失敗している。自分が相手を好きでも「好きだ」とは言えない。また、相手がいい寄ってくれば、ここぞと自分を魅力的に見せるため、ものすごく嫌な顔をしてみせる。これで相手の気が引けると思ってしまうのだ。 夫婦は一心同体である  韓国では男の浮気が激しいものの、夫婦は一心同体であり、心までもひとつになってこそ夫婦だと感じている。心も身体も、男にはないもの、男ができないことを、女が加えてはじめて男女がひとつになるという考え方である。いくら夫婦でも人格がひとつになれるわけはないと考える日本人の常識とはだいぶ違っている。  すでにお話ししたように、韓国人夫婦の間では、お願いします、ありがとう、ごめんね、などの言葉を交わすことはない。それも、夫婦は一心同体という感じ方から来ている。そうした言葉を言い合っている日本人夫婦を韓国人が見ると、好きではない間柄だからこそ挨《あい》拶《さつ》をしているのだと見えてしまう。  また、日本人は他人の前で自分の妻を貶《おとし》めるような言い方を、口癖のようにする。  あるとき、日本人と結婚して暮らしている韓国の女が、深刻な顔をして私に意見を聞きに来たことがある。 「主人の友だちが訪ねて来て、『奥さんはとてもきれいな方ですね』と言うのに、主人は『いやあ、頭の方がダメなもんで……』と言うんですよ。ようするに私をバカだと言っているわけ」  それでひとしきり喧《けん》嘩《か》をした後、私のところへ来たのだと言う。 「他人の前で、どうして自分の妻を辱《はずか》しめるような言葉を使えるんですか、まったくあの人の気持ちがわからないんです」  彼女は私の前で夫への怒りをぶちまけ、やがて力なく肩を落として、こんな風に言った。 「こんなことは一度や二度ではないんですよ。どう考えても私のことを嫌いだとは思えないのにね、なぜあんな言い方をするのかしら。表では言えないから、裏で私を愛していないということを言いたいんだと思うんです。日本の男はやっぱり二重人格者なんでしょうね。もう韓国へ帰ってしまいたいわ」  まさしく、笑うに笑えない誤解である。こうした礼儀などの習慣の違いから、深刻な悩みを抱える韓国の女は実に多い。私は彼女に通じるかどうか不安に思いながらも、日本では、身内の者を低く、外部の者を高く言うのが礼儀だということや、日本的な内と外とのバランス感覚について話してみた。  彼女は、まったく理解できないと言ったが、それでも、 「先生がそう言うのだから信じます。なんとか理解してみようと思います」  そう言って帰って行った。  私はそう言いながらも、もし私が彼女の立場ならば、いくら日本の礼儀ではこうだとわかってはいても、とてもニコニコとしてそんな挨拶につき合ってはいられないだろうと思えた。  夫婦は一心同体。それを日本的な夫婦の習慣のなかで感じとることは韓国人には難しい。日本人のように、夫婦でも「自分は自分、あなたはあなた」と考えられたとして、どうやって夫への愛を表わすことができるのだろうかと、どうしても思ってしまう。  日本人の夫とはうまくやっているという韓国の女に聞いても、そのへんになるとやはり首をかしげる。しかし、もちろん、壁を越えた女も多い。ある高年の韓国人妻からは、こんな話を聞いたこともある。 「だから、とっても不安になって、いつも相手の愛を確認したくなるのよ。そのため、すぐ会社へ電話したり、『愛しているって言って』と言ったりしちゃうんだけど、それもまた嫌がられるのね。でも、最近は、夫もわかって来たらしく、けっこうそうした私の不安に応えてくれるようになったわ」  私には夫婦の体験がないため、そのへんはまるでわからない。 世界一の孤児輸出国、韓国  一九九一年になって韓国では、やっと、女にも財産継承権が認められ、また女が単独で戸籍を持つことも出来るように民法が改正された。それまでは、女が自分の戸籍を持つことができなかったため、離婚した場合には、女側が子どもを自分の戸籍に入れることが出来なかったのである。  協議によって母親が子どもを育てることになったにしても、子どもの戸籍は父親の戸籍のまま動くことがなく、女の戸籍はまた実家の父の戸籍に戻っていくしかなかったのである。  こうして、未婚の母の問題が出て来ることになったのだった。未婚の女が子どもを生んだ場合、その子の戸籍をのせるところがなくなってしまうのである。そこで、なんとか自分の兄弟の戸籍に入れてもらおうとする。しかし、韓国では未婚の母は社会的に許されざる不道徳な存在である。だから、兄弟たちは、姉妹の子どもとはいえ、あくまで自分の戸籍を汚すまいとする者が多い。  そこで、どうしても戸籍をつくれない子どもたちが多数出てくることになってしまう。そうした子どもたちの多くが、外国で子どもを欲しがる人びとの養子にと「輸出」されて行った。  こうした事情があるため、韓国は世界一の「孤児輸出国」の汚名を着ることになってしまった。一九八九年に海外の親と養子縁組が成立した韓国の孤児は、三五五二名を数えている。二位のコロンビアが七三五名、三位のインドが六七七名、四位のフィリピンが四八一名などの数字からも、韓国の孤児数が他の諸国より極端に多いことがわかる(東亜日報編著『韓国人の自己批判』光文社より)。  ようやく法律が改正されて、女たちが自分の戸籍を持てるようにはなった。しかし、いまだに子どもの戸籍の行《ゆく》方《え》に悩む女たちが絶えない。なぜなら、女が単独の戸籍を持ち、そこに自分の子どもを入れれば、離婚者でない場合は、自ら未婚の母だと宣言することになるからである。  韓国では、依然として、未婚の女が子どもを産むことを悪とする風潮が強くあるのである。  これまでお話しして来たことからも、言うまでもないことと思うが、韓国の現実では、未婚の母が出てくる原因は、大きく男の側にある。いや、そのように男をふるまわせてしまう韓国の男権社会の伝統に根ざしている。なぜ韓国は、誰にもある母性への慈《いつく》しみの心を、日本のように、文化として、制度としてつくり上げることが出来なかったのだろうか。 異常な男女出産比率  韓国では男あっての家族なので、両親は常に娘よりは息子をと願い続けて来た。そして、現在も親たちの息子を欲しがる願いは変わることがなく、そのため深刻かつ大きな社会問題を生み出している。  かつては五、六人の子どもを持つ家族が普通だったが、韓国では二十年ほど前から、男一人、女一人を生もうという、「二人っ子」キャンペーンが張られて来た。さらに、最近では「一人っ子」キャンペーンものし上がって来ている。  消費文明があっという間に韓国を包み、生活様式が急変して、突然、核家族時代がやって来たのである。  そこで、いきおい、韓国では近年ずっと中絶手術がブームのようになっている。恐ろしいことには、七カ月になっても下ろしてくれる病院もある。また、一般の薬局で、三、四カ月までなら下ろせる薬が売られている。  韓国では、性は隠されるべきものとされているので、まともな性教育が行なわれることもなく、また、女たちがどうしても男の要求に添うことになり、女の側から男に対して、避妊を積極的に要求することが少ない。ある女性はまるで避妊をすることなく、男に言われるまま、十回以上も子どもを下ろした体験を雑誌で語っていた。  この堕胎ブームは、息子を欲しがる韓国人の問題にも大きく関連している。  いまでは子どもは二人か一人と決めている夫婦が多いため、最初に生まれた子どもが男の子だとそこで出産打ち止めとするケースが少なくないという。また、妊娠している子どもが男か女かを羊水チェックで知り、女を下ろす場合はかなり多いのだ。  もちろん、医者は妊娠している子どもの男女の別を教えてはいけないことになっている。私の知る産婦人科医は、決して教えないことを自分に言い聞かせていると言いながら、こんな話を聞かせてくれた。  ある妊婦から男女の別を教えて欲しいと言われて断わると、彼女は大声を出して泣き出し、すでに女の子ばかりが五人いて、今度こそ息子を生まないと嫁入り先から追い出されてしまう、だからなんとしても教えて欲しいと頼まれ、仕方なく教えてしまった。悪いことにそれは女の子だった。私がどうしてもそういう中絶手術は出来ないと言うと、彼女は他の産婦人科へ行って、その子を下ろしてしまった。しかも、後で知ったことだが、女の子が五人いるなど真っ赤なウソだった——。  そういうことを背景に、現在の韓国では、まったく異常な、男女児の人口数の格差が生まれてしまっている。  一九九一年五月の『コリアンタイムズ』によれば、十年後の結婚適齢期(男は二十五〜二十九、女は二十〜二十四歳)に達する男女では、男の人口が二〇パーセント多くなり、二〇一〇年にはさらに男が二八・六パーセントも多くなってしまうのである。  人口比率で言えば、一九九〇年の三歳の男の子は女の子一〇〇に対して一〇七・五、二歳では一一一・八、一歳では一一三・五、〇歳では一一四・七と、うなぎ上りに男児の人数が女児の人数を引き離していっている。また、一人の女性が出産する子ども数は、一九八〇年の二・七人から、一九九〇年の一・六人へと、急速な減少を見せている。  戦後の近代化を経て、高度経済成長を遂げ、韓国は大きく飛躍したとは言うものの、それはこれまでの韓半島の歴史と同じように、男社会にとっての飛躍であった。男の子を生むことを要求され続けて来たことのなかで起こっている女たちの生活の現実には、およそ飛躍など起こってはいないのだ。 家族は家族、社会は社会  現在の韓国での子どもの過保護ぶりには目をそむけたくなるものがある。小学生の時代から大学受験、就職に至るまで、母親が、いい塾はないか、どの学校がいいか、どんな仕事がこの子に向いているかと、あちこちと走りまわりながら、情報を得ては子どもに指示し、どこまでも子どもについてまわる。  何よりも文を重んじ、科挙試験への合格をすべてに優先させ、受験のための勉学へと一《いち》途《ず》に子どもを向かわせた、かつての上流階級の伝統を、近代以降に民衆が引き継いで来たことがひとつ。そして、夫の浮気に耐え、姑《しゆうと》の厳しい指示に従うことへの我慢の生活のなかで、子どもへの愛に生きることを女の最大の喜びと感じる以外になかった韓国の母の伝統がひとつ。  この二つの伝統が、消費社会にそのまますべりこみ、歪みをもった激しさで生き続けようとする姿が、現代核家族の子どもの過保護ぶりの正体である。  日本では消費社会の価値観が家族内部を攪《かく》乱《らん》し、韓国では家族の価値観が消費社会を攪乱していると、そんなふうに見えてならない。  そうした構図でたったひとつだけ、韓国の家族主義のよさを認めたいことがある。それは、日本では次のような事件がたくさんあることを知ったからである。  たとえば、ある男が犯罪を犯し、ライフルを手にビルの一部屋に立て籠もった。地の利がよいため、警察は周りを取り巻くだけで、どうにも手の出しようがない。そのとき、警察に依頼された犯人の母親が、拡声器から自分の息子に呼びかける。 「○○や、お母さんだよ、どうかこれ以上世間さまに迷惑をかけないで出て来ておくれ。そうでないと、お母さんは世間さまに申しわけが立たないよ」  これを聞いた犯人の目にはみるみるうちに涙が溢《あふ》れ、やがて、自らビルを出て、逮捕に向かう警察官におとなしく両手を差し出した——。  私はこのような事件を報道で知るたびに、何かいいようのない怒りがこみ上げて来るのを感じてしまう。韓国ではこのような母親の行動は絶対と言ってよいほど起こらないと思う。  犯罪者であろうがなんであろうが、自分の子どもである。社会では悪くとも自分にとって悪い子であるわけがない。社会が息子を裁こうとするのはわかる。が、なぜそれに母親が手を貸す必要があるのだろうか、いやなぜ日本の母親はそうできるのだろうか?  もちろん、日本人が家族を私事とし、自分たちが所属する集団を公として、公の秩序あってこその自分たちと考え、公に対しては私事を犠牲にすることをよしとする人びとだということは知っている。また、そのことのよさにも計り知れないものがある。しかし、もしかすると日本は、家族が社会秩序に従うことにあまりに批判意識を持たなかったために、現在のように社会に攪乱された家族が出現しているのではないのだろうか。  私はそんなふうに思って、韓国の家族主義によいところがあるとすれば、家族と社会とをしっかりと分けているところだと思うのである。もちろん、そのための家族エゴイズムによって、韓国にはまともな市民社会が容易につくられないままである。そうなのだが、日本のように社会が母親の威力を借りる、また母親が力を貸すという一点だけは、なぜかうまく言うことはできないが、どうにも納得することができない。  お国のために家族として動こうとする者は韓国にはいない。あくまで社会の一員としての個人として動くのである。韓国人なら誰でもそう考えるので、あえて言ってみた。  もしものときには、どうかお母さんは、あくまで家族のなかにとどまり、静かに子どものために祈ってあげていただきたいと思う。 父につくして  先に、韓国では家族(主義)が社会を攪乱していると言った。そのため韓国では、社会の一員として生きようとする個人が、家族の犠牲になってしまうケースがたくさんある。その典型的な例をお話ししてみたいと思う。  日本で働く韓国人ホステスのKさんは、韓国にいるときは、二人の弟と中小企業を経営する父親、それに子どもへの愛を惜しみなく注ぐ母親との五人で幸せに暮らしていた。  彼女が二十歳のとき、父親の会社が不渡手形を出して倒産してしまった。韓国では不渡手形を出すことは犯罪であるため、父親は刑務所へ入ることになってしまった。突然に収入の道を絶たれた母子三人を支えるため、Kさんは恥をしのんでホステスになり、なんとか父のいない家計を支えた。  彼女が美人だったからだろう、酒場では人気を博し、大きなお金を稼ぐことができた。彼女は郊外に家族のために住む家を買って父の出所を待った。やがて、父が出所すると、彼女は父に事業資金を出してあげ、父親は不動産会社をはじめた。  しかし、父の会社はうまくいかずに、借金が積み重なって大きな負債を抱えることになってしまった。そして、ついに彼女の働きで手に入れた家も土地もすべてを売り払い、家族は小さなアパートへと引っ越すしかなくなってしまった。しかも、弟たちはまもなく大学へ行かなくてはならない。  あくまで家族を支え、父親への孝行を喜びとする彼女は、躊《ちゆう》躇《ちよ》することなく、もっとたくさんの収入を得るためにと、日本へ渡ってホステスになったのである。  Kさんの美《び》貌《ぼう》は日本でも大いにもてはやされることになり、競争のような形で大変なお金持ちのパトロンに射止められた。彼女はパトロンからのお金をせっせと家族のもとに送り続けた。その結果、父の借金を返してあげ、新たな事業資金も出してあげることが出来た。さらには母にも店を出してあげたし、家族のために三〇平方メートルのマンションも買ってあげたのである。確かに相当の財産のあるパトロンだったのだろう。  母の店がうまくいき、その収入で、実家はようやく自立することができるようになり、彼女は大きな喜びを感じることができた。  しかし、そこまで娘に面倒を見てもらって、彼女の父はすっかり仕事に精を出すことをしなくなってしまった。母の稼ぐ収入で十分食べていけるのにもかかわらず、父からは、また事業をやるからと言っては、遊びのためのお金を要求してくる。また、いまのマンションでは狭いと言ってくる。うんざりしながらも、父が喜ぶことが自分の喜びと感じ、マンションを大きなものに代えてやり、二人の弟たちの学資もすべて自分が出してやった。  しかし、いくらあげてもきりがないのである。父は延々と、いつまでもお金を要求してくる。 「なんて親かと思うでしょ、実際いやになっちゃうんです」  Kさんはそう自《じ》嘲《ちよう》しながらも、これからもずっと助けてあげたいと言うのである。  家族を助けているということで彼女は力を出していることができる。恐らく、父がもう十分だと言って来たとすれば、彼女はとたんに生きる張りを失い、これから何のために自分が生きたらよいのか、わからなくなってしまうはずである。 人生の目的を失った女たち  実際、そういう現実に直面している韓国の女が友だちにいる。彼女は、二人の弟たちを大学にやって卒業させてやるためのお金を稼ぐため、三十八歳までの十数年間、結婚もすることなく、懸命に日本で働いて来た。彼女はホステスではないので、必要な仕送りをすると、自分の手元にはほとんどお金が残らない状態だった。  やっと弟たちが大学を出て、親たちから「ほんとにご苦労だった。もう迷惑はかけない、これからは自分のための人生に生きてくれ」と言われたとたんに、悩むことになってしまったのである。  自分は何のために生きてきたのか? 考えてみれば、娘時代のすべてが家族のための人生だった。恋愛をするなど頭になかったし、毎日が住み込みの働きづめで、男の人とゆっくり話す余裕もなければ、きれいな服を着るお金もなかった。  いまでは余裕が出来て、お金もたくさんあるのに、それを送る相手がどこにもいない。いったい、私はどうこれから生きればいいのか、私の人生はなんなのか——。  夜中に私のもとを訪れ、そのように嘆く彼女に、私は言葉少なく、ただあいづちを打つしかなかった。しかし、彼女はまたそういう自分の恨《ハン》を楽しんでいる。だからこそ、韓国の女たちはこれまでずっと男たちの下で生きて来ることができたのである。  私はあるとき、「これからは自分のために生きる」と言う彼女を旅行に誘った。彼女は、「はじめての日本での旅行よ」と感激しながら、土産《みやげ》もの屋では、嬉《き》々《き》として弟たちのお土産を選びたくさん買い込んでいた。彼女は、自分のために生きる、と言いながら、自分のための買物を一切することがなかった。  また、ある韓国人ホステスの話。  彼女は父親を早くなくし、弟が一人いる。やはり家族を支えるため、日本にやって来たのだった。家にはずっと仕送りを続けていたのだが、半年ほど、ビザの問題があって仕事ができず、仕送りを滞《とどこお》らせてしまった。  その間、弟が事故にあったと知らせて来ていたので、ビザの問題が解決するや、彼女はすぐに実家へ向かった、家へ帰ってみると、仕送りが途絶えたため、弟は大学を途中でやめて工場に勤めたのだったが、事故で右手首を切断してしまっていた。  彼女はそれを自分のせいにした。 「私がお金を送らなかったために、私は弟の人生をだいなしにしてしまいました。私が苦労して働いているのは弟のためなのに、弟に大学を出してやることが出来なかった、そのうえ手までなくさせてしまって……」  それも、すべてが自分の責任なのだと嘆くのである。  彼女ももはや弟の学資稼ぎの必要がなくなって、働く気力を失ってしまった。働く甲《か》斐《い》を自分は失った、いまの私は何なのかと、まるでタリョンのようなトーンで訴えるのである。  いざとなったとき女は身体を張ることができる、心に傷を受けながらでも、家族のためならば何でもできる。そうして働いて来て、その必要性がなくなったとき、女にはまるで力がなくなってしまうのだ。  また、ある赤坂の韓国人ホステスは、さんざん母親にお金を送っているのに、まだまだ送れというので、ついグチを言ってしまった。すると彼女の母親は、「わかったよ、一生安心できる老人ホームに行ってあげるよ。それならもうお前も心配ないだろうから」と言ったという。私営の高級な老人ホームで五千万ウォンが入所に必要だ、だからそのお金を送れと言うのである。  彼女は、この母親の言葉に、一晩を泣き明かしたという。母親が老人ホームに行って心配がなくなってしまえば、娘はもはや自分の生き甲斐を失ってしまう。そのことを承知の上での金せびりなのである。  日本で働くホステスのなかには、こうした仕送りの悪循環に陥っている者もいる。  結局、彼女たちは家族の犠牲となることを犠牲とは思わずに、それを親孝行と感じて嫌な仕事にも就《つ》き、そのことによって喜びを感じ、自分の人生が文字通りの犠牲であることがはっきりしたとき、生きる力を失ってゆくのだ。  第4章 見えない悲劇・見える喜劇       ——ビジネス・金をめぐる韓日不協和音 日系企業撤退に思う  一九九〇年代に入って、韓国からの外資系企業の撤退が目立って多くなっている。高賃金、ウォン高、労働争議の三つが主な理由だとされる。企業がより条件のよい市場へと拠点を移してゆく、自由市場経済の自然な流れのひとこまである。  そこに私のような専門外の者が口をさしはさむつもりはないが、このところ、背中に「日本企業は搾《さく》取《しゆ》するだけ搾取して逃げてゆく」という罵《ば》声《せい》を浴びせられて帰国し、「なんという人たちだ」と憤慨する日本人ビジネスマンに出会うことが多いのも事実だ。  確かに、賃金も退職金も支払わずに、夜逃げ同然の形で撤退した企業も少数だがあった。しかし、そうでもしなければ、他の多くのビジネスマンたちのように、監禁されたり、出国を禁止されたりしたかもしれなかった。しかも、撤退せざるを得ない条件を韓国自らがつくったことも確かなことだった。 「なんという人たちだ」という日本人ビジネスマンたちの声は、その点への責任感覚が、韓国側からまるで伝わってこないための苛《いら》立《だ》ちを表わしたものだった。  ある日本人ビジネスマンは、確かに韓国の企業条件は製造業に不利になったが、そうなるのは前からわかっていたことなのに、そのための企業努力がまるでなかったと嘆きながら、こんな話を聞かせてくれた。 「うちはコンピュータの付属機器の製造を合弁でやったんですが、だいたい、いい製品をつくろうという気がないんですね、経営者にも労働者にも。どっちも目先の計算ばかりやってるんですよ。そこで僕はいつもこう言うんです。そうじゃない、いますぐ儲《もう》からなくたっていいんだ、金は出しますよ、うちは。それより欠陥品が出ないようにしないと、もうすぐ台湾にやられますよ。日本もかつては、『安かろう悪かろう』ではやっていけなくなった体験があるんだから——。毎日そんなこと言ってたんですけどね、結局、まる損とまではいかないけど、こちらが出す金をむだ食いされて、けっこう痛手を受けましたね」  そのほか、私が聞いた話のなかでは、とくに、無理な経営権の要求とか、出資比率を無視した利権の要求とか、リスクをみんな日本側に負担させようとするとか、韓国側のパートナーシップを問題にする意見を多く聞いた。 韓日大型合弁が流産した理由  韓日ビジネスのトラブルを耳にするたびに思うことは、日本人が問題だと指摘することのなかには、いわゆる「韓国側の一方的な甘え」が実に多い、ということである。  たとえば、日本側が三、韓国側が七の出資比率で合弁会社をつくったとする。この比率は当然、経営上のさまざまな権利を規制する。それは、合弁会社の運営にとっては、言うまでもない常識に属する問題である。しかし、韓国の企業家たちは必ずしもそうは考えていないのである。  次の事例は、そのへんをよく物語ってくれている。  ある日本の大手企業と韓国の財閥系企業がほぼ対等出資の合弁会社を計画した。日本側の企業が造るいくつかの製品を販売することが目的である。販売する製品が決定されて会社がいよいよスタートとなったとき、韓国側から提案があった。販売品目のなかに、ある製品を入れて欲しいというのである。  その製品とは、日本側企業独自の技術で開発された、全世界に巨大なシェアーを持つ商品で、いわば、放っておいても売れるドル箱的な存在であった。  日本側の企業が、当然のように、とんでもないことと突っぱねると、韓国側はなぜかと不思議な面持ちで、次のようなことを言った。 「どうしてですか? 私たちの力で売ってみせますよ。まかせて下さい。どんどん売れれば会社が儲かるし、そうすればお互いにいいじゃないですか。なぜダメだと言うんですか?」  日本側はこの発言に唖《あ》然《ぜん》として、しばらく声も出なかったという。まさか、大企業の経営者の口から、これほど常識を無視した一方的な要求が上がるとは、思ってもみなかったのである。  そこで日本側は仕方なく、どうしても売りたいというのなら、出資比率を日本七対韓国三、あるいは日本八対韓国二にしなくてはならないと主張した。すると、それに韓国側は猛反発したのである。 「なぜそんなことを言うんですか。私たちは半々を出している兄弟じゃないですか。こちらは、あなたたちの製品を売ってあげて、あなたたちに儲けさせてあげようと言っているんですよ。それなのに、あなたたちは出資比率を自分たちに有利にして、自分たちだけがたくさん儲けようとする。そんな道理のない話はないじゃないですか」  これでは話のしようがないと、日本側の誰もが思ったことだろう。日本側がいくら説明しても韓国側が納得しないので、結局、この合弁は流れてしまったのである。 韓日ビジネストラブルの背景  このトラブルは少々脚色してはあるが、有名なものなのでご存知の方もいらっしゃると思う。しかし、なぜ韓国側が、企業の常識を無視したような、こうした「一方的な甘え」を日本側に対してするのかということについては、あまり言われることがない。とにかく「常識はずれだ、どうも韓国人はわからない」で終わってしまっている人が、やはり多いのである。  私には、韓国側がなぜそのようにズレた主張をするのかよくわかる。韓国側は明らかに、パートナーとの関係を義兄弟の関係と同じように考えているのだ。  企業と企業との関係なのに、まさか、と思われるかもしれないが、実際にそうなのである。韓国側の発言にはなんら底意があるわけではなく、また相手に甘えているつもりもない。言葉どおり、「それはお互いにいいことだ」と、心底からそう考えている。  韓国では、社会的な契約関係も友だち関係とほとんど同じ関係意識で支えられている。その意識のなかでは、契約(信義の結縁)をしたことが重要なのであって、契約の具体的な条件は親密な間柄のなかでは、いくらでも融通性を持つものと理解されている。だから、一方の友だちの利点を他方が生かして双方の利益を生もうとすることは、当然、契約の目的にかなったことで、どこが悪いのかという発言が出てくることになるのだ。  そこでは、次のようなことが、韓国側の意識のなかには、まるで収まっていないのである。 「自分で売れば一〇の利益を生むものを、お前に任せればこっちの利益は五になってしまう。それではこっちが損だから、利益の配分の仕方を変えて、平等にしよう」  実際、同じようなケースでそうした説明をしたところ、「いや、自分は二〇売ってみせる」と豪語されたという話を聞いたことがある。  お金はそのときに持っている方が出すし、そのときに力のある方がない方を助ける、それが友だちというもの。いまは日本の方が力があるのだから、当面は私たちを助けるべきである、こちらに力がつけば、今度は私たちがあなたたちを助けてあげる。そうやって、ながくつき合って行こうではないか——。  大方の韓国人経営者たちは、多かれ少なかれ、こんなふうに考えている。しかし現実には、常に日本側がリスクを負担し続けることになるため、日本人にとっては「一方的な甘え」とみなすしかない。しかも、力のある方がそれを提供するのは当然のことだと考えているから、いわゆる謙《けん》虚《きよ》な姿勢を見せることもない。そのため、日本人は「なんてずうずうしい人なんだ」と思ってしまうのである。 ビジネス関係は個人関係  韓国の社会はすでに述べたように、強力な家族制度があるため、家族を越えた個人と個人の間に信頼関係をつくることが、日本のように簡単にはいかない。したがって、ビジネスの相手には、通常以上に信頼できるなんらかの特別なつながりが欲しくなる。閨《けい》閥《ばつ》、学閥、地縁が力を持つのはそのためである。  距離が遠い者に対しては常に疑いを持ち、近い者ほど信用する。何か目に見える糸でつながっていないと安心できないのが韓国人である。そのため、誰もが親しい友だちづくりに努力することになり、信頼関係を必要とするビジネスではとくに、特別な個人関係をつくろうとするのである。  なんらの特別な関係もない、ビジネスだけのつき合いという意識は、韓国人の頭のなかにはないと言っても言い過ぎではない。そのため、日本のビジネスマンからは、よく次のような話を聞かされる。 「私がビジネスで関係したことのある韓国人は、ビジネス関係が終わってもちょくちょく連絡してくるんですよ。それも、決まって何かを頼んでくるんです。日本へ行くからホテルをとってくれとか、これこれの資料をそろえてくれとか、取り引き関係がないのにね。で、私が韓国へ行って、彼に連絡をしなかったりすると、『なんで来たことを私に教えないのか』とえらく怒るんです。連絡すれば、家に招待されるから面倒なこともあるんですよ」  仕事の関係がなくても、友だちならば互いの援助が当然なのだ。そして、困ったときに無償で援助し合える友だち関係は、大きな財産である。とくに力のある日本人の友だちは大切だ。そこで、関係を切らないようにしようとするのである。連絡が途絶えるとつき合いがし難くなるから、友だち関係を維持しようと連絡を絶やさないのである。 負担をかけてこそのパートナー  日本人ならば、お互いに負担を感じるようなことは、できるだけ避けようとする。また、相手に負担をかけさせていることで、こちらが負担を感じてしまう。ところが、韓国人では、相手の負担を背負ってこそ友だちであり、相手に負担をかけてこそ友だちなのである。このへんは、どうも日本人には理解できないようだ。  わかりやすい話をしてみよう。  ある日、土曜出勤をしている日本人ビジネスマンのところへ、ビジネスの取り引きもあり、家に招いたこともある韓国人の友人から電話がかかってきた。 「しばらく会ってませんね。いま、妻と一緒に日本に来ているんですが、少し相談したいこともあるし、明日は日曜日だから、二人であなたの家にうかがってもよろしいですか」  日本人ビジネスマンは、その月、とても多忙であった。 「今月は忙しくてね、明日も自宅で仕事をしなくてはならないんです。お相手をする時間はないですよ。私の妻は韓国語が話せないし、またこの次の機会にしませんか」  しかし、韓国人ビジネスマンは「いいじゃないですか、仕事のおじゃまはしませんよ」と、まるで取り合わない。それでも断わると、一応「わかりました」と言って電話を切ったが、少したってからまたかかってきて、「やっぱり行ってもいいでしょう?」と執《しつ》拗《よう》に言ってくる。日本人ビジネスマンは仕方なく、「ほんとにお相手できませんよ。それでもいいなら、どうぞ」と言って電話を切った。  そして、次の日、韓国人ビジネスマンはお土産《みやげ》の高《こう》麗《らい》人参を手に、奥さんを連れて彼の自宅へやって来たのだった。  友だちに負担をかけてこそ友だちであることの甲斐がある。また、「しょうがない奴だなあ」と言って友だちの無理を引き受けることが、少々困ることであっても、結局は嬉《うれ》しいことなのだ。そのようなイメージを浮かべて、友だちを喜ばせてあげようとする意識が、この韓国人ビジネスマンの頭にあることなのだ。  私も何度も同じような目にあって、いいかげんうんざりしているのだが、この場合、韓国人は次のようなことを考えてもいる。 「あの人は忙しくてなかなか友だちと会えない状態にある。そんなときには、こちらが強引にでも会ってあげた方がいい。そうしてあげないと、あの人は大事な友だちを失うことにもなってしまう」  韓国人は、「自分がしてあげるから相手がしてくれる」という関係をつくりたいのだ。  このパターンはビジネスの関係でもよくあることだが、相手に負担をかけたいのである。そして次には自分が負担をしたいのである。したがって、今度は逆に、日本人に言わせれば「親切の押し売り」「よけいなお世話」が始まることにもなってしまう。 社長あっての会社  韓国人が、しばしばビジネス関係と個人関係が混同しているような様子を示すのは、集団に帰属しているという意識が稀《き》薄《はく》で、「たまたま集団に参加している自分」という意識を強く押し出してビジネスを進めて行こうとするからでもある。  日本の家族制度は非血縁を含むイエとしてあり、血統ではなくイエの存続を目的とした。そうした伝統があるため、「イエ」をするりと「会社」へ移し代えることによって、近代的な会社制度をうまく受容することができた。だから日本では、会社の持続が目的であり、社長あっての会社ではなく、会社あっての社長だという、会社制度の考え方を素直に受け入れることができている。  しかし韓国の家族制度は父系の血統維持を目的としている。そこで、会社と家族は基本的に矛盾したものとなるから、会社は家族とは違った個人の寄り集まりだという、これまた近代的な会社制度そのままの考えを持つことになる。  もちろん、血縁や地縁で幹部を固めるところが多いが、それは「信用」の問題であり、韓国の家族制度の伝統が会社制度に色づけをしているのではない。色づけをしているのは家族制度ではなく身分制度である。  一人の王を唯一の所有者とし、そこを頂点にしてピラミッド状に形づくられる身分制度が、ほとんど崩れることなく強力に生き続けてきた社会の伝統——。その伝統が、北朝鮮ほどではないにせよ、韓国人の社会秩序に対する考え方には大きく働いている。だからこそ、会社ヒエラルヒーの頂点に立つ社長こそが、会社そのものでもあるという価値観が、当然のように出てくるのである。  かつて、ビジネス通訳の仕事で、ある韓国財閥の会長と日本のビジネスマンとの会合に立ち会ったとき、日本人から一様に次のような感想が出た。 「韓国人の経営者って、どうして自分の自慢話ばかりしたがるんでしょうね。まるで自分一人で会社を運営しているみたいだ。なんて威張ることの好きな人かと思いますよ」  日本側が会社の概要の説明を求めたところ、その会長は、いかに自分が苦労したかの話ばかりを延々としたのである。  日本の「社史」の多くが客観的な企業史の体《てい》裁《さい》をとっているが、韓国の「社史」には社長の一代記に多くのページを割《さ》いているものが少なくない。 わが社の社長さま  韓国の会社の社長は、社員からはお客さんよりも大事な存在である。韓国は他人よりも身内が大事なのであり、敬語を身内に対して使うのも韓国の特徴だ。  ある日本人が、韓国に行ったときの話である。  友だちと二人で日本レストランに行った。しばらく待っても注文をとりに来ない。ウェイトレスを呼んで文句を言い、注文をしようとすると彼女は、 「ちょっと待って下さい、いまわが社の社長さまがいらっしゃいましたから」 と奥の方を見ながら言う。よく見ると、そのレストランの社長が来て食事をしており、従業員たちがお客そっちのけで社長に敬意を表している最中だった。二人は怒って席を立ち、外へ出たのだが、誰も引き止める者はいなかった。  社長であれば、社員からは自然にそうした待《たい》遇《ぐう》を受けることになるから、みんな社長になりたがる。ただ、盧《ノ・》泰《テ》愚《ウ》政権下でいわゆる「民主化」のなった韓国では、社長に敬意を表すものの、一方では社長にはなんでもかんでも文句を言ってよいという、自分の言ったことには責任をとらずに権利だけを主張する「民主化」の波も激しく、これまでの秩序も崩れつつある。また、とくに自分の権利を要求することもせず、社長の前でガムを噛《か》んだり、スリッパをはいたりできることが「民主化」だと錯覚する者も多い。 韓国の社長夫人  韓国では友だちどうしは家族どうしのつき合いをもするのが普通だが、それはビジネス関係でも同じことである。  私は日本人のビジネスマン二人と話していて、長年一緒にビジネスをしていながら、お互いに奥さんに会ったことがないというので驚いたことがある。韓国人ならまずお互いの私生活を知ろうとする。そうでなくては一緒に仕事ができないはずである。そこで、韓国の会社ではおのずと、社員それぞれの間で、家族どうしのつき合いが活発になってゆく。  日本人の奥さんは、自分の夫が社員であれ社長であれ、よほど特別な用事でもなければ、会社へ出かけて社員と話をすることなどない。しかし、韓国の社長夫人はしばしば会社へ出かけ、夫の用をたしたり、夫である社長の代わりに社員に文句を言ったりすることはよくある。  韓国では、社員にとっては社長夫人は社長と同じ格である。したがって、社長夫人が会社に寄ったりすれば、社員は丁《てい》重《ちよう》に礼をもって待遇をすることになる。  会社の運転手つきのクルマを社長の奥さんが使うのも当然のこと。中小企業の社用の運転手ならば、まず、社長を出勤させてから後、幼稚園へ子どもを送り、次に奥さんの買物のために車を出すなども、当然のようになっている。  会社のなかでの階級のように、社員の奥さんどうしの階級も形成される。部長の奥さんが社長の奥さんの私用を助けたりすることもごく普通のことである。  私の知り合いの、韓国の大企業の部長夫婦が日本に観光に来たおりのこと。私は部長夫人の買物につきあったのだが、彼女が買うお土産の大部分が、会社の上司や部下の夫人たちへのものだった。  当然、買う品物は相手の会社での地位によって違う。社長夫人にはなんと五十万円もする高級バッグを買ったのには驚いた。どう考えても、単なる社交儀礼とは言えない。しかし、一般社員の奥さんには社交儀礼並みの、五千円ほどのスカーフなのだ。この格差が、まさしく韓国での社長と社員の身分の違いを示している。  彼女の夫の日本での仕事は、ある企業主催のセミナーの講師であり、その報《ほう》酬《しゆう》は十五万円ほどのものだった。それでも、彼らは身《み》銭《ぜに》をきって、お土産を奮発するのである。 会長・社長の自大主義  日本人のように自立を目指して小さな事業を起こすというよりは、韓国人は社長になりたいから事業を起こすと言っても過言ではない。誰でも、小さな経済的な余裕さえあれば、会社をつくりたいと思っている。だから、しばしば簡単に会社をつくってしまう。そのため、すぐに倒産する新会社が実に多い。  奥さんが手伝い、小さなオフィーステル(事務所と家と兼用のマンションの部屋)で会社を始めるのが流《は》行《や》っているが、それでも立派な一国一城の主、自分の周囲に対しては、おおいに「社長」を強調する。  最近、ある韓国の会社の経営者とビジネスで接触することがあった。名刺を見ると肩書に「会長」と刷ってある。私に会うや、彼はまず、自分の会社の力のほどについて話し始めた。  仕入れはこうで、販売はこうで、どこにも負けない実力を持っている、また、財閥系企業とも取り引きがあるので、いまこの資材が不足ぎみでなかなか手に入らないのだが、わが社はいつでも手に入れることができる——。  彼は私のところへ電話をして来るときにも、必ず「○○社会長の誰々です」と電話をして来ていた。私が「社長さんですか?」とうっかり言ったときなどは、「会長です」と言い直されたものである。  私は少しつっ込んで話をしてみた。するとどうやら、社員二、三人の小さな会社の経営者であることがわかった。他に社長がいての会長なのではない。また、財閥系企業との取り引きというのも、大学の同級生が社長をしているため、便《べん》宜《ぎ》をはかってくれるというものであった。  彼には、口先で相手をだまそう、という気があるわけなのではない。自分を信用してもらいたい一心からの自大主義的なふるまいに過ぎない。またほとんどの韓国人が自大主義的だということに過ぎない。根は正直な人が多いから、よく聞いていけばすぐに実態がばれてしまうのである。 韓国の社長の天国と地獄  社長は韓国では確かに最も階級の高い者と尊敬される。それは不思議なもので、社長でなかったときには、特別尊敬されてもいなかった人が、社長の肩書を持ったとたんに、周りの人たちが一目置くようになるのである。  したがって、会社が倒産したときほど、社長が自分をみじめに感じるときはない。それまで、周りから羨《せん》望《ぼう》の目で見られていたのが、一晩で軽《けい》蔑《べつ》の対象となってしまうのだ。  私の知る韓国人にも、そうしたとても悲惨な目にあった人がいる。  彼は個人工場の経営者。工場をはじめてから十四年ほど経っていた。彼はなかなかの人格者で、そういうことでも、周りから尊敬されていた。しかし、売掛金が焦げついて、ついに不渡手形を出して倒産してしまった。  そして、次の日から仕事仲間や近所の人の態度がガラッと変わった。挨《あい》拶《さつ》ひとつすることもなく、冷たい、軽蔑の目で見られる毎日がはじまった。それまでの誇りを突然捨てることを要求されたのである。彼も家族もいたたまれない恥《ち》辱《じよく》感の毎日に、その土地にはとてもいられないと、夜逃げ同然で引っ越したのだった。  不渡りを出したままでその返済をしなければ、韓国では犯罪となり、刑務所へ入れられることになる。同じ学校出身の友だちも、同じ土地出身の友だちも、彼にお金を貸してはくれなかった。そんなとき、韓国では家族しか頼れるものがなくなってしまう。彼はなんとか親にお金を工面してもらい、刑期を軽くすることができた。  韓国の社会では、安定期には学縁が、次には地縁が、そして混乱期には血縁が最も強く働くと言われる。それは個人にしても同じことなのである。  最近、教育者としても名のある人物が経営する、中学・高校・大学を合わせ抱える学校法人が倒産した事件があった。彼は高齢になって息子に経営を任せたのだが、息子は経営規模を広げようと野心を持ち、銀行から借金をして校舎を建て替えるなど、多額の投資を続けていった。しかし、規模拡大がそれほどの収益を生まず、狙《ねら》いが裏目に出て倒産してしまった。  この事件のことは、韓国から知り合いが電話してくるときには、よく耳にした。なかで、その老教育者と親しくしていたというある人は、一片の同情をみせることなく、「ああいうふうにして滅んでいくんだよ」と冷たく言い放っていた。  日本人がまるでそういう人たちではないことを、私は最近しみじみと体験させられた。  私もよく知る日本人が事業に失敗して倒産したのだったが、その後間もなく、周りの者たちで彼の「励まし会」を開くので出席して欲しいという連絡が入ったのである。  私も参加したが、誰もが「自分も出来るだけの力を貸すから、めげずにがんばれ」とはっぱをかけている。そして声援の言葉だけではなく、取り引きでもこんな便宜をはかれるからと、具体的な提示をして、再出発へと力を与えているのだ。  韓国では、誰もそんなことをやろうと発想する者はいない。相手にすることもしないし、また本人もかつての仕事仲間からは逃げてしまっていることだろう。そんなとき、韓国では、あれほど固いきずなを結んでいたはずの友だちも、ほとんど寄りつかなくなってしまうことが多いのである。やはり韓国では家族しか残らない。それまで家族に無関心であった父でも、家族は温かく包んでくれる。 会社を持続させる意識が稀薄な韓国人  いずれにしても、韓国では「社長あっての会社」なのである。そのため、誰もが、心のどこかに会社を主体にして仕事ができない気分を持っている。当然、会社の基本的な目的である「会社の持続」についても、韓国人の意識はきわめて稀薄なものとなっている。  各仕事の担当者がそれぞれ特権を持っているのである。仕入れは仕入れの特権を、販売は販売の特権をと、みんなが自分の特権をつくろうと努力している。自分が知っている仕事のノウハウを他の社員に教えるのをとても嫌がる。「自分がいなくては何も動かない」ということに、大きな誇りを感じるのである。  したがって、韓国の企業に仕事の問い合わせをしても、「担当者がいないからわからない」という答えがよくかえってくる。日本の会社では、担当者がいなくても代わりの人が答えられるシステムがよくできているが、そのようなシステムは自分の特殊性を無価値なものとしてしまうからと、韓国ではほとんど採用されていない。  ひとつの仕事の責任者が代われば、その仕事を進めるシステムも代わるのが韓国である。システムは責任者であった個人のものなのだ。  私がまだ日本のことをよく知らず、日本語学校へ通っていたときのことだが、教師がみな同じ教科書を使用しているのに、教え方にそれぞれ個性のあることには、ほんとうに感心した。担当の教師が休んでも、別の先生が出てきてスムースに教えてくれる。教え方に個性がありながら、教科書一冊をこなす流れが統一的にシステム化されている。このような制度では人が代わってもシステムは残る。  韓国では教師の存在を濃く感じさせられていたが、日本では教師の存在はとても弱いものに感じられた。なぜそうなのかがよくわかったと思えた。  私は韓国でも日本語学校へ通ったことがあるが、そこでは担当の教師が休むと、そのまま授業も休みとなることが多かった。教師によって教えるシステムがみんな違うから、代行授業では、いきなり教わったこともない内容となったり、すでに教わったことを再び聞かされたり、ということが起こり、いつも混乱していた。  ビジネスでもそんな具合だから、こんな不思議なこともしばしば起きている。  古くからの知り合いで、韓国で三十年以上の歴史を持つ出版社の社長がいた。彼は常々、「自分には息子がいないので、将来娘が結婚すれば、娘の夫に会社を譲ろうかと思う」と言っていた。最近、必要なことがあって連絡したら、会社がなくなっていた。あれほど歴史のある会社でも倒産することがあるのだなと思いながら、私は彼の親《しん》戚《せき》の人に事情を聞いてみた。すると、倒産したわけではなく、心臓マヒで社長が急死したため、会社が運営できなくなったのだという。  こうした話は他にもたくさんある。  かつて、通訳の仕事で、合弁を進める韓日企業の部長どうしの会見に立ち会ったことがある。話がうまく進んだので、私は当然合弁がなったと思っていた。しかし、後に日本側の部長と会って、合弁が失敗したことを知った。  韓国側の部長が問題を起こして会社を首になったため、合弁の話が進まなくなってしまったのだという。そのため、日本側の担当者である部長は、会社から「相手の部長が辞《や》めたからといって話が進まないという理由はないだろう、それなりの責任をとってもらうよ」と言われることになってしまったのである。 肉体労働が嫌いな韓国人  李氏朝鮮時代の上流階級であるヤンバンは肉体労働をしなかった。ヤンバンをめざす韓国人は肉体労働を恥ずかしいことと感じている。日本では恥ずかしいというよりは疲れるから嫌だという感じが強い。韓国でも「汚い、きつい、危険」の3Kを嫌がるというが、それは何よりも恥ずかしいからであり、誇りを持てないというのが主な理由である。  韓国人の留学生たちも肉体労働のアルバイトをしたがらない。ある日本の材木会社の経営者からアルバイトを探していると聞いた。支払いは普通のアルバイトの三倍にはなる。それならと私は「すぐ探せますよ」と言って、留学生たちの溜まり場へ行き、男子学生たちに声をかけた。しかし、一人もやりたいという者がいない。「そんなみっともないこと誰がしますか」と言うのである。  韓国のブルーカラーが工員を嫌い、なんとかサービス業につこうとすることもあって、人手不足で倒産する工場が近年増えて来ていると聞く。まだまだ単純製造業に力を入れなくてはならない韓国で、若い労働力の工場離れは、深刻な社会問題となっている。  それは日本でも同じことには違いない。しかし、その質はまったく違う。どう違うかは、次のトラブルの事例からおわかりいただけるのではないかと思う。  韓国の財閥系家電メーカーが新製品を日本に出荷した。荷を受け取った日本の企業では、倉庫にうず高く積み上げられた製品の山からいくつかのサンプルを抜き出し、簡単な製品チェックを行なった。ところが、どれひとつとして作動しないのである。  製品を解体して調べてみると、ある重要な部品のひとつがすべてに入っていなかった。なぜそのようなことが起きたのか、韓国側に問い合わせてみても、まったく要領を得ない。そこで、日本側が社員を派遣して調べたところ、次のようなことがわかったのである。  その部品を製品に取り付けるには、手首を少々内側へ向けながら作業をしなくてはならなかった。やがて、工員たちが手首が痛いからと文句を言いはじめ、取り付けをサボるようになっていったのである。工場長にそのことを問いただすと、「工員たちが可《か》哀《わい》相《そう》でやれとは言えなかった」と言うのだった。  作業工程を変えれば無理なく取り付けられるのだが、それ以上に、付けにくいからといって工員がそれをサボり、また工場長も文句を言わず、そのまま出荷してしまう神経には、日本側も、もはや何と言えばよいのか言葉もなかったに違いない。  日本人ならば、いかに3Kを嫌っていても、自分が工員であり、また工場長であれば、ともかくもいい製品を造ることに一生懸命に働くはずである。 技術者は卑しい?  韓国人がことさらに3Kを嫌うのは、物を作る技術者をサンノム(常民)の下に位置づけ、卑しい人たちと見た李氏朝鮮時代の身分制度の価値観が、いまだにあとを引いているからでもある。だから、それは恥ずかしいことなのである。  日本の小学生の卒業アルバムを見せてもらっていて、最後に「将来こんな仕事をしたい」という子どもたちの声を収録した欄に私は大変に驚いた。なかに、調理師になりたい、美容師になりたい、タクシーの運転手になりたいという声が、たくさん目についたからである。  韓国には、大人になってそんな仕事をしたいという子どもはまずいない。もし子どもが調理師とか運転手になりたいとか言えば、親はそういう考えを叩《たた》き直すだろう。  技術者は卑しい——そう思っていた若いころの私は、あるとき日本人の友だちにその恋人を紹介され、名刺をもらって「○○社技術研究課」とあったので、内心「なんだ、彼女はたいしたことない人とつき合っているんだな」と思った。大学で「こんな人に会ったわよ」と友だちに名刺を見せると、みんな、「すごいじゃない、エリートよ。いいなあ彼女は」と言ってうらやましがるので、びっくりしたこともある。  近年、国が忠《チユン》清《チヨン》道《ド》のデジョン(大田)に理工系の技術者養成の学校を建て、高校の成績が一、二番の者に奨学金を出すといって募集したことがあった。一時的には集まったが、すぐに集まりが悪くなり、いまでも人気がない。韓国にいたときには私も技術者をなんとなく軽《けい》蔑《べつ》していた。  韓国人ホステスの間で「民族大移動」という言葉が流《は》行《や》っている。ホステス相手の商売が韓国からこぞって移動してくるのだ。美容室、洋服店、靴の修理、韓国人専門の不動産屋、レンタルビデオ、美容整形、ホストクラブ、など。第一線で日本人とわたりあっているホステスの懐《ふところ》をあてにしての来日である。  ここでも技術者は貶《おとし》められている。  新宿歌舞伎町に韓国人用の美容室が四つあるが、どの店もみな混み合っている。チップがあるので日本の倍はするのだが、同国人の気安さからよく繁盛している。ホステスの美容師に対する言葉使いはきわめてぞんざいだ。美容師たちは、「それもパルチャだからね」と言う(パルチャは『八字』と書き運命を意味する)。パンマル(目下の者に対するぞんざい語)を、自分たちのような職業の者に使うのは当然だというのである。  話はそれるが、金《キム・》日《イル》成《ソン》と自民党の金丸氏の会見のもようをテレビで見たときのこと。金日成は金丸氏に対して、「おお、よく来たな、元気か、楽にしてくれ」といった具合に、徹底してパンマルを使っていた。それを通訳は、必死になって礼をつくした日本語に訳して金丸氏に伝えているのだった。  さて、手に技術を持つ韓国人たちが盛んに日本へやって来るのは、ホステス狙《ねら》いであることに加えて、外国に行けば、卑しい職業をやっても平気でいられるからでもある。見栄っぱりの韓国人のこと、同国人の知り合いに、そういう自分を見られないですむからである。とくに親戚や地元の人に見られることが、最も恥ずかしいのである。  日本人の美容師さんと仲良くなってお宅におじゃましたときのこと。ご主人は自宅でクリーニング店を経営していて、彼女は土日はその手伝いもやっているという。その一人娘だという可《か》愛《わい》い女の子と話していて、彼女が「大きくなったら、お母さんみたいに、お父さんのお手伝いをしながら美容師さんをやりたい」と言ったのには驚いた。お母さんのようになりたいのはわかるにしても、なぜ、そんな卑しい職業をやりたいのか、当時の私には理解ができなかった。 日本の技術を学ぶ姿勢に弱い韓国人  韓国人は三国時代を誇る。それが立派だったことは日本人も認める。陶磁器の技術にもすばらしいものがあった。しかし残念なことに、その技術がいまに伝わっていない。  先にもお話ししたように、韓国人たちは「日本人がかつて陶工たちを拉《ら》致《ち》していったから伝統がきれてしまったのだ」と言う。たとえそうだとしても、韓国では技術者を尊重せず、日本人の方が技術を尊重したことは確かだ。朴大統領の時代に、李氏朝鮮時代に廃絶された青磁の製作が復活したことはした。しかし、いまでは日本の磁器の方が数段すぐれている。  韓国人には、日本にはかつて韓国が技術を教えてやったという優越感が強いため、日本の技術が世界の先端にあることがわかってはいても、どこかで日本の技術を軽視して認めたくない気持ちが一般の人たちのなかにある。だから、そこには日本の技術に対するコンプレックスも生まれない。明治以降今日に至るまで、韓国の技術はほとんど日本から入っているのに、それを認めたがらないのである。  そんなひとつの例をお話ししてみる。  ある日本人ビジネスマンが韓国人ビジネスマンと雑談していたときのこと。話が自動車のことになり、なにかのきっかけで、日本人ビジネスマンが「あの現代自動車のポニーね、あのエンジンは日本の三菱自動車が、何年か前にギャランなどに積んでいたもののライセンス生産ですよね」と言ったところ、「いや、あれはわが国が独自に開発したものだ」と、あくまで言い張って譲らなかったそうである。  日本側から技術供与を受けて、後に「わが国独自の開発」と新聞で発表することなど、よくあることである。心臓部から末端各部に至るまで、ほとんどが日本の製品を使っていながら、それを組み立てては、「独自の開発」とやるのである。  一方、日本をよく知っている世代や日本企業と深い取り引き関係を持つ企業のビジネスマンたちは、日本の技術の優越性を知っているため、強いコンプレックスを持っている。 ビジネスは一代で終わる  技術を卑しいものと見るのもそのひとつだが、とかく韓国人は細《こま》々《ごま》としたことを嫌い、おおざっぱをよしとする。それに加えてヤンバン志向が強いので、小さな企業や店舗の経営者は、だいたいが子どもに後を継がせようとしない。継がせるに足らない小さなものと考える。そのため、日本のように、八百屋や魚屋で、その商売を何代にもわたってやってきたという店はまずない。  商店主などは、自分の仕事を小さな価値の低いものと考えて満足していない。子どもにはもっといい仕事をと考え、自分のヤンバンの夢を達成させたがるのだ。親が自分の夢を達成できなかった恨《ハン》を子どもによって溶かそうとするのである。  日本人のように、ひとつの仕事の歴史的な持続から、すばらしい製品、味、香りなど、どこにも負けないものが生まれる、といった発想はない。したがって、店の伝統を誇ることもない。歴史がつくり上げた仕事を引き受け、さらに自分が新たな仕事の歴史をつくって行こう——そう望むのではなく、常に他のもっとよい仕事をと考えているのだ。  私は蔵王の麓《ふもと》で、明治時代の初期から、代々葡萄ジュースのエキスを自家生産して売っている店に行ったことがある。みすぼらしいアバラ屋のような店だった。こんな店になぜ人気があるのだろうか? そう驚く一方で、そんなに人気があるのなら、なぜ事業を拡張し、大きく商売をしようとしないのかと思った。  同行の日本人に聞いてみた。 「大量生産で品質を落とすことを嫌がっているんだよ。だから一定量しか作らない。それで美《お》味《い》しく出来るし、作る量が少ないため、みんながこぞって買いに来るのさ」  日本の製造業が、一方で大量生産をおし進めていながら、品質を落とすことがないのはなぜなのか? 私は日本人の技術に対する姿勢の根本を見た思いがした。 商売は詐欺?  韓国では商売と言えば、ほとんどの人がどこか詐《さ》欺《ぎ》とだぶった印象を持っている。昔から「人をだますのが商売だ」と言われても来た。これもやはり、李氏朝鮮時代に商人が卑しい職業とされていたことによっている。  サギクン(詐欺師)とチャンサクン(商売人)の二つにだけ、悪い人を表わすクンを使うところにも、商売=詐欺という思い方が見えている。商人はそう思われていることを知っているから、早くお金を儲《もう》けて商人をやめたいと思う。そこで長期ビジョンが持てないのである。品質を向上させようとしないのもそのためである。  確かに、韓国には人をだまして儲けようとする商売が多い。商品によっては偽物が当たり前なものもあるほどだ。  唐《とう》辛《がら》子《し》に木の削《けず》りカスを入れたり、モヤシに成長促進剤を入れたりの事件が絶えない。漢方薬にも蜂蜜にもゴマ油にも、韓国で高価な必需品となっているものには、偽物がとても多い。とくにゴマ油などは、まず信じることができないほど偽物が市場に氾《はん》濫《らん》している。そのため、多くの人びとがゴマを直接買って来て自分でゴマ油をとっている。  このゴマ油をとる機械を最近売り出した三星の広告コピーは傑作だった。 「いつまでだまされているんですか? 直接油をとれる機械」  また、韓国人にとっての「ほんもの」という意識は、「一流ブランド品」「高級品」という意識に限りなく近い。韓国人は一流品が大好きである。高いものが「ほんもの」だという意識から、人の身につけている物でその人をはかることをよくする。日本人だと、中年女性でも二、三千円のアクセサリーを身につけて楽しんでいる。韓国ではバカにされるので、安いアクセサリーを買う人は少ない。誰が最も高級な物を持っているかが女たちの話題である。 プレゼントの習慣から賄賂へ  この高級品志向とも関連があるが、韓日ビジネスでしばしば問題となるのが、韓国人の賄《わい》賂《ろ》の習慣である。李氏朝鮮時代の十八世紀ともなれば、賄賂によってヤンバンになることも可能だった。その流れもあるが、一般では、前近代のプレゼント、お土産《みやげ》の習慣が賄賂に変わってしまっているところがある。  日本人でお土産と言えば、お土産そのものよりも、そこに込められたまごころの問題になる。だからこそ、手作りのものが喜ばれたりもする。韓国人では、お土産そのものが高い物か安い物かで相手のまごころを計る。だから、安いものをもらうと気分が悪くなるし、安っぽい手作り品をプレゼントされても、嬉《うれ》しい気持ちにはならない。人を軽視したことになるからだ。  高いお土産を貰うことのできる人は、それだけ高い地位があることを示している。だから、ある程度の社会的地位にある人には、とても安いお土産をあげることはできない。地位や経済力に対して、それなりに見合ったものを、プレゼントとして、目に見える形で表わさなくては意味がないのだ。このへんから、プレゼントが賄賂へとすべり込んでゆく。  一九九一年、韓国でやっと地方自治体の議員選挙が全国で統一的に行なわれた。こうして地方自治が始まったのだが、日本の新聞でも報道されたように、各地の地方議会で汚職事件が続出してたくさんの逮捕者が出、機能マヒに陥る議会が相次いだ。そのため、補欠選挙が各地で行なわれるという事態を生んでしまった。  ある地方自治体では、実に半数以上の議員が収《しゆう》賄《わい》の容疑で逮捕され、完全に機能がストップしてしまった。教育長を選ぶため、候補者たちから議員たちへ向けて、札びらが飛びかったのである。そして、自ら高い地位にあると思っている議員たちが、その札びらを当然のこととしてポケットへ入れたのだった。 自分に価値のあるものが相手にも価値がある  多くの韓国人が、外国へ行くときには、お土産として高《こう》麗《らい》人参をたくさん持ってゆく。高価であるため、誰もそうそう簡単に手に入れられるものではない。ところが、外国人の多くが高麗人参を煎《せん》じて飲むなど面倒くさいと思っているし、またその強い臭いを嫌う人が多い。それでも、韓国人はせっせと高麗人参をお土産にと、外国へ持ってゆく。  高麗人参は、韓国人にとって価値があるものであり、韓国人にとって高級なものである。だからこそ、外国人へのお土産にするのだ。韓国人は一般的に、相手が何を喜ぶかではなく、自分が価値のあると思えるものをお土産にする。  高麗人参をもらったという日本人はたくさんいるものの、多くの日本人には「ブタに真珠」のようなことになってしまっている。「せっかくもらったんだけど、どうして飲めばいいかわからないし、また何かくさくて腐らせちゃったよ」という人が多い。  ある日、私の事務所に顔を出した韓国人ビジネスマンが、高麗人参を見せながら、「これからこの人参を日本人へのお土産で持って行くところだ」と言う。私は、 「そんなに高いものをお土産にしなくてもいいんじゃないですか。それに好きな日本人も少ないし」 と親切のつもりで言ったのだったが、彼は「私がしたいからいいでしょ」と、まるで気にしていない。相手のことを考えるよりも、自分がいかに相手を大事に考えているかを、自分の価値観で表わすことができればいいのだ。価値観が通じるかどうかにはまるで関心が向いていない。 高価な贈り物の意味  飲みにくかろうが、価値がわからなかろうが、自分が高いお土産をあげたということさえ、相手にわかってもらえればいいのだ。物質の金銭価値が、自ずと自分の心を語ってくれると信じているからである。  日本人は、高いものをもらうとかえって負担に思ってしまう。そういう点では、日本人には高麗人参の価値は、むしろわからない方がいいかもしれない。  韓国との取り引きの多い日本人ビジネスマンでも、高級品だからこそ高麗人参がお土産になるということを、わかっていない人が多い。こんな言い方をする人がいるのである。 「なぜ韓国人は僕に人参ばかりくれるんでしょうかねえ。家には人参がどっさりと積んであるんですよ。それより韓国の海《の》苔《り》なんかが欲しいのに」  自分が尊敬している人に、海苔のような安いものを贈ることは、贈る方の気持ちが許せないのである。単に自国産で珍しいことでは、外国人へのお土産としての価値にはならない。あくまで金銭的に高価であり、なおかつ韓国産のもの、それが最も外国人への贈り物にはふさわしい。そこで、いきおい、高麗人参が外国人への贈り物の代名詞のようになるのである。  韓国では、千円、二千円程度のものをお土産にするなど考えられないことだ。私もいまでは大学の先生の家を訪問するときなどでも、その程度の値段のお菓子を持ってゆく。しかし、いくら日本的になった私でも大きな抵抗感を感じてしまう。そこで、まだ私も、相手がどんなものが好きかわからないときはとにかく高いものを選んでしまう。また、お金がないときには訪問が気の重いものともなってしまう。 お返しは韓国人の心を傷つける  日本には、贈り物をもらえばお返しをする習慣がある。しかしお返しは、韓国人の心をいたく傷つけるのである。贈に対する答があって、初めて贈答という相互交換の儀礼が成り立つ。韓国にもそれがまったくないわけではない。しかし、個人関係でのもらい物にお返しをしたり礼状を出したりする習慣はない。韓国人は、贈り物をあげたこと、日本的に言えば、相手に義理をかけてあげたことが嬉《うれ》しいのであり、また、贈り物をもらって当然の場面でもらい、相手から義理をかけられることが嬉しいのだ。  だから、お返しは義理の帳消しとなるので、韓国人はとても嫌な感じを受けてしまうことになる。私も日本的な慣行の意味がわからなかったときは、そんな韓国人の気持ちを何回も味わっていた。  私がフランス旅行から帰ったとき、二人の先生に高級な香水をお土産にと差し上げた。そして、少したってから、一人の先生が私に、「学生にプレゼントをするのは初めてだ」と言って、一個の紙包みを手渡した。お返しの慣行など知らない私は、先生がとくに私に好意を持って、純粋にプレゼントをしてくれたのだと嬉しくなってしまった。  何回も包装された紙をとって箱の中を見ると、一組のコーヒーセットだった。私はそれを見てがっかりした。韓国人はコーヒーをパーソナルな場面で飲むことが少ないから、コーヒーセットなら五、六人分で一セットを常識としている。そのため、一組のコーヒーセットでは使い道がないではないかと、腹立たしさすら覚えたのである。かといって捨てるわけにはいかないので、受け皿は花瓶を敷くために使い、カップは歯磨き用に使うことにした。  そのことは、まだいいのだが、さらに憤《ふん》慨《がい》したのがお返しであった。箱の中に先生の手紙があって、「この前いただいたもののお返しです」とあるのだ。私は、高級な香水に対して安価なコーヒーセットを返すなんて、まったく人をバカにしていると憤慨したのである。  しかし、同時に私はある不安を感じた。それは、私の先生へのプレゼントには、「日本語が十分できないため、試験のときの点数に手加減を加えて欲しい」という狙いがあったからである。こういう、賄賂とも言える先生へのプレゼントは、韓国では普通のことだった。しかし、お返しという奇妙なプレゼントをもらったとなると、これは、その狙いを帳消しにすることを意味するものかもしれないと不安を感じたのである。 贈り物と手加減  やがて、その先生の作文のテストがかえってきた。見ると、言い回しなどでたくさんの減点がつけられていた。作文だから先生の考えひとつで点数をつけられるはずだ。だから、甘くしてくれることを期待してのプレゼントだったのだが、そんな手加減はまるでない。句読点の位置までも全部チェックされ、結局、履《り》修《しゆう》表にはCがついてしまった。  日本人はなんて情実のない冷たい人たちなのか、いったい、人間関係をどう考えているのだろうかと思った。すべてを理性的に処理して情を持たないのが日本人だと思いこんだ私は、その冷たさを心から憎んだ。また、これは韓国人差別ではないかとも思った。  高い香水をあげたのにもかかわらず、安いコーヒーカップを、しかもたった一組で使いものにならないものを返されたし、おまけに点数もいっそう厳しくされた——。  いまでは笑い話なのだが、当時の私が悩んだように、最近の留学生たちの多くもまた、こうした「いき違い」で悩んでいることを思うと、やはり笑うことはできない。  韓国でならば、試験の自信がないときは先生と仲よくしたりお土産をしたりすれば、いくらか手加減してくれるのが普通だ。そうしてあげることが、単なる教師ではなく情のあることの証拠となり、人間的に善いこととされるのである。また、それでなくては先生の人気がなくなる。ここでも、善と悪が韓日では正反対になってしまう。  最近知り合った、韓国の大学で日本語の先生をしていたという日本人が、韓国の学生のプレゼント攻勢のすさまじさに憤慨していた。彼女は、学生からたくさんのプレゼント攻勢にあったが、それにはいっさい振り回されなかったと言う。さすが日本人である。しかし、そうとう裏で悪口を言われたことだろう。なんと融通がきかない先生と思われたに違いない。  交通違反をしても警官にお金をあげれば、だいたいが許すか罰金を軽くしてくれる。その場合、多くの警官は、お金が欲しいというよりは、それくらいの気持ちがあるならと、人情として許すのである。ここでお説教をしておけば、罰を受けるのと同じだと考える。市民は「なんて心の大きいおまわりさんか」と思うし、警官もそういう自分に満足できるのだ。 お金を使いたがる韓国人  韓国では、賄《わい》賂《ろ》を悪いものだといって単に禁止しても、決して減るものではない。その理由はいくつかある。  ひとつには、お金のない人を助けようとお金をあげることを善とする考えが厳然としてあること。もうひとつは、お金を持っていない人が持っている人からお金をもらうことを当然とする価値観があること。そして、そのような授受によって自然に、互いの間に上下関係がつくられてゆく(上下関係が韓国社会の最も重要な秩序である)。  陽があれば陰があるのは当然で、上下関係は持つ者、持たない者の間で、自然につくられていくと韓国では発想される。日本人のようにバランスをとろうとはしないのである。  誰もがヤンバンのようにお金を使いたい。「お金を使いたい」のは、欲しいものを買いたいというよりも、お金を使うことで他の人に「上級の人間だ」と認められたいから、ということにより重点が置かれている。韓国では、何か具体的な目的のためというよりは、恰《かつ》好《こう》をつけるために、よく言えば相手を助けてあげられるからお金が欲しいのである。  韓国人は、酒場へ行くとチップをよく使う。ホステスたちの収入がチップ制になっているからでもあるが、酒代よりチップ代の方がかさむ高級酒場も多い。ホステスたちから「上級の人間」と認められ人気者になるには、チップが高くなくてはならない。さらに、ほとんどの酒場ではビール一本がいくらと値段がつけられてはいないし、またいくらだという相場もない。  たとえば、「このビールをあなたならいくらで買いますか?」とホステスが聞いたとする。すると、ある客は「一万円」と値をつけ、ある客は「十万円」と値をつける。そんなふうに、いくら払うかで客の質が決まるのである。社会的な地位のある人は、とくに高く買わなくては、酒場からも仲間からも笑い者にされてしまう。  私は日本のある一流企業のエリート社員に、「あるお店であなたが飲んで五万円だったものが、あなたの友だちが飲みに行って一万円だったと聞けば、あなたならどう思いますか?」と聞いてみたことがある。そのビジネスマンは「もちろん腹が立ちますよ」と言う。私が「韓国人ならそこで喜ぶんですよ」と言うと、「えっ? そんな……」と、まさしく狐につままれたような顔をしていた。  ホステスは客を見て値をつけ、客は人より高くされて気分をよくするのである。  そんな見栄っ張りの韓国人でも、自分が表に出ないで、隠れて他人に奉仕することはあるにはある。でも、ほんとうにその通りにしている人は少ない。結局は、他人に認めてもらいたいからそうしている場合が多いのだ。  たとえば、災害が起きて多くの人が被害を受けたとき、新聞には、必ずと言ってよいほど、援助した個人や会社の名前が大きく出る。そういう公開があることを知っているから、それを期待してやるのである。  韓国の教会では、献金袋のなかに額を書いた紙を入れることになっており、壁にズラリと各個人用の献金袋が貼ってある。ちょっとなかをのぞけばその人がいくら出しているかがすぐわかる。自分はこれだけ出しているということを、暗黙のうちに示せるようになっているのだ。教会でも、そういう韓国人の心理が利用されている。 子どもにお金をあげる習慣  韓国では、他人の家に行ったときに、その家に子どもがいればお金をあげるのが習慣になっている。もちろん隣人などは別だが、たまに行く友だちや親《しん》戚《せき》の家では、中学生や高校生くらいまでならお金をあげるのが普通である。  私のように外国にいて国へ帰る場合は、その額はさらに大きいのが常識とされる。通常では、小学生には一千ウォン(二百円)ほど、中学生には一万ウォン(二千円)ほどが相場だが、外国帰りとなると、小学生でも一万ウォン、中学・高校生なら十万ウォン(二万円)以上ともなる。また大学生、年寄りにあげることも珍しくない。  私はあなたの家族のことをそれだけ思っている、気にしているということを、韓国人はお金で示す。「物質のあるところに気持ちがある」と考えるからである。一方、お金(物質)でまごころが計れるかと日本人は思う。このすれ違いのなかで、韓国人は日本人に、「すべてをお金で解決しようとしている人たち」と思われてしまう。  韓国人が国に帰るには、そういうお金も必要だし、また高級なお土産も必要となる。そこで、お金のない韓国人、たとえば私のような者は、交通費だけで韓国に帰れるなら帰りたいとは思っても、お金のことを考えると、とても帰れないのである。  もちろん、知らん顔をしてお金もあげずにいようと思えばできる。しかし、そうすると「なんて子どもに冷たい人か」とみなされる。知り合いに会わなければいいではないかといっても、それは、人を無視する冷たい行為となるため、もっと大変なことになる。そのため、お金もなしに帰国するには、韓国社会と縁を切る覚悟が必要となってしまう。 賄賂が子どもの成績をよくする  韓国の経済発展とともに、かつての小さなプレゼントの習慣が、莫大な賄賂社会へと変《へん》貌《ぼう》したことは確かだ。私の知る韓国の小学校の教師は、「いくら子どもたちを平等に見ようとしても、賄賂をもらってしまうと、どうしてもその子に気がいってしまって、ついいい点数をやってしまう」と言う。  それでは子どものためによくないではないかと、小学生の子を持つ韓国人の母親に話してみたことがある。彼女は、「いや、それは逆ですよ。子どものためにいいことなんです」と言って、その理由を次のように話すのである。 「小学校の成績がいいと、たいていの子どもが、中学校、高校へといい成績のまま続くんですよ。それが大学入試から就職にまで響くでしょう?」  ちなみに言えば、韓国では出身大学だけではなく、大学の成績までが就職に影響する。  小学校で勉強ができて、いい子、いい子とほめられると、みじめな気持ちにならなくてすみ、気分がよくなるから、それが勉強のエネルギーとなり、持続する——そういう発想なのである。そして、たぶん、韓国ではそうなる子が多いことも事実だろう。  しかし、そのまま賄賂行為も続けることになり、大学入学にも賄賂のお金が激しくとびかう。日本でも賄賂入学が盛んだと言われるが、おそらく比較にならないほど韓国の方が激しい。一九九〇年に、大学予備試験で一億ウォンから二億ウォンを使った賄賂事件があった。有名大学の場合にはもっとすごいに違いない。  文を重んじていた李氏朝鮮時代がいまは形式だけ残り、学《がく》閥《ばつ》重視となっている。これほど就職先の差、給料の差が出身大学ではっきり違う国は珍しいだろう。韓国では初めて人と会うと、まず学歴の話からはじめることが多い。出身大学を誇ることを嫌い、すぐに出身地を聞いてくる日本人とはまるで違っている。  韓国では、年々増え続ける大学卒業生を受け入れる器が社会に足りないため、最近、とみに就職浪人をする者が多くなっている。そのため、就職試験のときは、バックグランド(地縁、親との関係が最も大きい)と賄賂が大きな意味を持ってくる。  私の知り合いの長男が去年、銀行に就職したが、バックグランドがあって七百万ウォン(百二十万円)を使ったという。バックグランドがなく実力がない場合は三千万ウォン(六百万円)は必要だという。就職するのにも賄賂、なのである。 お金がなくては生活が不便となる文化  交通違反も賄賂で逃げられるから、韓国でクルマを運転するときには、いつもなにがしかの現金を持っていることに気をつけることになる。警官の立っている場所がひとつの権利として取り引きされることも多い。交通量の多い交差点などの権利金は最も高い。もちろん、そんなことが法律で許されるわけはないのだが、きまじめに法律通りにやろうとすると、「なんとがんこな」と仲間外れになるのが韓国なのだ。  家庭のなかでの小さな仕事、たとえば水道が故障したときなど、修理する会社への支払いとは別に、直しに来た人にお金をあげるのも常識である。生活のすみずみでお金が必要になってくるのが韓国の社会である。  これもある日本人の韓国での体験談である。  クルマに乗って駐車場に入った。あちこちに空きがあるのに、窓口の者は予約制だからと言って駐車させようとしない。そこで押し問答をしている間、ベンツなどの高級車がどんどん止まってゆく。どこにも予約制などと書いてないので不思議に思って、後で知り合いの韓国人に聞いたところ、「ああ、それは、常々、窓口の従業員に賄賂をやっておいてね、いついつ行くから場所をとっておけとやっているのさ」と当然な顔をしていたという。  お金がなくては実際の生活がとても不便である。水道が壊れたときにも、以前に直してもらったときに賄賂を渡してあれば、すぐに飛んできてくれる。が、賄賂を渡してなければなかなかやってこない。そこで、仕方なくなんでもかんでも賄賂を渡すことになってしまうのである。 見えない悲劇と見える喜劇  賄賂というほどではなくとも、ともかく相手にお金や物品をあげることが、相手の気持ちを和《なご》やかなものにすることができる韓国の常識を、日本でもそのままやって失敗する韓国人は絶えない。そのような韓国人の行為が、日本人には喜劇的に見えるのだが、見えない部分で韓国人が味わっているのは悲劇である。  その典型的なひとつの例をお話ししてみたい。  あるとき、日本に駐在する韓国人ビジネスマンの奥さんから、こんな相談を受けた。  彼女は小学校五年生の息子を、日本人の学校に通わせていた。自分が日本の教育レベルの高さに興味を持っていることと、日本人との交流で国際的な感覚を子どもに身につけさせたいというのが目的である。  しかし、入学して少したつと、息子が毎日いじめられて帰って来るようになった。彼女は子どもがうまく日本語ができないからと、たまに息子について学校へ行くことがある。また、自分の子どもと仲よくしてもらいたいからと、他の子どもたちと遊ぶこともよくある。さらには、子どもたちを家に呼んで御《ご》馳《ち》走《そう》したり、そのたびにノートとか日記帳などのプレゼントをしていた。それなのに、なぜ? と彼女は思った。  息子がちょくちょく泣きながら帰ってくるので、ある日学校へ行ってみると、クラスの子どもたちが彼女の息子を、鉛筆でつついたり、筆箱を足で踏みつぶしたりしていじめている。彼女は子どもたちに、やさしい声で「いじめちゃいけないわよ、みんないい子ね、この子と遊んでやってね」と言い、いじめている子どもたちみんなにチョコレートを配ったのである。  それなのに、最近ますますいじめが激しくなってきた——。  話し終わると、彼女は実に悲しそうな表情で、次のように言うのである。 「日本人は植民地時代に朝鮮人差別をしただけではないんですね。もともと日本人の血のなかには、人を差別する汚い血が流れているようですね。どうしたらいいんでしょうか」  話をさらに聞いてみると、彼女は、息子が日本語がうまくできないので、当然試験の点数も悪くなる、だからこそと、服装は他の子どもたちより高級で綺《き》麗《れい》なものを着せ、晴れやかな心でいさせてやろうと思っていたと言う。韓国ならば目立たない子がいじめを受けやすいが、日本では反対となることを彼女は知らない。  韓国の小学校では、母親たちが少しでも目立つ子になって欲しいと、できるだけ他人よりも目立つ服装をさせて、子どもたちを学校へ通わせている。日本ではほとんど似たような服装をさせ、韓国人とは反対に、できるだけ特別な目立ちをしないようにと気を配る。  服装も原因のひとつかもしれないが、もっと重要なことは、彼女の子どもたちへのプレゼント攻勢である。これが子どもたちに、何か気持ちの悪い感じを抱かせたのだと思う。「仲よくしてやって」とプレゼントをくれる親など日本にはいやしないからだ。たぶん子どもたちはそのことを親に話したことだろう。そして、もらってはいけませんと叱《しか》られたに違いない。そこで、この母子が、クラスの子どもたちにとっては完全な異人化をとげてゆく。  私は韓国人差別などではないと思う。逆に、韓国の学校に日本人の子どもが入った場合のことを想像してみれば、同じようないき違いのなかで、日本人の子がいじめられることになるに違いない——そういう問題だと思う。  習俗とか文化とかの無意識に規制されて自然に出る人間の仕《し》草《ぐさ》、言葉、態度……。それがそれぞれ異なる二者の間でのやりとりが、どこかで大きなくい違いに発展するとき、お互いに相手に対して異人という意識が生まれる。これは私の日本体験から感じることである。  その、ほとんど生理的な反応が、子どもの場合には正直に、だからこそ残酷なまでに出てしまうのだ。  私はそのようなことを念頭に、彼女に対して、差別とは別の問題があるから、まず息子の服装をみんなと同じようなものにあらため、プレゼントをやめ、それから先生に相談した方がいいと意見を述べた。でも、彼女は私の言うことが理解できないと言い、やがて息子を韓国人学校へ転校させてしまった。  韓国人をはじめ、多数の外国人たちの流入がはじまった日本は、いやでも「異人問題」と、真っ向から取り組まなくてはならない時代を迎えている。外部から流れて来る異質なものを受け入れ、それを自らのものと混ぜ合わせることで独自の文化をつくりあげて来た日本。あらゆるものを受け入れて来て、ようやくその最後のものが「人」となって、いま、目前の課題となっている。  あとがき  はじめに、この本の成り立ちについてぜひお話ししておきたいと思います。  昨年の暮れに出しました私の初めての本、『スカートの風』には、実にたくさんの読者の方々から、読者カード、お手紙、お電話などで、多数のご意見をお寄せいただきました。また、インタビューなどで多くのジャーナリストの方々とお会いすることにもなり、その際にも貴重なご意見をたくさんいただきました。  このように大きく、また暖かい迎え方をしていただくことになろうとは、実のところ夢にも思ってみませんでした。私の働く小さな事務所に、日をおくことなく、次から次へと読者の方々の声が飛び込んでくることになったのです。  大きな反響、と言ってしまってはもったいない、きめ細かいご指摘と、ご自分の体験的な共感を含めての暖かい励ましの言葉がまことに多く、実際、ほとんどが、ひとつひとつ丁《てい》寧《ねい》にお答えしなくてはならない真《しん》摯《し》なお言葉に満ちたものばかりでした。 「本の著者には初めて手紙を書く」と言われる方、「感動を受けた」と言って下さる方、さらに、私の意図していたことよりも深く読んで下さり、もう一人の私をつくって下さった方もいらっしゃいます。それらのお手紙を鏡として、そこにもう一度私を映して見ることができたことは、ほんとうにありがたいことでした。  そうした喜びを与えていただきながら、多くの方々にほとんどお返事できないまま過ごすことになってしまいました。心からおわびを申し上げます。  前著発刊の直後から、この本の原稿の準備に入りましたが、その間に読者の方々からのお手紙を読むことはとても楽しいことでした。読むといつも、私の胸のなかに暖かさが入ってきて、いかにも固まった恨《ハン》が溶けてゆくような感じを味わうことができるのでした。また同時に、書かれているご意見から大きな刺激を受けるのでした。私はまさしくそのような毎日のなかで、この本の原稿を一行一行書いてきました。  したがってこの本には、そうした、日々いただいてきたご意見を、私なりに整理してまとめさせていただいたものが、たくさん入っております。この場をかりまして、心からお礼を申し上げたいと存じます。ほんとうにありがとうございました。    この本の主なテーマは「いき違い」です。若いころ、どうして人と人とはいき違うのかと、真剣に悩んだこともあります。考え方や思想、知識の多少、環境、性格、感受性……。単にそうした違いからは、どこか取り返しのつかないような深い「いき違い」が生まれることはないように思えました。  よくはわからないのですが、私自身は、人との間の切実な「いき違い」をずっと追ってゆくと、どうしても、生まれたときからのそれぞれの育ち方の違いにたどりつくと思わざるを得ないのです。そこに根のある「いき違い」は、なぜいき違っているのか、ほとんどお互いに気づくことがありません。それは、考えるより先に、いきなり強い嫌悪感や好感の情がやって来て、その情に自分も相手も包み込まれてしまい、何かが見えなくなってしまうからだと思うのです。  私は日本に来てから、知らないうちに、その見えない、何かわからない場所にはまりこんでしまっている自分を感じるのです。正しいかどうかはわかりません。でも、その場所で苦しみながらいろいろなことを考えて来たと感じている私にとっては、そこが韓国人と日本人との間の、切実な「いき違い」の、生《なま》々《なま》しい現場であることは確かなのです。  私はその場をとりあえず、習慣とか国民性とか文化とか、さまざまな言葉で表現していますが、どれも適切な言葉だとは思えません。「それぞれの地に住む人びとの民族的な成育歴からやって来る心身の処し方」とでも言えば、少しは近いでしょうか。  そこをなんとか、くっきりと浮かび上がらせてみたい。そのような大それた思いが先に走り、本としてのまとまりを犠牲にしてしまったような気がしてなりません。読みにくい点が多々あることをおわび致します。  もうひとつ、申し述べておきたいことがあります。それは、私の日本人観は、少々「古き日本人」についてのもので、また「よき日本人」の評価へと偏《かたよ》り過ぎている、というご意見が少なからずあった、ということです。  なるほど、と思いました。私がこれまでに最も多くつきあい、また最も多くの刺激を受けて来たのは、いわゆる団塊の世代、全共闘世代といわれる人たち、なかでもビジネスマンたちでした。したがって、私の日本人観の中心が、それらの人びととの交流のなかからつくられていったものであることは確かです。  私に偏りがあるとすれば、それは、私がこの世代の日本人を通して見た日本人像に強い魅力を感じているからであり、また、その日本人像を評価することに、一人の外国人として大きな意義を感じているからだと思います。それ以外に他意のないことをお伝えしたいと思います。  もちろん、他の世代の日本人が嫌いなわけではなく、団塊の世代の人びとは、よくも悪くも「現代日本」をすぐれて映し出している、ということにほかなりません。団塊の世代の印象は、特定の中心を持たない、さまざまな小さな世界をちりばめたような、多軸な宇宙の集合——そんな具合です。でもそれがひとつの宇宙を形づくっている。それが私にとって大きな驚異でした。  さて、この本もたくさんの方々のお力ぞえを受けて陽の目を見ることができました。多くのご援助に深く感謝の意を捧げます。   一九九一年十月吉日 呉  善 花   本書は、'91年11月に三交社より刊行されたものを文庫化しました。 続《ぞく》 スカートの風《かぜ》 恨《ハン》を楽《たの》しむ人《ひと》びと  呉《お》 善《そん》花《ふあ》 ------------------------------------------------------------------------------- 平成13年11月9日 発行 発行者 角川歴彦 発行所  株式会社 角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp Sonfa O 2001 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『続 スカートの風』平成11年3月25日初版発行